第18話 群れ
クリシス一行が洞窟に向かっていた頃、ドレシアでは混乱の波紋が広がっていた。
始まりは、朝のセントラル通り。
疫病で活気が絶えた街道に、ぞろぞろと人が集まってくる。普段なら路地裏や旧市街に籠もる存在――ゆらゆらと無気力に歩く底辺に這う者たち――まるで町中に蔓延る廃退を追うように、彼らは病質なほど痩せた体をひきずって、群れを成して進む。
そんなみすぼらしい集団の最前列に立って、初老の男――デミカスは住民に汚物と認識される者たちを影のように引きずって、商会へ通じる坂を登り続ける。
「おまえら、おれ様がいいと言うまで、絶対に手を出すんじゃねぇぞ!今回の目的はあくまで交渉にある。もし要塞に辿り着く前に軍に警戒されて攻撃でもしたら、全部台無しになっちまう。誰が声をあげたらおれ様が先にぶっ殺す、その覚悟で行け、いいな!」
シーンと静まり返る、返事。
デミカスは傷だらけの顔に嗜虐的な笑みを刻む。
都市の闇に生き、他人の不幸を糧に力にする組織にとって、むしろ渾沌こそ勢力を伸ばす好機。異形と疫病に苛まれ、住処と拠り所を失い、あるいは生きる術を奪われた者たち。ドレシアの上層から落ちた者がたどり着いた先は、かつて彼らが 忌み嫌っていた旧市街だった。
数日前の騒動以来、表向きは沈静化が訪れたドレシアで今度は秩序のある暴力が生み出された。
町の守備隊は先日の一戦と疫病の治安維持で人手不足。
住民の不満もここ半年の不景気で爆発寸前。
そして、先日町に来た神の祝福を持った人外たちもミゲルに誘導され、ここから離れている。
現在は間違いなくここ数百年でウリウス商会が最も衰弱している時期であり……
――この歴史的瞬間を、デミカスは何十年も待ち続けていた。
敵襲を意味する警鐘が鳴り響き、患者の安置に回った兵力は大急ぎで武器を取り、商会の周りを固める。
デミカスは冷笑する。
彼らは疑問に思うだろう。
これほどの大所帯が果たしてどうやって守備の目を盗んで、ここまで来たのか。
しかし闇の住民にとってこれこそ容易いことだ。
「デミカス様、ご無沙汰しております」
患者の簡易安置所となった商会のホールから、補佐官が出てきて、一礼をした。
周りは軽装備を身に固めた守備兵。
その目に浮かぶ困惑と不安を確認して、デミカスはさらに口を歪める。
数千人を相手に、たかが数百人の守備兵など意味を成すはずもない。
「久しいな。クラニオ。前会ったのは十年も前になるんだっけ」
手を上げて、デミカスは後ろに続く者どもを止める。
その口調は普段と同じ不遜まじりで、かすかに得意げでもあった。
「はい、わたくしの記憶ではデミカス様がここから出られて以来でございます」
補佐官は普段と変わらぬ丁寧な物腰で応じた。
「して、本日はどのようなご用件でしょうか。ご覧の通り、我々は現在疫病の対応に追われております。たとえデミカス様であろうと、お嬢様が面会するのは非常に難しい状態かと。可能であれば後日の再訪をおすすめしますが」
「お嬢様、ね。何百年も生きてきた婆婆をよくもそんなふうに呼べるものだ」
クックックと、デミカスは喉の底から冷え切った声を出す。
「それに、どう見ても用事があって来たわけじゃねぇだろう。白黒をつけにきたんだよ、こっちは」
「つまり、武力行使、ですか」
いまデミカスの後ろに続く数千も及ぶ人間に、老いた補佐官は視線を投げる。殆どみすぼらしい烏合の衆だが、中にはたしかにオルデン所属の構成員の姿も交じっていた。
「それが何を意味しているのかをご存知ないほど、貴方様は愚かではないはずです。どうか、今日はお引取りお願いいたします」
補佐官の意味ありげな言葉を、しかしデミカスは一蹴する。
「頭のきれる奴は嫌いじゃねぇぞ、クラニオ。分かってるじゃねぇか、おれはそこまで愚かではないって。だからわざわざこういう時期に来てやったんだよ。それに……おれたちは別に争いたくてきたわけじゃねぇ。説明が欲しくてここに集まってきたんだ」
「と、言いますと?」
フッと、デミカスは鼻で嗤う。続いてゆっくりと、まるで自分の尊大さを誇示するようにわざとらしく手を叩いた。すると背中の人波が二つに割れて、金属の光沢を反射するあるものが台に載って押し出される。
