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【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
第一部 ハルトマン領陥落
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第7話 領主

 伯爵家の威光を示す巨大な扉。調和を象徴するコスモスの花が満遍なく綴られた表面、中央に教会の印たる天秤が黄金の輝きを放つ。


 剣・槍・弓・杖。勇者のパーティーに当たるシンボルが四方に刻まれ、意匠の粋を凝らした巨大な造物は、三階の渡り廊下に繋がり、華美と荘厳さは一線を画す。


 胃が重くなる思いを抑えて、クリシスはやや躊躇して、書斎の門をノックした。


 周囲にはリサ、ベーゼ、ファルミ。そして守備軍の五人。


 その視線もあるせいで、返事するまでの間、クリシスはいつよりもとても長く感じてしまった。


「クンペルか」


 そして、領主ズィーゲル・フォン・ハルトマンの声が届く。


 クリシスの記憶とおり、落ち着き払っていて、ゆったりと、威厳を覚える父の声だ。


「いいえ、お父様、私です。クリシスです」

「……」


 僅かな沈黙。


 扉の向こうから何かを推し量るような気配がして、やがて嘆きが混じった反応が返ってきた。


「クンペルは死んだのか」


 その一言で、クリシスの心が軋む。


 リサ、ファルミ。彼女の姿を見ると誰もが驚いて、戻ってきた理由を聞くというのに、父だけは彼女の帰還をまるで気にしていなかった。


 ほんとう……馬鹿みたい。


 その自嘲を誤魔化すように、クリシス服の裾をぎゅっと握りしめて、平静を保とうとする。


「はい、今朝廊下のほうに倒れていました」


「どんな最期だった」


「身なりは普段どおり整っていました。うしろ首による一撃で、さほどの苦痛はなく逝かれたと思われます」


「そっか……」


 その事実を消化するように、領主の声は再び沈黙に返る。


 トントントントン。


 きっと、お父様はこうして指で机を叩いているに違いないとクリシスは思った。


 ここ何数年、クリシスが書斎で父に何かを報告する時、決まったように父はそうしていた。しばらく考案して、身体を椅子にゆだねて、手を組む。そして最後はじっとクリシスを見つめて、指示を出す。


 幼少頃のクリシスには分からなったが、いまでははっきり感じ取るようになった。

 

 あの目、勇者である兄と同じく燃えるような赤瞳は、情熱はなく、自分を突き放す氷を含んでいた。


「それで、クリシス、なぜきみが知らせに来たのかね」


 入室の許可は出ず、ただ扉越しに領主の咎めるような声が届く。


 外がどれほど変わり果てようと、こればかりは変わらないと思わせるほど、そっけなく。


 クリシスは内心で苦笑した。


 この質問は「どうして屋敷に戻った」と「ほかの者はどうした」の二重の意味を含んでおり、わざわざこんな聞き方しなくてもいいではないかと思った。

 

「はい、お父様。実は私……記憶を無くしてしまったようで、それで屋敷の状況を見ていち早く駆け戻りました」


「なんと」


 一瞬だけ、領主の声から焦りが生じた。


 そのせいでクリシスもまた不安に駆られる。


 反射的に背筋をぴんと伸ばして、言葉の続きを待った。


「きみが城を出る前に伝えたこと、まだ覚えているか」


「いいえ、それは……なにも」


「なら、サルースには会ってきたかね」


「お兄様、ですか」


「ああ、きみには前線にいるサルースのもとへ行くように言ったはずだ。まさかこれすら忘れていたのか」

 

 クリシスにはまったく見覚えのないことだ。


 気がつくと、声が震え出していた。

 

