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【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
第二部 英雄の逝く町にて
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第17話 分かれ道

 できれば働きたくない。


 それが間違いなくミゲルの本心であり、昔も今も変わらない信条のひとつだ。


 しかし、旧市街で生まれ育った人間として、ミゲルは世に生きる厳しさを弁えている。


 不幸は下へ、さらに下へ流れていく。


 泥水を啜って育った人間は手段を選ばない。


 つねに必死の思いでその流れを遡ろうとする以外、生きるすべはなかった。


 ――だからこそ、オルデンが掲げる「信」と「義」は下層に生きる者の支持を得た。


 無論、それは組織にとって都合のいい「信義」ということくらい、誰もが重々承知だ。


 信とは、商人の町で根を下ろす基本。


 義とは、飼い犬に手を噛まされないための調教手段。


 でもそのおかげで、多くの人間が道端で野垂れ死なずに済んだのも確かだ。


 このモットーが旧市街に存在する限り、少しは人間らしいことをする余裕は、ある。


 少なくとも、ミゲルはそう信じて疑わない。


 半年前、ウリウス商会とオルデンの間にはまだ雲泥の差があり、組織の実働部隊のリーダーとして、ミゲルは奔走の日々を続けていた。


 客がオルデンと直接取り引きできるよう、峡谷の入り口で待ち構えて、あるいはウリウス商会の顧客を困らせたりするのがいつもの流れだ。


 経緯は覚えていなかった。


 右腕を失った失血で記憶が混乱していると、アルキュミアがミゲルにそう教えた。


 治療室で、周りは仲間だったと思われる肉塊と、歪な形をしている異形の死体。 


 ……そして、アルキュミアは選択する権利をミゲルに与えた。


 義肢を接続してしばらく自分のために動くか。それとも、義肢を接続せずにそのままオルデンに戻るか。


 ミゲルは頭の切れるほうだ。


 だから組織の上に上り詰めることができたとも言えよう。


 アルキュミアは一見選択を与えているように見えて、実は選ばせているにすぎない。わざわざこんな段取りを踏むのは、あくまでそうしたほうが当事者にとって納得しやすいし、行う仕事も効率がいいからだ。


 言葉で最大限の利益を得るのが商人というものだ。


 それを弁えたうえで、ミゲルは見るからに怪しい義肢を接続した。


 理由は単純。


 アルキュミアが出した条件はミゲルには断れないものだった。


 そして、「義」という理念に背きたくなかった。


『異形を黄蛆の洞窟に誘導していただきたいですわ』


 ドレシアが半年にも及ぶ時間の中で異形の危機から存続してきたのは、砂漠の奥という有利な地形にいるから、ではない。


 ミゲルがほぼ毎日のように監視を続けて、異形が来れば黄蛆の巣に誘導していた。


 異形はとてつもなく危険だが、知能が殆ど備わっていない存在である。


 人間を見れば襲いかかり、誰かに攻撃されれば標的を変える。対して、砂漠の王者である黄蛆はその硬い鱗でそんな攻撃をものともしない。


 ――まして自分の巣まで攻めてくれば、結果は一目瞭然だ。


 砂漠の地ゆえに取れる戦法。


 正直ミゲルもアルキュミアの発想には頭が下がる思いだった。


 しかし、同時に解せなかった。


 なぜウリウス商会の者ではなく、わざわざ自分のような部外者を選んだのか。


 オルデンの力を削ぎ落としたいなら、そもそも自分を助けなければいいのだ。


 自分を組織から抜け出させて、そのうえある程度の自由を与えて、遊ばせる。


 その動機はまるで見えてこない。


 不安がないといえば嘘になる。


 しかしこの依頼を引き受けて以来、ミゲルはそんなことを気にする余裕がないぐらい忙しくなった。毎日のように身体に鞭を打って見張りを続けて、命がけで異形と黄蛆の間を駆け回った。


「あんたの荷物を盗んだ日も、実はちょうど異形をこの洞窟に誘導した帰りだったんだよ」


 は――とミゲルは溜息を吐く。


 一旦黄蛆の巣から退却して、鍾乳洞に戻ったなんでも屋はこの半年間のドレシアと異形にまつわる真実を口にする。


「べつにお金とかはどうでもよかったが、ひとが来ればオルデンに誘導する。いつもやってることだ。ただ、いまは申し訳ないと思ってる」


 そう言って、ミゲルは座った体勢で二人に頭を下げた。


「別に気にする必要はないさ。弟子ちゃんにはいい勉強になっただろう。弱肉強食はどこでも一緒だ。危険なのは異形と魔獣だけではありません」


 煙草をふかして、モイラは淡々と応じた。


 一方、荷物を盗まれた当事者――クリシスは半眼になる。


 でも、彼女も別にこのことをいつまでも引きずるつもりはなかった。


「だからあの日あんなに驚いたのですね」


 クリシスは思い出す。


 肢体型(ピエーデ)がドレシア城内に打ち出された時、ミゲルは空を見て言葉を失った。


「ああ、異形なら黄蛆が始末しているはずだからね」


 肩を竦めて、ミゲルは苦笑する。


「あの時慌てて洞窟に駆け寄ってみたが、既にご覧の通りのあり様だ。巣が異形どもに乗っ取られたあげく、肉体も食い尽くされて新しい異形を生む糧になった。いままでうまくいっていたのが嘘みたいに……」