六本の足の先端が刃となる構造、真ん中には丸っこい球体。
全体的に蜘蛛だと思わせる外見はいま青と赤が混じった体液に溺れ、周りは蝿が飛び交う。ひどい有様ではあるが――間違いなく先日旧市街で異形と善戦を繰り広げた自律型兵器だ。
「なるほど、やはり貴方様でしたか。通りで数が合わないわけです」
先日西の旅人が異形を崩した後、戦闘に使った金属体は速やかに戦場の処理に取り掛かった。それよりもはやくデミカスが回収できたのが、現在提示される一体。
補佐官の顔が若干こわばる。
「これを、この場にいる奴らにぜひとも見てほしい」
デミカスは声をさらに張り上げる。
機械の表面に付着した汚い液体を意にも介さず、突如金属体の中心となる円球を掴んで掲げる。周囲に漂い始める異臭。すぐ蝿が群がる対象を変えてデミカスの腕に近づくが、最初から図ったように、デミカスは「けっ!」と思いっきり球体を地面に叩きつけた。
「…おえっ…」
守備のひとりが吐いた。
続いて周囲の人間も思わず口鼻を押さえて、我慢の効く者でさえ眉間に皺を寄せる。
臭い自体もひどいが、なにより精神に不快感を与えたのは球体の中身。赤の液体に混じって、魔石の形をしていた何かがドロドロと溶け出す寸前。まるで腐敗した内臓のように、耐え難い異臭を放つ。
「これがなんなのか、ぜひ説明してほしいんだよ。補佐官殿」
「……」
ざわめきが広がる中、補佐官は静かに目を閉じて横に一歩避ける。
「苦労をかけましたわね。クラニオ」
「とんでもございません、お嬢様」
精巧な装飾の施された服で身を包み、ベールで顔を覆った商会の主は姿を現す。
その背後。
商会のホールから依然患者のうめき声が上がっているが……
黒金色の髪を靡かせるその姿が現れた途端、周囲の視線は一気に彼女のところに集まった。大勢を引きずるデミカスと、たった一人で場を鎮めるほどの威圧を放つアルキュミア。
誰こそがこの町の真の支配者なのか一目瞭然な光景だ。
周りを一瞥して、そして地面に潰れた金属体の頭部を見る。
アルキュミアは眉を吊り上げた。
「デミカスくん、わたくしはいまとても忙しいんですよ」
「無論、承知してるさ」
相手の冷えた口調を受け流しつつ、デミカスは再び腕を組む。
歳で緩んだ頬に、猛禽類に似た瞳が獲物を狙い定めるように細まる。
「だから来たんだよ、ウリウス会長。こんな時でなければ商会に近づくことさえ叶わないだろう。問い詰めるならいまがちょうどいい」
「あら、わたくしとしてはいつでも歓迎するつもりですけれど?なにしろ貴方はリアンの血族ですから」
「クックッ、よく言えたものよ」
岩壁に彫り込まれた巨大な英雄像。
――右手に剣、左手に宝石。
ドレシアという町の根本を担う二人は、皮肉にもその真下で敵意を剥き出していた。
「残念ながら、あんたの顔を見るだけで反吐が出るよ、ウリウス会長」
「あらら、ずいぶんなご挨拶ですこと。デミカスくん」
普段と変わらぬ冷やかな態度を崩さず、アルキュミアは余裕を含んだ笑みで応じる。そして街道に ぶちまけられた金属体に視線を 向けて、口を開く。
「これはわたくしの手で開発した対異形用の兵器ですわ。何か疑問でもあるかしら」
「疑問、か。とぼけるならはっきり言わせてもらおう。ウリウス会長、これがなんなのか聞きたいんだよ。仮にも町の支配者だ。もし研究のために人を殺しているなんてことがあれば……筋が通らねぇだろうな」
意図的に間をおいて、デミカスは糺す。
一方、アルキュミアは手を口に当てて、上品に笑った。
「デミカスくん。きみが言っているのはつまりこの場で研究成果を無償に、公開してくださいと言っているのと同じことですよ。旧市街を縄張りにしたといえば、仮にもドレシアの人間です。そんな都合のいいことが起きるとでも?」
「ハハッ、起きるとも」
声を張り上げて、デミカスは笑い出す。
まるでアルキュミアの余裕を馬鹿にするように、傷だらけの顔が紅潮する。
「ただ、公開するのは研究成果ではなく、調査結果だがなぁ!」
呼びかけるように、しかし睨むような視線をアルキュミアから逸らさないまま、デミカスは高らかに宣告する。




