第8話 再会
「ってことは、荷物はオルデンのところに預かったままですか」
「はい、そういうことになります」
足を組み直し、モイラはソファーに身体を 凭れる。
「強引に奪い返せばいいだろう。言ったはずだ。この町で弟子ちゃんに敵う相手がありません、と」
「でも師匠。間違った方法で正しいことをやっても何の意味もありません」
でないと、あの男と同じになってしまう。
少なくとも、クリシスにとってはそういうことになるのだ。
「ったく。現実はそんなに甘くないぞ。やる時はやらなければならなりません」
「だとしても、いまはその時ではありません」
旅の中で何回も何回も繰り返してきたやり取りだ。そのせいでよく稽古の時にボコボコにされていたが、クリシスは一度たりとも譲らなかった。
「じゃ、その時ってのはいつなんですよ」
「わかりません。でも、その時になったら、心は教えてくれるはずです」
「はぁ……またか。ハルトマン卿に預けられた石に関わっても駄目となりゃ、さすがのあたしもお手上げですよ」
煙管を咥えて、モイラは首を左右に振る。
「でも、この状況はむしろ幸運ですわ。きっと返してくれますよ。デミカスくんなら」
そんな師弟二人の剣幕を見て、アルキュミアは柔らかく微笑む。
「それは、どういう意味ですか」
「可愛らしい質問ですね、クリシスくん。ドレシアの商人は商談が成立するまで嘘をつくけど、合意したあとで一方的に契約を破ることはありませんわ。たとえ汚い手段で成立した商売だとしてもね。まして相手がデミカスくんなら、なおさらです」
一種の確信を持って、アルキュミアは断言する。
「デミカスくんは一度噛み付いた獲物を吸い尽くすまで手放さないタイプの人間です。そのせいで奴隷や娼婦に陥った人間も大勢います。ただ、彼は金貨五千枚という値段を提案して、あなたはそれを引き受けました。これで取引は成立です。普通ならそこまで甘くないのでしょう。きっとミゲルくんの一言のおかげですね。さすがに祝福を持った相手だと、デミカスくんも強く出られませんわ。ふふふ」
あの獣のような人をくんづけで呼ぶのも気になるが、それよりもクリシスは「奴隷」という二文字にひっかかった。
「ウリウス会長はドレシアの管理者のような存在です、よね。どうしてオルデンを止めないのですか」
「止めるというのは、黒い商売のことでしょうか」
「はい」
「はてな、どうして止める必要があるのでしょうか」
むしろクリシスの質問がおかしいと言わんばかりに、アルキュミアは首をかしげた。
「どうして、って」
ドレシアは奴隷制を廃止して出来上がった町だと、クリシスはずっと昔から教わった。しかしいま目の前の女性がそれを否定するような言葉を口にした。
「例えば、そうですね。このドレシアは奴隷の使用は禁止されていますけれど、商品として扱うことは禁止されていませんわ。なぜなら、好き好んで奴隷になりたい者もいますから。管理者としてそういう逃げ口も用意すべきだと考えております」
「はい?」
驚いて、クリシスはしばらく言葉が出なかった。
「そういうことだよ、弟子ちゃん。弱肉強食の世界じゃどうしようもないことが多い。過酷な環境で正しいことをばかりしては死に急ぐようなものです」
遠い目で、モイラはややうんざりした口調で二人の会話に割り込んだ。
「それと、アルキュミア、あんたももったいぶってないで、はやく本題に入りなさい」
「ふふふ、モイラさんは相変わらずせっかちなお方ですわね」
気に入らなかったのか、モイラは鼻を鳴らした。
「クリシスくん、モイラさんがなぜウリウス商会に訪ねてきたのか、ご存知ですよね」
「はい、それはもちろん」
『しばらくはこの町に滞在する。あの男の手かがりがあるかもしれません』
ドレシアに入る前、モイラはクリシスにそう言った。
「わたくしはね、表向きはウリウス商会の責任者ですけれど、実は錬金術師でもありますの。とくに鉱石の軽量化改造、鉱石の復原性、鉱石の模擬神経作成、血液循環による鉱石の操作。簡単に言えば、鉱石による義肢の加工を専門としております」
クリシスは黙って話を聞くことにした。
西大陸で錬金術と言えば、主にスクロール、身体強化のポーションなどの道具作成というイメージが強い。義肢の使用は教会によって禁じられているのだ。
だから町に来た当初はドレシアに義肢の使い手が多いことに驚いたし、モイラがここで情報を集めたい ということにも頷けた。
「さきに申し上げますけれど、あのベーゼという方に義肢を作ったのはわたくしではありませんわ。いえ、正確に言えばわたくしの技術では実現しえません、と言ったほうが正しいかしら。神の祝福を持った方の身体は普通の人間と違うし、またあれほど酷使しても破綻しない義肢は私も初めて聞きました」
柔らかい笑みを口元に刻んで、アルキュミアは一度言葉を切る。
「ただ、それを実現可能にする方なら心当たりがあります」
「つまり、ウリウス会長はそれを引き換えに私たちと取引したい、ということですか」
「ええ、その通りです。呑み込みのはやい子は嫌いではありませんわよ。クリシスくん」
ドレシアは、商人の町。
ここまで来て、クリシスは本当の意味で実感し……そして、アルキュミアという町の管理者。その上品さの後ろに隠れている貪欲は、本質的にオルデンの支配者デミカスと同質ではないと考え始めた。
「そういうわけなんで、弟子ちゃん、あんたの意見も聞きたいところです」
私の意見……?
