表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
第二部 英雄の逝く町にて
44/90

第11話 師匠

 目を開いたら、クリシスは知らない部屋の中にいた。


 ふかふかの天蓋付きベッド。綿と羽根を詰めた寝具。周りに飾られた調度品も明らかに意匠を凝らしたもので、一瞬まだ夢の中かと錯覚してしまうほどだ。もし、この部屋中に漂う品の良さをかき消すような煙草の匂いがなければ、きっと、彼女もこの半年間で経験した全てが嘘だと思うのだろう。


「やっと起きたのですか」


 灰髪の女性が隣の椅子に身を委ねている。かたい表情で煙管を咥えて、煙を吹き出す。瞳に滲む色は憂鬱で、どこか嘆いているようで……同時に、激しい怒りが燃えていた。


「し、ししょう!」


 雷に打たれたように、クリシスは半ば反射的に身を翻し、ベッドの上で正座を決めた。


「どうやら間違ったことをした自覚はあるようですね」


「そ、それは……」 


 間違ったことはしていないとクリシスは思う。ただ、約束を破ったのは事実で、それで罰を受けても仕方がないとも覚悟は決めていた。


「町に入る前、あたしが釘刺したことを言ってみなさい」


「はい。本名、不死者、勇者の血族。この三つは必ず隠すこと。聞かれていないことは安易に口にしないこと。言えないことは言えないと素直に応えること。武力行使を選択に入れること」


「それと?」


「それと……」


 言い淀んで、クリシスは下から覗くようにモイラの表情を伺う。


「異形に遭遇した時には、必ず師匠に伺うこと。それができない時、まずは戦線を離脱して、一度合流してから対策を立て直す、こと」


 正座したまま、クリシスは俯いた。


 身に纏うボディスーツ。それはクリシスが能力を駆使しても燃え尽きない特製の品。能力を使うたびに裸になるクリシスを案じて、また彼女がいざという時心置きなく戦えるようモイラが拵えて――しかし、決してクリシスが思いつきで行動するためのものではない。


 異形が町に落ちてきた時、クリシスは合流でもなく、防御に徹して撤退でもなく、真っ先に祝福を使うことを選んだ。


「街中に落っこちてきた異形はともかく、わざわざ城壁の外まで駆けつけて……今回は結果論として運良く異形を退けたのはいいが、もし途中で頭にダメージを受けたらどうするつもりだ。異形以上の災害をもたらす可能性もありますぞ」


「……」


 返す言葉がなかった。


 事実、遠距離攻撃可能な異形はクリシスも初めて見たし、まさか至近距離でふっ飛ばされて、砲撃で岩壁に釘付けにされるとは思いも寄らなかった。手足がもがれた激痛に見舞われた時の記憶をとぎれとぎれで、あの時は殆ど無意識に行動していた。


 故郷が滅んだ記憶がクリシスの脳内に蘇る。


 ベーゼの策略にはまり、しかし屋敷に籠城している領民たちを死に追いやったのは間違いなく彼女自身であり……


「ちゃんとした技術を身につければ、能力を使わずに済みます」


 モイラの口調はかたい。


 基本的に自由人のモイラだが、弟子に対しては普段の行いから想像もできないほど厳しい。これはこうすべき、それはそうしろ。やってはいけないことはきっちり決めて、破ったら涙が出るほどの罰を下す――まさに鬼であった。


 でも、全ては自分のためであることぐらい、クリシスは分かる。


 だからいつもその言葉に身を委ねていたし、反論もしなかった。


「あなたはまだまだ未熟だ。弟子ちゃん。自分すら守れないじゃ、他人のために身を挺するなんて百年も早い。何度も言っただろう。目先の不幸に気を取られては、ほんとうに大事なものがこぼれ落ちてしまう。あなたは、クリシス・フォン・ハルトマンでしかできないことを見極めなければなりません」


 クリシス・フォン・ハルトマン。


 勇者の一族の出来損ない――欠陥姫。


 そして、不死者。


 自分が置かれている立場ぐらいクリシスも分かっている。


「申し訳ございません。師匠」


 しかし……


 クリシスの心臓の鼓動が速まる。


 それでも、こればかりは譲れないと思った。

「でも、目の前の人を見殺しなんてできません!」


「つまり、目の前にいない人間なら死なせてしまってもいい。目の前の町一つを救うためなら、自分の決断で見えない国が滅ぼされてもいいというのか」


 激情に駆られて出たクリシスの言葉と対象的に、モイラの声は冷静で、ひどく無感動だった。


「弟子ちゃん」


 モイラが椅子から立ち上がった。煙管を腰の袋に戻して、クリシスの前に立つ。


「っつ!」


 叩かれる。


 そう思ってクリシスは反射的に身構えるが、なぜか、逆に温かいものが身に覆いかぶさった。クリシスの動きを完璧なまでに見切って隙を縫うように――力量の差を見せつける形で。


