間話 娼館
異形を撃退して、二日後。
ミゲルは再びオルデンに訪れた。
正しくは「戻った」と言うべきだが、事実上城壁の向こう側に拠点を構えて、商会の仕事も引き受けているので、素直に里帰りの気分にはなれなかった。
死んだ魚の目で、窶れた顔持ちでミゲルは地下の鉱道を歩く。
「ミゲルさん。ご無沙汰してます」
「ミゲルさん、おはようございます」
「ミゲルさん!」
歩いていくと殆どの人間が挨拶をしてくるが、ミゲルは軽く会釈して目的地へ向かう。
先日の一件以来どこもかしこも混乱した状態だが、幸いオルデンは普段から取締が徹底している。旧市街での戦闘で影響を受けたものの、すぐに組織をまとめて対処することができた。
地下一階の酒場、二階のカジノは負傷者を手当する臨時病院。三階の闇市は物資の置き場。そしてミゲルがいまいる四階、本来娼館にあたるフロアは構成員たちの臨時住居となった。
雰囲気作りのためか、あるいは精臭をかき消すためか。ピンク色の魔晶石に彩られる空間には朧々たる香りが漂う。息を吸うとムッとする甘い感覚が全身をすり抜け、力を抜かれてしまう。
ミゲルはその感覚があまり好きではなかった。
人の正気を掻っ攫おうとするような、地獄へ連れていく嫌な臭いだ。
「あら、ミゲルさんじゃない~」
暖簾を幾つかくぐると、妖艶な格好をした女性が迎えてくる。
本日の受付を任されている者だ。名前はシギマ。
媚びた、ひと懐っこい子猫のような笑みで近づいて、ミゲルの顔に甘い息を吐く。
普通の男ならばその気になるが、昔娼館の護衛をやっていた身として、ミゲルは女性の一挙手一投足が訓練で叩き込まれたことを知っている。
ゆえに自然と溜息がこぼれた。
「すまん、用があるのはアーニャだ」
「ふふふ、かしこまりました。アーニャは今日接客をお断りしていますが、ミゲルさんなら特別に、ね」
別にそういうために来たわけじゃない。
そう思いつつ、ミゲルは口にしなかった。
無駄なことを言う気力があるなら、溜息をついたほうがまだマシだ。
「こちらへどうぞ」
柔らかく微笑んで、女性は細長い通路へ進んでいく。
予想通り、(わざとらしい)喘ぎ声と肉体がぶつかる音が耳に入る。
こういう時、むしろセックスを望む客が増えるのが常だ。
はぁ……
自分もそんなふうになれれば苦労しなくて済むだろう。
叶うはずもない願いに思いを馳せて、ミゲルは案内されて奥の部屋へ進む。
「ここです」
「どうも」
銀貨数枚を渡すと、女性は「あら」と下から覗くような視線をミゲルに送る。
ただ、今度はちゃんと目も笑っていた。
「あたしのところも来てくださいね、ミゲルさん」
柔らかい身体を押し付けて、女性はすっと近づいて、ミゲルの首にキスをした。
避けたいと思えばいくらでもできるが、別に女性とのスキンシップは嫌いではないので、ミゲルは素直に受け入れた。そして、女性に見送られて部屋に入る。
精々二人が横に並べる狭い個室に、薄い絹を着込んだ者が正座をして、合手礼をしていた。オルデンの娼館は、客がいいと言うまで頭を上げられないのが決まりだ。最初から遠慮するつもりはないので、ミゲルは「よっこらしょい」とやや汚いマットの上にあぐらをかく。
「アーニャ、別にかしこまる必要はない。おれだ」
そう言うと、ゆっくりと相手は頭をあげた。
「窶れてるなぁ」
目元に涙の跡が残る、身体の細い少年。普通なら隠す必要のない上半身に扇情的な服を着込んで、長い髪に、肌も女性のようにきめ細かい。
アーニャは、いわゆる男娼というものだ。兄と一緒に拾われた際に戦力も労力も期待されていなかったため、娼館で働くことになった。しかし、接客業の持つべき柔らかい雰囲気を、現在の彼は持ち合わせていない。
しばらく俯いて、少年は服を脱ぎ出した。
「別に遊びに来たわけじゃない」
溜息を吐いて、ミゲルは止める。そして懐から小袋を取り出して、マットの上に置いた。
「ジークが組織に預けていたお金だ。もらっとけ」
これが、ミゲルが娼館に訪れた理由。
先日クリシスを地下に連れ込んだ時門番をしていた男――ジーク。不運にも異形の戦闘に巻き込まれて、多くの人間と同じように、死んだ。
