間話 ヒャーナ
失敗した失敗した。
失敗 した 敗した。
失 敗し た失 敗し た。
失 敗 し た 失 敗し た!
ヒャーナは転がるように走る。
視界のない暗闇の中で、いろんなところにぶつかりながら。
情報を探るべく倉庫に入って、はぐれた仲間の装備を見つけてしまった。
そこで撤収すればよかったものを、直感でさらに奥へ進んだのがいけなかった。
下へ続く階段を見つけたヒャーナは、同時にそこに住まう人間の形をしていた何かに遭遇した。
畜生畜生畜生畜生畜生、なんで、いったいどこまで通じているんだ、この通路は。
多勢に無勢で、突如伸ばされた無数の手でヒャーナは通路の奥深くまで引きずりこまれた。
服がズタズタに裂かれて、藻掻いたせいであちこちぶつかって、手足の至るところを噛まれていた。
いたい。
身体の芯から燃えるような痛さだ。
もしヒャーナが普通の人間で、ベテランの斥候ではなかったら、きっと、すでにこの世にいないだろう。パーティーのために単独行動をして偵察を行う斥候だからこそ、こっそり保身用に道具を忍ばせていたのだ。
ヒャーナが使用したのは、『転移』のスクロール。
望んだ場所に飛ぶ魔法で、 オークションで高い金を払ってようやく手に入れた貴重なものだ。
それが、中途半端な形で効果を発揮した。
そのまま地上に戻りたいと願ったのに、視界がないせいで、ヒャーナは逆に見知らぬ通路にたどり着いた。
無論、壁の中に挟まって即死するという『転移』にとって最悪の結果こそ免れてはいたが、やはり状況が好転したとは言い難い。
いつも持ち歩いているカバンがない。
あらゆる状況に対応できる装備を失ったいま、ヒャーナが頼れるのはもはや長年の経験と勘だけだった。
帰り道が化け物で塞がっている。
よってヒャーナが取る選択は、一度広い場所に出て身を隠し、やり過ごすことだ。
残ったナイフ一本をなんとか護身用に握り締めて、ヒャーナは指に唾をつけて、風の方向を確かめる。
視界がない状態でも行動できるような訓練をうけたのが、幸いだった。
仲間たちは頼れない。
ヒャーナはロロに「もし日付が変わっても戻らなかったら撤退を説得するように」と伝えてあるから。
それでも、足を引きずり進みながら、ヒャーナは肉の壁に記号を刻んでいく。
これもあれも全部あの傲慢な魔術師が悪いと思いながらも、ヒャーナはいまはその魔術師の執念に期待するほかない。
…………!
ヒャーナの足が止まった。
首筋に、気配がしたのだ。
あと一歩でも動けば自分が死ぬという寒い気配が。
「おばさん、ここで何をしているの?」
子供の声。
何度も聞いても、実にうさん臭い無邪気な声。そして、人を苛つかせる呼び方。
コメル。
ヒャーナは何か言い訳を探さねばと思った。
そもそも、自分の意志でここにいるわけではない。
でも、こんなところでコメルと会ったのは何を意味するか、ヒャーナは理解している。
暗闇のせいで、お互いの姿がまったく見えないはずなのに、相手は的確に自分を認識できている。
ここで何をしている?
むしろこっちが聞きたいぐらいだ。
「コ、コメルちゃん?」
ヒャーナはすかさず返事した。
緊張のせいで、若干声が不自然になったが、それを気にする余裕はない。
ヒャーナは内心の恐怖を堪えつつ、無力を演じる。
「コメルちゃんなの?わたし、ヒャーナおばさん。なぜか雪の上を歩いてたらこんなところに落ちちゃった」
偵察に行ったなんて口が裂けても言えない。
そして咄嗟に出た言葉がこれだった。
「そう、なの?」
やや困惑したような声である。
ヒャーナはコメルが首を傾げるのを想像した。
でも、いけなかったと、ヒャーナはすぐ後悔の念に駆られた。
なんで弱気になっているの、私!
人間は自分にとって必要ないものには大抵容赦がない。
さっきは、もっと格好をつけるべきだったのだ。
せめてヒゲオヤジたちと一緒に来たとでも言えばよかったのに!
失敗した。
ほんとう、失敗した。
ヒャーナはなりふり構わず走り出す。
暗闇の中でも、壁を伝っていれば、なんとかして距離を取ることはできる。
ヒャーナは自分の呼吸音が聞こえる。
重くて、心を押しつぶすような音だ。
足裏から伝わる悪寒を気にする余裕もなく、ただ肺の空気を吐き出し尽くす勢いで、ヒャーナは逃げた。