「その……はい、実は一ヶ月ほどの記憶が抜け落ちて、外にある異形のことすら、覚えていませんでした。ほんとうに、ハルトマン家の人間として面目次第もありません」


「そうか。だったら……いや、もはや意味ないか」


 はぁ……と消え入りそうなため息の音がして、扉の向こう領、主の声から力が抜けていく。


「分かった。クリシス、とにかく過ぎたことよりも前を見よう」


 領主の声はかたい。まるで自分に言い聞かせているようにも聞こえた。


「私は術式を維持するために書庫から離れるわけにはいかん。クンペルの葬式はきみが代わりに出席してくれ。長年我が家に仕えてきた者としては心痛む最期だが、丁重に見届けよう」


「わかりました。お父様」


「では、もう行ってよい」


「えっ、」


 まさかそう簡単に追い払われるとは思わず、クリシスは一瞬立ち竦んでしまった。彼女の知る父は娘に対してそっけない態度を取るが、状況確認と分析、とくに領地に関わる事件ならば人一倍に力を注ぐ人物だった。


 それが貴族として責務であり、誇りだともよく口にしていた。


 無論、ひとりで最終防衛術式を維持するのはいかに大変なことなのかクリシスもなんとなく理解しているつもりだ。


 しかし、まさかそこまで切羽詰っている状態とは。 


 聞きたい。


 これからはどうすべきか。兄はいつ戻れるか。異形に対する対処法。亡くなった守備軍の労い。そして、みながほんとうに生きていけるか。


 そんな思いは全てクリシスの喉に詰まって、出てこない。


「はい」


 消え入りそうな声で、結局何も言い出せなかった。


「おいおい、嬢ちゃん。本題を忘れてないか。こっちの話をするために来たんだろう。なに我を忘れてるんだよ」


 隣、空気の読まない男――ベーゼがやれやれと肩を竦めた。


「ハルトマン卿、中にいんだろ。ちょっと入らせてくれないかな。ドア越しだと説明しづれぇんでね」


 声を上げながら、ベーゼはバンバンと扉を叩く。


「おい、あんた!」


 周りが男の無礼極める態度に言葉を失う最中、ただファルミだけがすぐ反応できて止めに入った。しかしその手がベーゼの肩に触れるより先に領主の言葉が届いた。


 若干の不悦が混じった、困惑めいた声音である。


「きみは誰かね」


「ああ、そういや自己紹介を忘れた」


 領主が言葉を発した以上、当然守備軍も無闇に手出しできなくなってしまう。


「く」と悔しさで顔を歪めるファルミに、ベーゼは得意げに笑ってやった。


「自分は特級冒険者のベーゼと申す。ギルドにて依頼を受け、この度ハルトマン領に参上した次第で、ございます」


 わざとらしく、右足を一歩ひいて、左腕を腹部に置く。

 クリシスから見てもほぼ完璧の貴族礼を、ベーゼは行った。


「なるほど、ベーゼ、いや、ここは勇者候補モイラと呼んだほうがよかろう。これは見苦しいところをお見せした」


 モイラ?


 勇者、候補?


 クリシスはぽかんと口を開けた。


 見れば傍に控えている者はみな驚愕を隠せない様子である。


 この西大陸において、勇者候補とは教会の折り紙付き――人間のために多大な貢献をした者のみ授かる称号である。特殊な祝福を受けた勇者よりは少しばかり劣るものの、その実力は少なくとも人類最強の十本指に入る。


 あくまで令嬢の間のうわさでではあるが、クリシスもモイラという名を小耳に挟んで聞いたことがある。


 いわば変形自在で、男性とも女性とも掴みきれない風体という。そしてあらゆる攻撃を真正面から打ち消す剣技――反撃剣カウンターブレイドを極めている。


 まさかこんな男が勇者候補。そういえば出会った時も肩書きはいくらでもあると言ったような……

 

 衝撃の事実に、クリシスは若干目眩がした。


「モイラ殿、南から遠路はるばるお越しいただき、ご足労であった。ただ申し訳ない。陣を維持するため部屋に封印を施したゆえ、対面には少々困難な状況だ。どうかご容赦いただきたい」


