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【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
第二部 英雄の逝く町にて
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第22話 試み

 クリシスは立っている。


 険しい崖に挟まれた谷の底。


 ドレシアという商人の町から数キロも離れた場所。


 来る途中で拾った中途半端な剣を手に、外部に通じる唯一の道に佇んでいる。


 もし東の部隊から集めた情報――ウーイー少佐が言う指揮官タイプの異形が本当に存在しているとしたら、町が混乱するこの時こそ付け狙われやすく、一番危険だと思ったからだ。


 そして、新しく出現した遠距離攻撃を可能にした新型の異形――胴体型の力を逆算して、ここが肢体型をギリギリ城内に投擲する射出位置である。


 師匠が負けるとはクリシスは思えない。


 あのひとは本物のS級冒険者で、勇者候補で、不死者だ。


 洞窟を埋め尽くすほどの異形など、きっと祝福を使わなくとも屠り尽せるだろう。


 だが、しかし、あの時釘を刺されたように、目に見えるものだけが真実ではない。


 すべての異形がそこに集まっていない可能性も、ちゃんと考えなければならない。


 息を吸って、吐く。


 足元から伝わる地響きを感じながら、いまにも眼前まで迫ろうとする異形の群れを前に、クリシスは湧き上がる不安を宥めようとする。


 いつも危機的状況に追い込まれていた少女は、はじめて先手を打って来るべき脅威と向き合う――そのせいで名状しがたい違和感に取り憑かれていた。


 考えた上で行動する恐ろしさ。


 冷静に分析すれば、ドレシアが異形の手から逃れるなんて万が一にもありえないだろう。


 異形という存在はたしかに致命的だ。


 ただ、人間が負け続けているのは個としての異形ではなく、群れを成して圧倒的な物量を持つ異形――決して、先日のような数百単位のものではない。


 そのうえ、仮に今回は何らかの方法で危機から逃れたとしても、町は確実に消耗して、やがて繰り返す侵攻で滅ぶ運命を辿るだろう。


 だから、すべては無駄だ。


 理性が、考えが、クリシスに合理的な判断を促す。


 迷いから生じた感情はいわば恐怖に近いものだが……


 でもクリシスはこういう時に限って、立ち向かう。


 合理を言い訳にしない。


 恐怖が湧き上がればあがるほど、それを打ち負かしたい衝動が身体を突き動かす。


 ゆえにクリシスはここに立っている。


 もし逃げてしまったら、きっと、生きることも諦めてしまうから。


 先陣を切る肢体型が噛み殺す一撃を屈めて躱し、手にする剣で柔らかさとは程遠い腹を切り裂く。漏れる臓器。身体のあちこちに飛び散る青い血液に構うことなく、クリシスは次に来る三匹の首を刎ねて、刎ねて、刎ね飛ばして、蹴りで同時に襲いかかろうとする数匹も蹴散らす。


 素早さを武器とする肢体型はいわば猟犬。そして全身に不規則に張り巡らす触手はある意味盾の役割も果たし、的確に要所を突くことが求められる。


 力よりも技量。


 反撃剣だからこそある意味手慣れで、力を過度に駆使せず対処できた。


 だけど数が多い。あんまりにも。


 先日城壁を背にして戦った時、そこには異形以外の要素も多くあった。


 ドレシアの迎撃システム――自律型の機械汎用型・壱。


 東の精鋭部隊――アクサス帝国第〇〇魔装独立大隊。


 そして、建物と、殆ど戦闘力のない旧市街の住民。


 乱戦という局面に身を置いたからこそ、クリシスは戦場で縦横無尽に駆け巡ることができた。それが、襲いかかる醜悪を、いまは少女の一身で引き受ける形になってしまっている。