「弟子ちゃん、確かにあなたがやっていることは間違ってはいない」


 優しい声が耳元を撫でる。それで恐る恐るクリシスが目を開くと、灰色の髪が頬にかかっていた。旅で慣れ親しんだ匂いが鼻を燻って……クリシスは自分が抱きしめられていることに気づく。


「あたしには分かるよ……あんなふうにされて、意志の弱い人間ならとっくに考えることを諦め、不死の屍になってしまっただろう。それでも耐え抜いてきたのは、あなたが不死者だからではない。あたながクリシス・フォン・ハルトマンだからです」


 ボディスーツ越しに、クリシスにモイラの鼓動が聞こえる。


 旅が始まる最初の頃、モイラはよくクリシスと一緒に寝ていた。


 肌の温もりが一番気を落ち着けると言って、無理やりクリシスを抱きまくら代わりみたいに扱っていたが、クリシスは知っている。


 それは自分が夜な夜なこっそり泣いていたから、モイラが気遣ってくれたのだ。


 だからこそ、どんな酷な修業もクリシスは疑問を持たずに頑張ってきた。


「あたしはこの目でたくさんの絶望を見てきた。『時間』の祝福はあなたの『炎』ほど柔軟に扱える代物ではないが、死ぬ痛みは分かる…………今回もほんとうに良くやったとも思う。でもね、弟子ちゃん。いまあなたがやっているのは、ただの自己満足ですよ」


 あやすような声で、モイラは事実を突きつける。


「反撃剣に徹して、一体ずつ倒していく方法。急いであたしの元に戻り、救援を求める方法。ドレシアの防衛システム、あるいは城外の東の部隊と連携を取る方法。これらは考えたことがあります?」


「いいえ、その時は、そんなに……」


 温かい抱擁にずっしりとした重みがぶら下がって、その切実な思いがひしひしとクリシスに伝わる。ほかでもなく、同じ不死者だからこそ分かち合う痛み。


 炎に包まれた灼熱。


 無理やり体を駆使して戦場を駆け抜ける焦燥。


 砲弾で岩壁に釘付けされて、全身の骨が少しずつすりつぶされる地獄。


 突如泣きたい衝動に駆られて、クリシスの鼻に音がかかった。


「行動する前に、まずはちゃんと考えるんだ。確かに、自分でなんとかするのは一番対処しやすいかもしれない。でもこれが最良ではなく最速というのが常である。弟子ちゃん、あなたは他人を巻き込みたくないと考えるだろう。だからこれからあたしが言うことにはきっと抵抗を覚えるし、反発もする。でも理解しなくてもいい。心のどこかに留めておいてくれ」


 クリシスの背中に回した腕を離して、モイラはしゃがんだ体勢になって、少女の蒼い瞳を見つめる。


「何かを成し遂げたいということは、つまり何かを手放さなければならないことと同義なんだ。たぶん、あなたにはこう言ったほうがいいかもな。自分の命よりも、自分の精神を削り取ったほうがより多くの人間を救える……あなたにはそういう宿命を背負っているのです」


 でも、これではまるで!


「まるであの男みたいなのは百も承知だ」


 何もかも見透かしたように、モイラはクリシスの言葉を遮った。


「弟子ちゃん、この世には他人の正義感を利用しようとする輩が大勢いる。あたしは、あなたがまんまと踊らされてしまうのではないかと心配なのだ。だから、何かをやろうとした時、他人の計画の一部になるのではなく、つねに計画に便乗する心構えが必要だ。いいか、優しさでは世界が救えない。他人を守る前に、まずは自分を守らなければなりません」


「…………」


 クリシスは返事することができなかった。


 ただ涙くんだ目でモイラを見つめ返して、唇を噛む。


 理屈はわかっている。でも、いくらほかの言葉で言い飾ろうとも、彼女の心が納得してくれない。


「馬鹿な娘だ」


 モイラは苦笑した。


 温かい腕で、再びクリシスを抱きしめる。


 嗚咽もなく、ただ涙が絶えることなく、クリシスは泣いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