第6話 オルデン
「どういうつもりですか」
急いで階段を降りると、クリシスは糺す。しかしミゲルは逆に訝しむ。
「ん?どうもなにも、荷物を回収したいと言ったのはあんただろう」
「そうではなくて、腕、直ったんでしょう。それに縄もいとも簡単に解けました」
「あぁ、そういうこと」
ミゲルは肩を竦める。
「余計な手間をかけたくないだけさ。あんたはおれより圧倒的に強いわけだし、さっきのでよ~くわかったからな。こっちも急いでいるんで、一番効率のいい方法を選んだだけだ」
「そ、それは……」
ミゲルの吐く言葉は明らかに胡散臭い。
しかしクリシスは何かを言い返してやりたいにも言葉が見つからない。
結局ありのままの考えを口にした。
「てっきり私を仲間のところに誘ってから袋叩きする算段かと思いました」
ミゲルは苦々しく笑った。
「なかなかいいアイディアだね。しかし残念」
その無気力の顔に、影が差す。
「仲間だった、ね。いまはそこまで迷惑をかけられん」
そう言いながら、ミゲルは階段の突き当りのドアを開く。
「ここは?」
「ドレシアは元々魔石鉱の産地として有名な場所だ。知らないのか」
少なくとも六人が並んで歩ける坑道に、ぼんやりと魔石灯が光る。
人によって狭苦しいとも受け止める場所だが、所々に装飾が施され、岩石の圧迫感はなく、むしろ落ち着きをもたらす静寂さが漂う。見れば、地面には絨毯が敷かれて、天盤を支えるための木積にさえ精巧な模様が彫り込まれている。
迷いのない足取りで、ミゲルは複数の鉱道の一本に進んでいく。
「知ってはいますけど、まさか鉱山自体がこんなふうに改造されていると思いもよりませんでした」
「初めてこの町に来た人間は知らないのも当然か。ここは廃鉱からできた場所だ。上から下へ順に酒場、カジノ、闇市、娼館。入り口は複数あるが、ここは大きな商売がある時上客のための入り口だ。そのままボスの部屋に繋いでいる」
淡々とした口調で、ミゲルはさらりと重要な情報を口にした。
「ええと、それは……」
嫌な予感がして、クリシスはどう反応すべきか困った。
「今度来る時もこっちの通路を使えばいい。ジークはさっきので顔を覚えたはずだ。ドレシアじゃ赤い髪の別嬪さんなんて滅多に見かけないからな」
「私は荷物を回収するために来ただけですけど」
「そうだ。たぶんそのためには何回もここに来てもらう必要があるから教えたのさ。言っただろ。案内してやるって。こっちも仕事があるから忙しいんだ。今度は自分の足で来るといい」
バク、バク、バク……
クリシスは胸の鼓動がはやまる。
ミゲルはあくまで事務的な口調で述べているが、これから何が起こるか明らかに予見していたような口ぶりだ。
過去のトラウマで、クリシスは織り込まれた計算に支配された嫌悪感に囚われる。
「行くぞ」
しかし撤退という二文字が浮かぶよりもはやく、ミゲルは畳み掛けるように促す。
「おはようございます!ミゲルさん」
鉱路の突き当り。門番らしき男四名はミゲルを見るなり共に深く頭を下げた。
対してミゲルはため息をこぼして、適当に会釈するだけ。
クリシスについて聞いてくる人は一人もいない。
門番の一人が岩板に嵌ったドアを開いて、二人を中へ誘う。
魔石に燈されたホール。左の壁一面に各種の鉱石が陳列されており、右側は刀剣やらが乱雑に並ぶ。フローリングの床には動物の皮を乱雑につなぎ合わせた絨毯。そしてタバコと酒精の臭気が一気に鼻の底まで押し込んでくる。
――所有者のデタラメな性格を代弁しているような部屋だ。
「遅刻するなんざいい度胸じゃねぇか。ミゲル」
いちばん奥。
初老の男が足を机に投げ出してふんぞり返っていた。
後ろに撫で付ける髪は半分も白く染まり、しかし真っ当な人間なら老いと認識する特徴を、男はその傷跡だらけの顔と猛禽類に似た瞳で全てを「悪」の一点へ傾けさせた。
「申し訳ございません。ボっ、デミカス様」
にんまり嗤い、デミカスと呼ばれた男は口元を歪める。
どういうことかしら……
さっきまで敬われていたミゲルが突然縮こまって、この急展開にクリシスの頭はついていけそうになかった。
