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【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
第二部 英雄の逝く町にて
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第24話 『時間』

 モイラ。


 赤ん坊が発する第一声を名前にする風習からできた名を、長い時に亘って生きてきた不死者は好きではなかった。おそらく「おいら」という大人の言葉を見様見真似で声にしてそうなったのではないだろうかと、彼女は常々思う。


 ただ、別に呼び名に何か特別な意味がほしいというわけではなかった。


 モイラは不死者である。


『時間』の祝福を受けて……そして、強大すぎる力ゆえに体が変異した成れの果て。


 生まれた場所が田舎だったことが幸いして、教会の目に触れずにモイラは育った。


 そもそも奴隷の子供として生を受けた彼女は祝福という人智を超えた異能の存在を知る由もなく、ただ主の言われるままに生きて、成長して、幸福と程遠くても穏便な生活を過ごしていた。


 しかし、ある時ふと彼女は思った。


 老いたくない、と。


 それは歳を取るにつれ誰でも一瞬は頭に過ぎる考えだが……その瞬間を境にモイラの人生は大きく変わった。


 モイラは本当に歳を取らなくなった。


 その時、彼女は二十三歳。


 最初は「いつまでも変わらないな」と周りからうらやましがられていた。しかし周りの人間がどんどん老いていく中、ただモイラだけが取り残されて……彼女の所有者に当たる者が亡くなり、その孫が新しい当主になった頃、モイラ自身を含めて、周りは一様におかしいと思うようになった。


 村には教会がないが、年に何回か神官が修行で立ち寄ることはある。


 もしや変な病ではないか。もしや伝染して不吉を呼ぶのではないか。


 モイラが自ら出向いて神官に告白すると、一ヶ月のあと、九人の聖職者が村に訪れた。


 身なりが汚かった。


 つねに神の代行者であるように振る舞う神官は、人前に立つ時は外見に注意するものだ。しかし、その九人は聖職者の装束を纏っていながら、逆に冒険者に近い雰囲気を放って……モイラを見る目は冷えきっていた。