「たぶん、以前はそこまで集まっていなかったからではないでしょうか」


 旅でみつけた破壊された拠点の跡を思い出しながら、クリシスは自分の意見を述べる。


 砂漠は広大だ。


 魔族領から発生する異形はあちこちに点在する人間の拠点を破壊しながら彷徨っている。


 ドレシアはたしかに砂漠の奥深くに位置するが、異形が一箇所に集まってくるのも時間の問題で……むしろ半年も持ち堪えたのが奇跡のようなものだ。


「そして……指揮官型(エプシロン)


 東の部隊からから聞いたその名を、モイラは口にする。


「本能のまま動く異形と、組織的に動く軍隊は同じように見えて実はまるで違う。さっき見た時、どの異形も動かなかった。人間の匂いを嗅ぎ付ければすぐでも襲いかかるはずなんだが……恐らくそれぐらいの統率力があるということだろう。そして、奴らは何かを待っている」


「いますぐ倒すべきです。師匠」


 迷わない口調で、クリシスは切り出す。異形が孵化するところを彼女も初めて見たが、それがいかに禍々しい存在なのか逆に肌で感じることになった。


「洞窟の地形は外に比べてかなり狭いです。私の力を使えば一瞬で燃やし尽くせるはずです。そうすれば町に危害を加えることもありません」


 モイラは押し黙って、しばらく考え込んだ。


 そして煙管を咥えて虚ろな視線のまま、問題をミゲルに振る。


「ミゲル、あんたはどう思う」


「おれ?」


「当然だ。この辺りについて一番くわしいのはあんたでしょう」


 意見を求められると思わなかったのか、ミゲルは一瞬迷いを見せる。しかしいたって正気という二人の顔を見て……分かったと、仕方なさそうに溜息を吐く。


「じゃ、おれは反対だ」


「なっ」


 クリシスは困惑のあまり絶句した。


 てっきり異形を倒してほしいから自分たちをここに連れてきたと思いきや、その相手がなんと反対したのだ。


「二人とも『やろうと思えばできる』って考えてるところがおれにとって一番衝撃的だよ。これだけの数を、ね……こうもあっさり。正直に言おう、異形どもをなんとかしてほしい気持ちは確かにある」


 ミゲルは溜息を追加する。


「でも、それはいまじゃない。おれとしてはあくまで適切な情報を提供したいだけだ。この町じゃ情報が命だからな。西も東も外も大して変わらないと思うが……でも、ドレシアはいま防御工事を構築している段階だ。ここで藪をつつくようなことをしたら、取り返しのつかないことになるかもしれない。たとえば、ここに集まっているのは異形のほんの一部でしかないとする。いま動けば、確実にドレシアの寿命を縮めることになるだろう」


「!」


「そういうことだ、弟子ちゃん。それでもここで異形を倒すべきと思うなら、それなりの理由と説明が必要になる」


「いえ、私はそこまで考えが回らなかったので……」


 クリシスは首を横に振る。


 自分がいかに浅い考えなのかを思い知らされて、悔しくて、でも突きつけられた現実を前に何も言い返せずに、ただ唇を噛む。


 やはり、私は……


「バカ。ちゃんと頭を使え」


 パンと、モイラは強い力でクリシスの背中を叩いた。


「は、はい?」


「ドレシア防御工事が最初から役に立たない可能性。ここでまず一部の異形を殲滅するメリット。ミゲルの言ったことが理に適っているが、すべて正しいわけじゃない。あたしたちは戦力で戦略を覆す存在なんだ。それを弁えたうえで考えろ」


「ええと……」


 まさか師匠が自分の考えを肯定するように話すと思わず、クリシスはきょとんとした顔になった。若干の戸惑い混じりに、クリシスは頭を働かせる。しかし珍しく師匠に認められた困惑と高揚もあり、自分の考えに沿った理屈っぽいことはなかなか出てこない。


「やはり、一度戻るべきだと思います」


 クリシスは答えを出す。


 結局ミゲルの言う通り撤退という選択をとったが、しかし瞳に浮かぶ色は曇りが抜けて、しっかり意志が宿っていた。


「まずは状況を把握して、体勢を立て直します。できればウリウス商会と旧市街、そしてウーイー少佐たちの力も借りたい」


「どうしてですか」


 モイラが聞く。


 仏頂面で、感情を込めずに。


 そのせいでクリシスはまたしても一瞬迷いを見せが、すぐ毅然とした態度に戻った。


「師匠の言ったように、私たちは戦略を覆すほどの力を持っています。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()、ということです。なら時間の許す限り最善を求めるのが正しいでしょう。いま急いで問題を解決したところで、結局自己満でしかありませんから」