 心臓から湧き上がる熱さを制御しながら、クリシスは勇者(あに)の姿を思い出す。


 前線へ向かう時、勇者(サルース)はハルトマン領の精鋭を殆ど連れていった。


 なるほど、そのためだったのか、となぜかいまになってクリシスはようやく納得の念が込み上げてきた。


 当たり前のことなのに。


 重い足音を踏み鳴らす贅肉型が殺到する。


 ドレシアの城壁の半分にも及ぶ高さだ。


 クリシスは強く踏み込んで跳躍し、火炎を纏った拳をその頭部にめり込ませる。


 剣ではなく、足でもなく、拳を選んだのは理由がある。


 まず、剣ではその厚い脂肪を貫くことができない。


 そして、回避には足を使う必要がある。


 めり込んだ拳が頭を半分も破壊しても贅肉型は動きを止めない。腕を振り上げて、まるで蝿を叩くように狙ってくる。それを足場にして、クリシスはよじ登ってくる肢体型を数体切り裂き、間を縫うようにして今度こそ残り半分の頭部を壊す。


 欠陥姫。


 昔はそう呼ばれていた。


 しかし、自分はやはりこの名のように中途半端だと、クリシスは思う。


 普段制御できる力はほんとうに微々たるものだ。


 こうして一撃で贅肉型の頭を半分壊すのが精一杯。


 無論、常人から逸脱していることは間違いないだろうが、先日のように異形たちを蹴散らすには出力をあげていく(燃え盛る)必要がある。


 薪のように、まず火をつけて――傷を負って、再生する。


 クリシスは再生能力が高いだけであって、痛みに強いわけではない。


 その命も、無限なわけではない。


 両側の岩壁に、先日クリシスを追いかけていた関節型がごりごりと這って進む。


 恐らく群れのどこかにくねくねと暴れる胴体型もいるだろうと、クリシスは思った。


 地形を利用して生き埋めにする手もある。


 両側の崖を潰せば崩落が起こり、一瞬にして大量の異形を葬ることができるだろう。


 しかし、クリシスはそんな器用な真似ができない。爆発の専門家の指導があればともかくとして、もし当たり どころが悪かったら、かえって道を作ってしまうことになる。


 いまクレトム山脈のおかげで、関節型以外の異形はこの谷の底を通るほかないが、山脈の上に行けるようになったら今度こそ異形共は物量による優勢を本格的に発揮してしまう。


 そうなったら一巻の終わりだ。


 クリシスは跳躍する。


 肢体型を斬りつけて、切り裂いて、血飛沫の渦を巻き起こす。


 立つ場所はすでに地面ではなく、贅肉型の巨体の上。弱点である頭部を狙い、次々と流転する。


 もしここが戦場なら、まさしく花だろう。


 単独で敵陣の中に切り込むことはある意味蛮勇だが、後ろに続く者に道を示す。


 これが英雄というものだ。


 しかし、クリシスはいまたったひとりで、休むことなく戦い続けている。


 それと同時に、焦燥感が彼女の胸を焦がしていた。


 ――とりあえず自分が囮になればいい。


 それが今回クリシスが立てた(安易な)計画だ。


 先日の一戦で、異形は町よりも自分に照準を向けやすいことを知った。


 正しくは祝福を持っている人間だろうが、こうして異形の的になれば、少なくとも町に被害を及ぼすことはないと思った。


 なぜなら、自分は祝福を持っているだけでなく、不死者でもある。


 旧市街のような開けた場所ではなく、崖に挟まれた峡谷という地形ならば……


 一対百ではなく、一対十という限られた異形を相手にする状況なら……


 勝機があると思った


 しかし、予想は裏切られていた。


 少女は宙に舞う。


 贅肉型の振り上げた腕の反動で、正確に言うと吹き飛ばされたという形で、谷の上空まで身を任せる。


 そこで、クリシスは現在行っている行動の無意識さを知った。


 たしかにクリシスは異形の的になった。


 それでも、数え切れないほどの肉塊は少女を無視して、通り過ぎて、ドレシアへ向かっていく。


 ――視線の続く果てまで、うじゃうじゃと異形が雪崩込んでいる。


 峡谷という道を押し潰そうとする勢いで、漏斗から注ぎ込まれた液体のごとく、数百ではなく数千、あるいは万にも達している人ならざるものの軍勢が砂漠を黒に塗りつぶす。


 このような光景を目にしたのは、二度目。


 思えば、こんなものを相手に、故郷のハルトマン領は一週間も耐え抜いた。


 ほんとうに、すごいとクリシスの心の底から熱い何かが込み上げて、誇りに近い感情さえ芽生えてくる。


 しかし、身体中を駆け巡る痛みがクリシスを現実に連れ戻す。


 力を駆使しようと、反撃剣の技でギリギリの戦いを続けようと、クリシスの身体は結局ハルトマン領を離れた時のままだ。


 うまく力を受け流したところで、外傷がないとしても、贅肉型の全力の一撃を受けて空中まで吹っ飛ばされていれば身体の内側に響く。


 ただこの場合……一瞬にして周りの異形を焼き尽くせるほどの力を引き出せるようになったことを意味する。


 でも、クリシスは受け身を取った。


 本来なら避けるはずの砲撃を。


 胴体型によって撃ち出された肢体型を真正面から受ける。


 空中という移動が制限された場所にいては、いい的と同然だ。


 これは先日の戦いでクリシスは学習した。


 学習して、その経験を逆手に取って、利用することにした。


 骨折、など生易しいものでなかった。


 身体を丸めて、腕と足を盾代わりに使うことは、つまり先日と同じように尺骨も橈骨も脛骨も腓骨も上腕骨も大腿骨も全部木っ端微塵に粉々になることを意味する。


 ほかの部位も見逃されるはずがない。


 全身が捻じ曲げられたような激痛に見舞われ、クリシスの思考は一瞬真っ白になる。


 常人ならとっくに死んでいる傷だ。


 しかしクリシスは瞬きするほどの時間で再生できる。


 風を切る音がクリシスの耳元を掠めて、やがて少女の身体は再び重力に囚われていく。


 本来ならばそのまま城壁に直撃するはずの軌道を制御して、異形が襲来する前から既に黒い煙が立ち上るドレシアを通る大橋の上に落下した。


 巻き上がる煙、飛び散る破片。


 着地より一瞬早く身を捩って、クリシスは乗り物として利用した肢体型から飛び降りる――もっとも、炎を纏った彼女にとって、そんな衝撃はすでに怪我の範疇にすら入らないが。


 とにかく、間に合った。


 巨大な岩の裂け目のような、ただし決して狭いと言えない峡谷から、さっき通り過ぎた異形の大軍はすぐ近くまで迫ってきている。


 頭上は投擲された肢体型。


 先日のように、恐らく城壁を乗り越えて町の内部に直撃するだろう。


 クリシスは旧市街を見る。


 町を訪れた当初から廃退の匂いを漂わせる場所。いわばゴミ溜めのような印象を受ける底辺の住民の棲み家は、それでも生活の営みであった。


 それが、その一部はいまや沼に腐食されたように、ただの痕と化している。


 クリシスは思う。


 さっきまでの行動は徒労で、ほんとうは最初からそうすればよかったのではないかと。


 でも、その考えはすぐ自分により否定された。もしこれを肯定的に捉えたら、この半年の間、モイラが自分に何を教えようとしていたのか本当に理解していないことになる。


 師匠が言ったように、まず状況を見極めることが大事だ。


 最低限の代価を支払って解決できるものを損得勘定せず、ただ気持ちの向くままに行うのは、結果だけをよしとして、ほかの可能性を、より効率的な過程を省いて行うと同義である。


 でもここまで来たら、もはや残る選択肢はない。


 必要なのは、覚悟を決めること。


 ――お父様、力をかしてください。


 クリシスは首に下げたネックレスを取り出す。


 旅の中では後生大事に鞄に仕舞っていた不規則な輪郭をする宝石を、二度と無くさまいと、少女は肌身離さないように持っていた。


 それに、力を込める。


 時に白、時に紫、時に青、時に赤。


 火炎に包まれてなおまばゆい光を放つ石を握りしめて、クリシス・フォン・ハルトマンは祈るように言葉を口にする。


「最終防衛法陣・展開」

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