 ――殺される。


 本能が警鐘を鳴らし、その時、彼女はとにかく逃げようと直感で動いた。


 その途端視界がぼやけて、気がつくと、誰もいない荒野に立っていた。 


 彷徨い続ける一週間。


 人里に来るまで食べ物をまったく取っていないのに、モイラは生きていた。


 彼女は知った。


 これは百年後の未来。


 そして自分が不死者であることを。


 モイラは時間を跨ぐことができる。


 ただ、それは一方通行の、未来へ行く力である。


 ――過去には決して戻れない。


 モイラが知る者はみんないなくなった。


 彼女はこの世にたったひとりで取り残されたのだ。


 生まれて殆ど村の生活しか経験していなかったモイラ。


 しかも百年先の未来で、うまく立ち回ることなんてとてもできなかった。


 初めは誰もいない辺鄙の地で一人で暮らしていた。


 しかし孤独に耐えきれず、モイラは結局町に訪れる。


 騙されて再び奴隷になったことがあった。


 教会に疑われて夜逃げすることもあった。


 旅で各地を転々として、途中でいつの間にか商いや冒険の心得も身につけた。


 モイラは逃げるのがうまかった。


 長い歳月の中、彼女は次第に自分の外見年齢をコントロールできるようになり、それだけでは誤魔化せない時は未来へ逃げた。


 だから、誰かと家族になろうなんて、モイラは一度も思わなかった。


 ――ひとりで取り残されてしまうのは二度とごめんだ。


 モイラは自分の名前が好きではなかった。 


 モイラという名前を呼ばれるたびに、彼女は過去のことを思い出してしまう。


 だから時代を変えるたびに違う名前を名乗っていたし、いま冒険者ギルドに登録している名も、死んだはずの仲間――ベーゼの名前を借りることにした。


 無論、まさかその仲間がまだ生きていて、あんなふうに自分の立場を利用するとは夢にも思わなかったが……


 あの夜、力の反動で子供の体型に戻ったモイラに、ベーゼはこう言った。


『あんたも師匠の顔に泥を塗るような真似は勘弁したいだろ?それに教会に追われる身になったら厄介だぜ』


 こんな脅し、モイラは無論聞く耳を持つつもりはなかった。


 自分が不死者であることが大勢に知れ渡れば、教会は迷うことなく自分を切るだろう。


 最初からそういう約束を交わしていたので、心構えはとっくにできている。


 それに、長い時に亘って生きてきたモイラにとって所詮は瞬きで過ぎ去っていくもの。


 ただ、師匠の顔に泥を塗ることには抵抗を覚えた。


 英雄テイオ・レグゲート――不死者を弟子にする大罪人。


 そんな歴史を、未来で見たくなった。


 あの場でベーゼを始末することができれば一番堅実的だったが、あの男が持つ狂気じみた執念だと、なかなか死んでくれないとモイラは判断した。


 自分の弟子なら万が一でも見逃すはずがなかったが、あいにくモイラはクリシスほど強い正義感を持っているわけではない。


 世界はモイラにそんなに優しくなかったし、モイラもそれほど世界が大事だと思わない。


『どうして』


 とモイラは師匠に聞いたことがある。


 ――聖遺物は、血を分けた人間しか効果を発揮できない。


 その常識を作った教会の意志に背いて、英雄テイオ・レグゲートは自分の力を不死者の弟子に託そうとした。


 身分を偽って門下生になったことをお咎めなしに。


『ふむ、仕方がなかろう。どいつもこいつも基礎すら修得できなかったから』


 煙管を咥えて、さも当たり前のように、修行服を着込んだ老人はそう言った。


 こんなことをしてしまえば、老人が身を削って遺した聖遺物は聖剣ではなく遺剣になる。つまり、血筋と関係なく、モイラしか使えなくなるのだ。


 免許皆伝に至るまで、モイラは何回死んだのか覚えていなかった。


 絶え間なく実戦を必要とする修練はとてつもなく困難で、『吸収』でダメージを無効化できる英雄と違い、生身の人間は練習すると常に廃人になる危険と隣り合わせる。


 とくに最後の試練と言い、魔族領最深部の空洞に放り込まれた時のことは長い人生を持つモイラにとっても最も苛烈な経験だった。


 ――祝福に頼らずに、攻防一体の奥義を成し遂げた。


 などと外部の人間はそう謳っているが、そもそもモイラは生身の人間と違う。


 これは不死者でしか習得できない剣技だと、いつの間にかモイラは思うようになった。


『逆にわしが聞きたいのよ。モイラ』


 老人は鋭い目つきで、モイラの心を射抜く。


『なぜ不死者のおまえさんは武芸を学ぼうと思ったのかね』


『やったことのないことを、やってみたいだけです。そうすれば逃げ続ける生活から脱却できるかもと思いましたから』


『で、結果はどうなんだい?』


『師匠、もしかして返答次第で私を切るつもりじゃ』


 モイラが冗談めかして警戒すると、『ばかたれ』と叱られた。


『そんなこと気にするなら、来た時もう殺しとるわい。わしはな。おまえは力をどう使うのか聞きたいんじゃよ』


『そうですか』


 いつも身勝手で厳しいだけの師がそんなことを聞くとは、モイラは首を傾げる気分だった。


『しかたない。おまえさんを選んだ理由を教えよう。おまえさんは死なない、つまり反撃剣も死なないわけじゃ』


『不死、ですか』


『ああ。命はいずれ終焉が訪れるからこそ尊い。しかし、いつまでも尊いというわけではないんじゃ』


『?』


 忌み嫌われる不死の身体を目当てにしていること自体既に十分正気を疑われる行為だが、並べた理屈はモイラにとってさらに不可解なものだった。


『つまりだ……』


 振り下ろされる熱量を纏った一撃を、モイラは半透明の剣で撃ち流す。


 周りの異形が依然間断なく押し寄せてくる。


 風情を解せないまま、身の程知らずに、戦う二人の間に乗り込んでくる。 


 贅肉型が振り下ろす一撃を躱し、モイラはその腕を蹴って力を燃え盛る不死者(でし)のほうに運ばせる。それが消し炭になる一瞬を狙い、群がってくる関節型の尾を捻った体勢で両断し、続いて拳を跳ねる肢体型にめり込ませる。