アーニャはジークの唯一の家族だ。
「……」
小袋に視線を注いで、しかしアーニャはしばらく無言を貫く。
気まずい、とミゲルは思う。
高級な娼婦や男娼ならもっとよい部屋を用意されているが、アーニャの個室は狭く、客をもてなす品物も用意されていない。話の種になりそうなものはなかった。
肉体以外に。
「これぐらいがあれば身請けできるだろう。これからは自由の身になれ」
するとアーニャは首を横に振った。
「要りません」と小さい声で言って、小袋をミゲルの前に戻す。
「どうしてだ」
「だって、これはミゲルさんのお金でしょう」
「……」
落ち込んだ表情のまま、アーニャは答える。今度はミゲルが無言になった。
「兄はお金を組織に預けていませんでした。もらうたびに私が預かっていたので。こんな大金、あと何年頑張れば手に入れるだろうと兄はいつも言ってました。ですから、気持ちはとてもありがたいですが…………それに、いま身請けできたところで、使える命があるかどうか」
ミゲルは溜息をつく。
そもそも、アーニャが男娼になれたのも兄のジークがいたからだ。オルデンは別に慈善事業をやっているわけではない。たまには孤児には手を差し伸べるが、それもあくまでミゲルやジークのような組織にとって有用な人間だけである。そのうえ、ボスのデミカスは子供を売春させる行為に対して否定的だ。アーニャが男娼としての生き方ができたのは、 ジークが人一倍組織のために貢献したからにすぎない。
まともな生活が送れるように、兄弟二人はほんとうに頑張った……
しかし、いまのアーニャにとって希望と呼べるものが潰えた。
唯一の家族を失って、外も危険な状況。せめて、オルデンにいれば食いつなげて、身を置く場所もある。だから、諦めて……路地で野垂れ死ぬ奴と同じような目つきになった。
「もらっとけ、でないとおれが目覚め悪い」
ミゲルは先日クリシスを組織に誘い込んだ時のことを思い出す。
あんなふうに気さくに歓迎してくれるのもジークぐらいだと思った。自分も決して楽に生きているわけではないが、元気というものが足りない。だから溜息ばかりついている。
「ミゲルさん、ボスは何かやろうとしているのでしょうか」
アーニャは再び視線を落とす。
ただ、別に小袋を見ているわけではなく、目の中は虚ろだった。
「物騒ではありませんか。あんな化け物を集めて……」
出てきた言葉がそれだと思わず、ミゲルは眉をひそめる。
「アーニャ、知ってるだろ。聞いていいことと悪いことがあるって」
「……はい、でも、病気とか……」
アーニャの言い分は分かる。
事実、ミゲルもそう思っていた。
先日の異形の襲撃以後、ウリウス商会とオルデンはすぐ旧市街に散らばる残骸の処理に取り掛かった。壊れた鉄くずを回収して、異形の死体はそのまま焼き払う。
それでも、街中に病人が一気に増え始めた。
半年前からすでに原因不明の疫病が蔓延している中で、さらにのしかかるような形だ。
にもかかわらず、デミカスは一部の鉄くずと異形の残骸を地下に運ぶよう命じた。
「ボスはボスなりの考えがあってやったことだろう。敵を知ることは大事だ」
「……」
アーニャは俯いて、口を閉じた。
はぁ……っと、ミゲルは腕を組んで、溜息を吐く。
目に浮かぶのは、先日の一戦においてたった一人で異形を蹴散らした少女の姿。
赤い髪を靡かせて、手には高熱で溶けかけた大剣、辺りは消し炭になった異形の残骸。
「大丈夫だ。なんとかなる」
なぜか、自然とそんな言葉が口に出た。
「ミゲルさんそんなことを言うなんて、珍しい……」
アーニャは若干困惑するように言う。ただ、その目にはさっきよりも光が宿っていた。
「あっ、いや、それは……」
自分の失態に気づいて、ミゲルは言葉を言い募る。
しかしいまさら訂正したところでなんの意味もないと、すぐ切り替えた。
「まぁ、そういうことだ」
手をアーニャの頭に乗せて、ミゲルは叩く。
死んだ友人の弟になら、これぐらいの嘘はちょうどいいだろうと思った。