そのうえ、室内にはまだ二人もいる。
「ほほ、あなたが案内人というわけか」
話したのは薄ら笑いを浮かべた中年の男だ。
目が細く、顎も尖っている。なんとなく、狐に似た顔つきである。一方隣の女性はメガネをかけて、冷ややかな表情をしている。二人とも黒をベースにした服装を着込んでいるため、統一されたデザインからして、何らかの制服だとクリシスは思った。
「どうも。ミゲルと申します」
無気力のまま、ミゲルは挨拶する。
「あら、これがオルデンのやり方かしら。遅刻したにもかかわらず謝罪の一つもないなど。やはり地下に籠もっている組織を信用すべきではありませんわ」
メガネを直して、女性は厳しい口調でミゲルを責め立てる。ただミゲルは反論せず、無言のまま初老の男に向く。
クリシスはその言葉を待っているように見えた。
「まあまあ、セリュー大尉。そうカリカリするな」
「しかし、少佐っ」
「ドレシアにはドレシアの掟がある。私たちの常識を他人に押し付けるのはよろしくない。それに、案内人はこんな可愛いお嬢さんまで連れてきてくれたんじゃないか。私もちょうど男ばかりの空間に窮屈を感じたところだ。ほら、お嬢さんが来ただけで雰囲気は華やかになっただろう?」
「少佐、お言葉ですが、わたしも一応女性ですが」
「ハハハッ、大尉もたまには冗談を言う。軍服を身に纏えばみな戦友だ。男も女もないよ」
軽い調子で、ショウサと呼ばれた男が場の雰囲気を和ませた。
しかし、軍服、戦友……
クリシスは二人の着込んだ制服に注目する。
東との意匠がだいぶ違うが、軍の無骨さはやはり通じるところがあった。
もしかして東大陸の軍隊かしら。
そう考えると自然にオルデンの軍との関連性が気になるが……彷徨うクリシスの視線は不幸にも猛禽類に似た瞳にぶつかってしまった。
背中を逆撫でたような悪寒が走り、クリシスは心をわしづかみされたように縮まる。
「ミゲル、この女はなんだ」
「はい、先日持ってきた荷物の落とし主です」
「なるほど…………そういうわけか」
顎髭を撫でるデミカス。
上から下まで、見定めるような視線でクリシスを撫で回して、クククッと笑い出した。
「東から来た客人よ。どうかうちのもんを咎めないでほしい。西の情報を用意するのに時間がかかったのさ。無論、待った時間と相応な価値はあると思うが」
「なるほど、それは楽しみだな」
ショウサは朗らかに相槌を打つが、目が全く笑っていなかった。
「あの、私は……」
気圧され、クリシスは一瞬言葉に迷う。
対してデミカスは投げ出した足を戻し、今度は机に両手を組んで、身を乗り出す。
顔に表情がない。まるで獲物を狙う肉食獣の目をしていた。
「して、呼びやすいように一応聞くが、女。名前はなんだ」
「ク、クリシスと申します」
「俺はデミカス。このオルデンのボスだ。小耳に挟んで聞いたことはあると思うが、旧市街の支配者という認識で合ってる。いくつか聞きたいことはあるんだが……」
「いえ、それより私はっ」
「まずは俺の質問に答えてもらう。そして俺もあんたの質問に答えよう」
クリシスの言葉を遮って、デミカスは声を張り上げる。
どうしよう……
令嬢として生まれ育ったクリシス。
社交辞令は一応必要な素養として身につけてはいるが、しかしこの手の会話には疎い。
相手の心情を考えもせず、ただ欲望をむき出す人間。
いままで経験したこともない。
クリシスはミゲルを見る。
すると出会ってからずっと元気なさそうな青年は両手を背中に組んで立ち、視線を宙に向けていた。
雰囲気が明らかに変わった。
目の前の男はそれだけ敬うべき相手だと、そんな印象がひしひしと伝わってくる。
「まず、どうやってドレシアに来たのかについて答えてもらおう。正直に、だ。ミゲルの報告だと峡谷に入ったのはたったの二人らしいな。ほかの仲間はどこだ」
「いえ、二人だけですが……」
クリシスはあくまで事実を述べるつもりで答えると、デミカスは失笑した。
「この時期に?二人で?駱駝もなしに砂漠を渡ってきただと?笑わせるなよクリシスとやら」
「デミカス様、失礼を承知で進言したいんですが」
そこで、ミゲルが割り込んできた。
「構わん」
「この女は私より強いです。さきほども殴り飛ばされたあげく、馬乗りされ、何発も喰らいました」
しっかり力を乗せた言葉で、ミゲルは口にする。
「ふむ、どおりで汚いなりをしやがると思った、そんなことがあったのか」
簡単に処理したものの、路地で倒れたせいで、ミゲルの格好はたしかに客人の会見に似合わないものだ。
「しっかし、ミゲルがそう言うなら間違いないだろう。分かった。信じよう」
つまらなさそうに口を歪めて、デミカスは椅子のもたれに寄りかかった。
「神の犬め」
続いて、吐き捨てるように不機嫌を表す。
「神の祝福を持つ旅人よ。西の現状について詳しく教えてもらいたいんだ、いいかな」
この人、ミゲルの話を聞いた途端、途端態度が……
コロコロ状況が変わって、クリシスは思考がさらにカオス状態に陥る。
その時、まるでクリシスの混乱に気づいたように、隣のショウサが切り出す。
「クリシスお嬢さん、我々は西大陸の状況について知りたいのだよ。なにぶん、異形との戦いはすでに何ヶ月も続いているからね」
狐顔の男は薄い笑みのまま、淡々と告げる。
「ご存知ないかもしれないが、東ではこういう時期になると、いつも防御戦に徹しているのだ。なにせ、魔王を倒すのは勇者の役目だからね。我々東大陸の人間がいくら頑張っても仕方がない。それで勇者の動向が気になったわけよ」
「なるほど……」
だから西大陸の情報が知りたいのか。
「すみません、どう話すべきか。考えてみます。少しお時間をください」
というのはあくまで建前で、クリシスが思い出したのは町に入る前にモイラに釘を刺された言葉だ。
『本名、不死者、勇者の血族。この三つは必ず隠すこと。弟子ちゃんは嘘をつくのが下手だから、聞かれていないことは言わない。言えないことは言えないと素直に答えるといい。それなら中途半端な嘘よりずっと通用できるはずだ。当然、武力行使で攻めてくる輩もいるだろう。その時は遠慮なく殴り返せばいい。安心したまえ、この町でいまの弟子ちゃんに勝てる人はいませんから』
どこか釈然としない部分はあるものの、たしかにためになるアドバイスだ。
軽く息を吸って吐き出し、クリシスは気持ちを整理する。
この場に四人の顔を見比べてみると、ミゲル以外みな一様に真剣な眼差しだ。
なら、西の人間として、たしかな状況を伝えるべきと考えた。
「私が西から旅立ったのは半年前のことです。その時、第一次防衛戦の中枢であるハルトマン領は既に陥落してしまい、戦線も崩壊しました。勇者、サルース・フォン・ハルトマンが率いる直属の部隊も前線から撤退を余儀なくされ……客観的に見ると、ひどく芳しくない状況だと思います」
「それは、」
タイイは息を呑み、デミカスは「やっぱりか」と冷笑する。
中でショウサだけはあくまで冷静な面持ちである。
「確か、ハルトマン領はすでに何百年以上も魔族からの猛攻を凌いできたはずだ。それに現代領主のズィーゲル・フォン・ハルトマンは『封印』の祝福を受け、防御戦に特化した術式も開発していると聞く。それでも異形の進撃を耐えられなかったのか……どうやら東はまだ東はマシなほうだぜ、大尉」
ショウサは冗談めかしに軽口を叩くが、タイイは硬い表情で無視した。
「はい、あくまで私見ですが、歴史を鑑みて、今回の人魔戦争は十数年に亘る可能性があると思います」
実は師匠の予測だが、クリシスは見様見真似で口にする。
「じゃ、クリシスよ。きみはなぜこの時期にドレシアに訪れたのかね」
今度質問したのはデミカスだ。
「それは言えません」
「ふむ……」
即答すると、デミカスの目に鋭い光が過ぎり、でもすぐ短く鼻で笑った。
「じゃ、問題を切り替えよう。あんたの荷物を漁ってみたが、中から変な石が出てきてねぇ。見ての通り、このオルデンは鉱洞の中に拠点を構えるほど鉱物と親しみのある組織だ」
左の陳列棚に並ぶ数々の鉱物を一瞥して、デミカスは口元を歪める。
「この歳まで生きて、古今東西、全ての石は一通り見たつもりだ。でも、まさかプロの職人も分析不能で、その上、切断しようとしたら道具が毀れてしまう代物が出てっ」
「あの石はあなた達がたやすく触れていいような代物ではありません!」
クリシスは叫んだ。
たかぶる気持ちを抑えきれず、じんわりと、涙が目尻を濡らす。
これが、クリシスが何日も昼夜問わず荷物を探し続けていたほんとうの理由。普通の装備なら改めて買い揃えればいいだろう。しかし礎の石――父が遺した『封印』の聖遺物は、世にたったひとつしかない。
自分の未熟が原因で礎の石が他人の手に渡り、あげくのはて調べられてしまう始末。
その悔しさと怒りでクリシスは激情に駆られる。
「ボス!」
室内の騒動が外まで伝わったのか、ドアが乱暴に開かれる。
すると、デミカスの表情がみるみるうちに沈んだ。
「誰が入っていいつった!」
目を見開き、顔中の傷口が蛇のように蠢く。
凄まじい形相で、デミカスは机に置いた鉱石を掴んで思いっきり雪崩込んできた者に投げつけた。
鈍い音がして、続いて悲鳴があがる。
振り向くと、男のひとりが目を押さえて床で藻掻いていた。
「失せろ!」
にもかかわらず、デミカスは吐き捨てるように吼える。
「も、申し訳ございませんでした!」
無事だった者が怪我を負った男を外へ引きずって、すぐさまドアは閉じられた。
「失礼、手下たちが勝手な真似をして、見苦しいところを見せた」
ほんの一瞬のできことで、クリシスはただ呆然と立ち尽くす。
さっきまで胸にあった憤りが嘘のように消え、代わりに消化不良の虚しさが残る。
ショウサはやれやれと肩を竦める。タイイはメガネを掛け直す。ミゲルは、部屋に入った当初と同じく無表情だった。
「商売の話に戻ろう。西から来た旅人よ」
「しょう……ばい?」
「そうだ、ここは商人の町、ドレシアだからな」
乱れた髪を後ろに撫で付けて直しつつ、デミカスは不敵な笑みを口元に刻む。
だが、その胸の鼓動は激しく、さっきより若干疲れているように見えた。
「ったく、歳にはかなわん。どこかの野良犬が快く後を継いてくれれば、今頃はとっくに安泰なのによ」
その言葉でミゲルはびくと反応して、でもやはり何も話さない。
「さて、話を戻そう。クリシス。俺はあの石がいったいどういう代物かは知らん。出所が分からなければ、値付けようもねぇ、が……さっきおまえさんの反応を見る限り、そんなの関係ないぐらい重要なものようだ。んで、金貨五千枚を出せば、返してもいい」
「金貨、五千枚?」
「そうだ。おまえさんにとってそれだけ価値のあるもんだろ」
腕を組んで、デミカスは全てを見透かしたように言葉を吐く。
あぁ……そういうことなのか。
クリシスはやっと分かった。
この部屋に入った瞬間から、自分はずっと観察されているのだ。
西の情報といい、荷物のことといい。
目の前の人間にとってこれらはすべて駆け引きの材料にすぎない。
ミゲルも承知のうえで自分をここに誘導した。
もしもっとうまく立ち回ることができたら――たとえば荷物についてもっと無関心な行動を取っていれば、いまはまったく違う結果になっていただろう。
でも……仕方ないじゃないか。
クリシスは唇を噛む。
お父様が託してくれた礎の石が他人の手に渡ってしまった。こんな状況で落ち着いていられるほうがおかしい。二日も奔走して、ようやく……そもそも師匠もそうだ。荷物に礎の石があると知って、なんで持っていかれたのを黙って見ていたのよ。私を鍛えようとしても度が過ぎているじゃないか。
見知らぬ土地で、アクシデントが連発する状況。
いろんな考えが頭中を駆け巡り、クリシスの気持ちもどんどん暗くなっていく。
「そんな大金はありません。荷物を返してください」
「できない相談だな。荷物を落としたおまえさんが悪いからな」
クリシスは毅然な態度を取ってみたが、案の定一笑に付された。
こうなると残される選択肢は当然「奪い返す」ということになるが、クリシスは却下した。
そんなことしたらあの男――ベーゼと同じになってしまうだろう。
自分の正しさを求めるために悪に手を染めたら、もう、二度と戻れない。
「まