第20話 帰還
「ここは?」
「おれの家だ」
土色の固まった薄暗い視界。
装飾など施されていない、ややサビ臭くて、廃屋に思われても仕方がない一室に、ミゲルはクリシスを連れて姿を現す。
「いや、正しくは洞窟に行きやすいようにあの女が手配した所か」
さっきまで二人が通っていた狭苦しい地下通路を一瞥して、ミゲルは溜息を吐く。
廃鉱経由では何時間もかかる道のりを、この道を使えば半分も時間が短縮できる。だからこの半年の間ミゲルはオルデンに戻らず、あくまでここを拠点にすることにしていた。
何かあれば対処しやすい。ただでさえ少ない時間も有効活用できる。
高窓から差し込む光を見て、ミゲルは日付がすでに変わっていることに気づく。
「ミゲル、はやくウリウス会長とデミカスさんのところに行きましょう。さきほどの洞窟で見た様子からして、異形はいつ動いてもおかしくないのです」
「あ、ああ……そうだな」
てっきり「なぜ最初からこの道を使いませんでしたの」と言われるとミゲルは思ったが、クリシスはあくまでも町のことを憂いて、次へ急がせた。
気づいていないか、それとも気づいて言わなかったのか……
どちらにしろ、ミゲルにとっては罪悪感が増えるもので、ゆえにさらに溜息を追加する。
ゴン!
轟音と共に、突如天井から塵が舞い落ちる。
これが何を意味する音なのか、二人とも分からないはずがなかった。
「くっそ、まさか手遅れになったのか」
ドアを開けて、階段を駆け上がる。
いつも歩いていた路地は物乞いところか、影ひとつすらない。
「ミゲルさん!」
「ああ、分かってる。こっちだ」
急いで、ミゲルは大通りに躍り出る。
「おっさん、どういうことだ!」
上半身裸の魔石商人。
山羊髭に息を吹きかけて、いつも不機嫌そうな顔で商会のほうを睨んでいる。
「なんだ、ミゲルか。てっきり巻き込まれてくたばったと思ったぜ」
「いや、そういう挨拶はいい。手短に状況を説明してくれ!」
ウリウス商会のほうから強い衝撃が迸り、火炎もみるみるうちに蔓延していく。
あちこち混乱して逃げ惑う人たち。中で明らかに顔色の優れない患者も家族らしき者に支えられながら、あるいは自力で商業区から逃げていた。絶望まかせに叫ぶ声――悲鳴、視線の届く場所全て際の叫喚で満たされる。
店頭に並んだ魔石を乱暴に掴んで、ミゲルは懐から金貨を取り出して店主に握らせる。
いつもこのおっさんの皆勤ぶりには頭が下がる思いだが、いまは助かった。
「ほほ、気前がいいな」
珍しく、店主は愛想笑いを見せる。
自分に対しては悪い態度を取るが、客に対してはとことん媚びを売る。
だからミゲルはとりあえず何かを買って、情報を催促した。すぐウリウス商会に駆けつける選択も取れるが、むやみに危険に飛びかかっては自殺と同義だ。
慎重に越したことはない。
「暴動じゃ」
「なに?」
言葉ひとつで多くの可能性が頭中を駆け巡り、しかし悉くミゲルは却下した。
少なくともミゲルは、デミカスからはそういう指示を一切受けていない。
「デミカスの旦那が何千人も引きずって商会のほうに行った。まぁ、様子からして東の野郎も一枚噛んでるようで、いま戦っている最中だ」
「くっそ、最悪だ」
咄嗟の反応で、ミゲルは人の波に逆らって駆け出そうとする。
「ミゲル!」
しかし、その足は少女に呼び止められる。
「ミゲル、わたしは旧市街のほうに行きます」
「ああ?そんなところに行ったってなんの意味もっ」
蒼い瞳。
くっきりとした意志が宿って、ミゲルを見つめている。
その澄んだ意志を間近でぶつけられ、すっとミゲルの頭にのぼった血が冷えていく。
「いいのか」
クリシスが何を言っているのか、ミゲルは当然理解している。
「いいも何も、私以外できる人はいません」
――あんたには逃げる選択肢もあるんだぞ。
その言葉はミゲルの喉にひっかかって、でてこない。
口にしてしまうと、少女の当たり前を汚すような気がした。
「じゃ、頼む」
「はい!」
すると少女は迷わず踵を返して、屋上に飛び上がる。
これからは時間との勝負。
大通りが混乱で人が溢れかえるこの局面で、たしかにそのルートが一番はやいだろう。
「おっさんもこんな命知らずな真似はやめとけ、はやく店閉めろ!」
そう店主に叫んで、ミゲルも駆け出す。