 敵の攻撃を予測し、相手の力をかりて撃ち返す。


 乱戦が繰り広げられる戦場のど真ん中でも、モイラは余裕に立ち回ることができた。しかし、それが無駄であることはほかでもなく彼女自身が一番理解している。


 間断なく再生を繰り返す不死者にとって、そんなの傷の範疇にすら入らない。むしろいま身を焦がす炎のほうがより致命的で、骨の髄まで焦がしているだろう。


 現に、その首を刎ね飛ばそうとうする一撃は血というより溶岩に近い液体を抉り出すだけだった。


 炎を纏った手で、不死者は喉を貫かれた刃を掴もうとする。


 遠距離で撃ち込まれる肢帯型の衝撃を流して、モイラは咄嗟の反応で蹴りを躱す。


 やばい。


 そう思った次の瞬間、凄まじい熱量が面状で叩きつけてくる。


 モイラの世界に音が消えた。


 頬に生温かい感触が伝わり、恐らく鼓膜が破裂したのだろうとすぐ状況を認識した。


 獣のように四肢を地面に固定して、不死者はおぞましい声をはりあげる。


 先頭に立つ異形は一瞬のうちに皮膚が焼かれて骨がむき出し、粉々に溶けていく。


 受け身を取り、モイラは吹っ飛ばされた途中で軌道を調整し、岩壁にしがみつく。


 もし『吸収』の力を持つ遺剣テイオがなければ、さっきの一撃もただでは済まなかっただろう。反撃剣(カウンターブレイド)が物理的攻撃を無効化するための技術なら、遺剣テイオは魔法を含めたエネルギー攻撃を無効化するための武装。


 二つにしてひとつ。これぞ英雄テイオ・レグゲートの真骨頂。


 しかし、五感のひとつが奪われれば、不慣れな戦闘を強いられる。


 一旦退避。


 モイラは勢い任せの中途半端はしない主義だ。


 不死者は振ってくる攻撃を薙ぎ払うが、いまのところ異形が相手にしてくれるので、近づかなければなんの問題もない。


 回復力では弟子に圧倒的に劣るため、鼓膜が修復するまでおよそ三分といったところだろう。


「ん?」


 冷ややかな感触がモイラの頬をなでた。


 続いてばたばたという音が鳴り響き、叩きつけるように激しくなる。 


 雨、だと。


 降り出す水の結晶を見て、モイラは何秒かしてようやくそれが何なのか認識できた。


 もしここが西大陸なら、モイラもきっとなんの違和感もなくすんなりと受け入れただろう。しかし、砂漠のど真ん中で、いくら水資源がそれなりに潤沢なドレシアとは言え、このような気象はおかしい。


 モイラは思う。


 恐らくいま下で暴れまわる不死者が原因だ。


 谷のような地形で高熱を受けていれば、そのまま降水に直結する。


 水は炎の天敵とも言えるものだ。


 この状況において何か良い変化を期待するのが人の常だが、モイラの心はむしろ不安にさらわれていく。


 長い時を亘って磨いた直感が告げている。


 ――何かが来る。


 最初に悲鳴をあげたのは、異形の後方に隊列を構えていた胴体型だ。


 さっきまで肢体型を城内に射出し続けていた異形は雨にふれた途端のたうち回り、穴という穴から青の液体を吹き出す。


 どんな原理なのかモイラは非常に気になるが、いまは詮索する余裕がない。


 雨の勢いが増す中、不死者は突如動きを止めた。


 身体中から放つ熱の波が徐々に収まり、さっきまで大地を焦がしていた力は制御が利くようになった……傍からはそう見えるだろう。


 しかしモイラの背中は悪寒に逆撫でられる。


 時折四足歩行で暴れまわる不死者は、今度はしっかりと両足で立った。


 そして突如右腕で左腕を掴んで――引きちぎる。


 左腕は再生する。が、右手に握る()()が消し炭になって消え去ることはなかった。


 触媒になったそれは、さきほど不死者が収めた力の導火線となり、恐ろしい青が立ちのぼる。


 ――かつてハルトマン領で戦った不死者と明らかに違う何かが誕生しようとしている。


 胴体型の不調で一時混乱に陥った異形はすぐ陣形を立て直す。


 使い物にならなくなった胴体型を横に片付け、雨を凌ぎに襲来する。


 モイラは目を見張った。


 不死者の身は依然燃焼と再生を繰り返しているが、その動きは明らかにさきほどに比べて柔軟性があった。


 揮う触媒がリーチを伸ばしたこともあるだろう。


 押し寄せてくる関節型をいとも簡単に切り捨て、円を描いて峰打ちで横の贅肉型を叩き壊す。雨にうたれて、蒸気を発せさせる姿は依然人外だが、動きの端に技巧と呼べるものが宿っている。


「師匠……」


 モイラはこめかみを押さえた。


 いろんな感情が駆け巡り、やがて諦めたように嘆息と化す。


「どうやらとんでもない化け物を教えちまったようです、あたし」

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