「はは、気にすんな。ハルトマン卿だって当代勇者の親父だろう。畏まる必要はねぇ、そもそもオレはこういう肩書はあまり好かんのでね。だからいろんな偽名を使っているわけだ。というか、謝らなければならないのはこっちだ。この状況でどこも戦力が必要でね。遅れたせいで、お嬢さんを見つけた時はすでにこういう状況になっちまった」


 若干気まずそうに、ベーゼは乾いた笑いを発する。


「いいえ、全ては我々が至らぬばかりに……情報の疎通をもっと速やかに執り行っておけば、万単位の異形と戦う体制を整えられたはず。ほんとうに、面目次第もございません」


 苦虫を噛みつぶしたような声が扉の向こうから伝わって、ファルミを筆頭とする守備軍は、一様に苦しい表情になった。


「そう言ってくれるのはありがたいね、こっちも。でも、お世辞はこれぐらいにしとこうハルトマン卿。お忙しい様子だしな、邪魔しちゃ悪い。要件だけ手短に済まそう」


「ご高配、痛み入る」


「ではまずは今回手間をとって陣に入ったわけだが、確認したいことがあるんだ。手紙に書かれたご息女を弟子にする件、これは本気かな?」


 視線を感じて、クリシスは振り返る。


 すると仏頂面のメイドの目に心配と哀れみが混じっていることに気づいた。


(お嬢さまはあのような変態の弟子になりますの⁉)


 何年も主従関係を続いて、それぐらい読めるようになったが、クリシスとしてはやめてほしい。自分だって嫌なのだ。


「はい、モイラ殿。私の知る限り、きみ以外の誰しもクリシスの師に足り得ないだろう。きみはほかの者が持てないような素質を持ち、そしてクリシスもまた似て非なるもの。本来ならクリシスのような者はハルトマン家でひっそり生きながらえるのが最良だと私も思うが、これからの時代を考えるに、ハルトマンの家主として、是非ともお願いしたい」


 クリシスは会話の要領がいまいちぴんとこなかった。


 ただ、男が実はすごい存在ということは理解しはじめた。


「なるほど、既にご承知のうえか。なら話ははやい。ではそれを踏まえてあえて問おう。ハルトマン卿。これは勇者の弟子としてではなく、一人の父親としてだが……ハルトマン卿。あなたは娘を英雄にする気なのか」


 私が……英雄に?


 胸が締め付けられ、クリシスはその可能性すぐさま却下した。幼少の頃ならいざしらず、いまとなって彼女も分かるようになった。


 兄の姿はどれほど眩しく、憧れることさえ許されないことかを。


 なのに、分厚い門の向こう、領主は再び沈黙に変わった。


 五分。


 実際のところはそう長い時間は経っていないだろう。緊張による錯覚で、クリシスの体感時間をひどく遅らせた。


「いいえ」


 それがズィーゲル・フォン・ハルトマンの答えだった。


 ベーゼは満足げに笑った。

 一方、クリシスの心にのしかかったモノがすっと温度を失っていく。分かりきったことを結局期待してしまう自身に、ある種の惨めさすら感じた。


「ではモイラ殿、弟子の件、お引き受けいただけますか」


「そりゃ嬢ちゃん次第だろ。でも、記憶が欠落したままじゃ微妙だね。こういうことは自分が選ばなきゃ、ね」


「その……」


 スカートの裾をギュッと握り込んで、クリシスはなんとか声を絞り出す。


 しかし、口を開いた途端何を話せばいいか分からなくなって、そのまま黙り込んでしまった。


 どこか、何かがズレているような気がして、言葉にならない。


「確かに、決めるのはまだ尚早のようだ」


 書斎の奥から、少女の意志と関係なく決断が下される。


「ただ、私の見立てが正しければ、近いうちにクリシスは全てを思い出すだろう。ベーゼ殿、その時はよろしく頼む」


「ああ、了解した」


 薄汚い自称冒険者。


 少女と出会った当初と寸分変わらぬ不真面目な顔で、茶化すように肩をすくめた。

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