いつも一方的に押し付けてくる師匠にしては珍しい。
そうクリシスは訝しがるが、すぐ気を引き締めた。
師匠が苦い顔をするほどの条件なら、きっと一筋縄ではいかないと思った。
「わたくしはモイラさんにこの町、ドレシアに残ってほしいのです」
ウリウス会長は静かに語る。
しかし言葉の意味を、クリシスはしばらく呑み込めなかった。
「ドレシアの創始者、リアン・トルヴィスがこの町を創って以来、わたくしたちはずっと中立の立場を保ってきました。西大陸に需要があれば取引し、東大陸から注文が来れば手配します。人魔戦争の際、ときに魔族の方も拙い言葉でドレシアに来訪をして、物資の調達をなさいました。けれど、今回の人魔戦争はいささか度が過ぎたようです。相手は意志を持たないただの肉塊、傀儡ですから。言葉を弄したところでなんの意味もありません。わたくしたち商人にとって最もやり辛い相手です」
テーブルに置いたコップを手に、ウリウス会長は一口つける。お人形のような唇が濡れてつやつやとした光を反射するが、その口元から初めて笑みが消えた。
「クリシスくんも砂漠を渡ってきたならご存知でしょう、異形はあちこち出没し、通商の拠点を壊しております。いずれ、このドレシアにも来てしまうと思われます。我々は一国の軍隊も退けるほどの戦力は所有しているつもりですが、異形相手だと到底立ち打ちできるはずがございません。ウリウス商会の会長として、わたくしにはこの町を護る責務がございます。モイラさんは西大陸では勇者候補という立場だと伺っております。お師匠様の力があれば、少なくとも今度の人魔戦争も無事に耐え抜くと誠に勝手な判断を下しました。正直、できれば二人とも残っていてほしかったのですが、魔王討伐に関われば、さすがに引き止めるのも野暮というものでしょう」
モイラは何も言わない。煙管を咥えて、悶々と眉を顰めていた。
しかし、クリシスにしてみればそんなこと考えるまでもなかった。
「正直、とても怖いです」
真っ先に浮かんだ考えを、クリシスはそのまま口にする。
「でも、たくさんの方を助けるためならっ」
「違うよ。弟子ちゃん、あんたのことこそ最優先事項です」
煙管をおろして、モイラは弟子の言葉を断ち切る。
「大をとるために小を犠牲にする時は必ずある、いくらおまえでも、それぐらいのことは分かるだろう。自己満足に浸ってるんじゃ、救えるものも助けなくなってしまうぞ。それに、この女は別に町のためだけじゃない。ドレシアではウリウス商会の失脚を望む輩が大勢いるんだ。英雄候補を抱えていれば、町を束ねることにも好都合だろう。そうでしょう。アルキュミア」
「あらら、バレてしまいましたか」
手を頬に当てて、ウリウス会長はわざとらしく困った笑みを作った。
「でも、ドレシアが異形に落とされたら困るのも事実だ。異形に滅ぼされてしまえば、東西は今度は本当の意味で往来不可になってしまう。今回の人魔戦争は特殊過ぎる。対応できる手段が多ければ多いに越したことはありません」
私がまだ半人前だから、最善策が選べない……だから師匠は悩んでいるのか。
暗い思考が脳内を一周巡って、クリシスは唇を噛む。
でも、後先を考えずに決めることではないのも確かだ。
「ウリウス会長。あくまで可能性としてですが……もし師匠がドレシアに留まった場合、私はどうやって西大陸に行けばよろしいでしょうか」
「ああ、それでしたら……」
立ち上がり、アルキュミアは窓のほうへ近づく。
そこから見えるのは砂の黄色と木の緑が描く、オアシスの幻想的な風景。
「そうですね。方法の一つとしては、現在ドレシアに滞在中の西の部隊に頼んで、連れて行っていただくことかしら。しかし、西は西で排他的なところがあって、人探しですとかなり不便でしょう。そこで、案内人を手配しようと思いました。クリシスくんにとっても顔知りの相手ですから、ある意味、楽しい旅になるはずですよ」
「私の、顔見知り?」
クリシスの困惑をよそに、ふりふりの袖から手を伸ばし、アルキュミアは軽く手を叩く。
すると長身の補佐官はぬるりと部屋の一角から姿を現す。
「クラニオ、どうやら彼が来たようです。連れてきてちょうだい」
「かしこまりました。お嬢様」
補佐官が部屋を出てわずか数分、ため息混じりに登場するのは、ほかでもなく――クリシスの顔見知り――それもつい先ほどまで彼女を騙していた相手だった。
「ミゲルさん、ですか」
死んだ魚のような目と少女の目が合った瞬間。
ほぼ同じタイミングで二人は盛大なため息を零した。