 モイラはすこしだけ唇を吊り上げる。


「まぁ、いいだろう。すこしだけは成長したようだな」


 口に含んだ煙管を腰に戻して、灰髪の不死者は煙を勢いよく吐く。


「だが、褒めるような答えでもない。水面下の情報を集めるのも重要です」


「というと?」


「ミゲル、いま異形の状況、ウリウス商会とオルデンはどの程度の情報をもっているんだ」


「ふむ……」


 今度はミゲルが黙り込む番だ。


 何を考えているのかクリシスには分からなかったが、しかしこの場合、沈黙はある意味不誠実にも繋がってしまう。


 でもすでにここまで情報を教えてくれた相手を、クリシスは信じたいと思った。


「両方ともだ。強いていればアルキュミアのほうがより詳しいだろう。ボスは異形の素性とか興味なさそうだからな」


 溜息を吐いて、ミゲルは仕方なさそうに答えた。


「つまり、ここのことはおまえんとこのボスにも教えたってことですか」


「そういうことになる」


「ったく、いったい何を考えてるんだ、アルキュミア。わざわざこんな情報を敵に漏らすような真似をして。まさか仲良くいっしょにやろうというわけじゃありませんよな」


「こっちも知りたいよ。知りたくてしかたがない。不安で夜もろくに眠れないほどだ」


 目元できたクマを指して、ミゲルは苦笑する。一方、モイラは眉を顰めた。


 クリシスが商会の支配者と二回しか会ったことはないが、深い思慮を持つ人物という印象を受けた。だから現在二人が意図が分からないと思うのも納得できる。


「まぁいい、状況はだいたい分かった」


 そう言って、モイラは歩き出す。


 ただ、その方向は来た時と真逆で、異形の巣窟へ一直線である。


「ここは二手に別れよう。異形どもの巣窟 だけでなく、新しい異形にも興味がある。この災害に関する手掛かりが掴めるかもしれない。それに、万が一奴らが動けばあたしがなんとかすることもできる」


「でも、師匠」


「でも、じゃない。これが一番確実なんだ、弟子ちゃん。力をまだちゃんと使いこなせていない弟子ちゃんよりあたしがやるのが一番適任だろう」


 クリシスは師匠の後を追おうとするが、止められた。


「これからどう転ぶか分からない。ただ、異形を全部燃やしたら自分の身に何が起こるか、それらもちゃんと頭に入れろ。あんたにはまだやるべきことがある。あんたしかできないことを、な。とにかく、もしも何かあった場合あたしが戻るまで待ってろ。決して無茶をするな」


 そして清々しいほど言うことを聞かずに、モイラの姿は踵を返す。


 クリシスは立ち尽くして、隣のミゲルは溜息を吐く。


「どうする?」


「……」


 クリシスから見る師匠はいつもそうだ。


 決めたことは説明もなしに、ただやれと言う。


 長い旅の中で、たしかに説明しても無駄だという場面もクリシスはたくさん経験した。しかし、どうも今回は普段と何かが違うような気がする。


「師匠に任されたので、やり遂げます」


 その違和感を拭いきれないまま、それでも、クリシスは師匠の方針に従う。


 それに、たしかにそのほうが理に適っている。


 ――自分に果たしてウリウス会長とデミカスの相手が務まるかは、不安だが……


 すると「そう」と、ミゲルは短く応じて、座った石から立ち上がる。


 いまや視界から消えそうなモイラの後ろ姿を一瞥して、案内役の青年は逆方向へあるき出して……なぜか再び立ち止まった。


「なぁ、ひとつ聞きたいことがあるんだが……」


 クリシスは背中越しでミゲルの表情が見えない。


 たそのだ口調はやや硬く、いつもの怠さがない。


「こんだけの力を持ってるのに、どうしてこんなバカ正直な生き方をしてるんだ」


 バカ正直。


 それは嫌味ではなく、ミゲルにとって一番素直な感想だとクリシスには分かる。


 だからあまり喜ばしい評価ではないが、不愉快になったりしない。


「私にとってこれが当たり前、ですから」


 間違った手段で正しい答えにたどり着いたところで意味はない。


 少なくとも、クリシスはそう信じて疑わなかった。


「そっか、当たり前か」


 苦笑して、ミゲルは肩をすくめて、溜息を吐き出す。


「すまない。馬鹿なことを聞いちまったな」


 そう言ってあるき出すミゲルの背中は、クリシスには一瞬重いものが抜け落ちたように見えた。


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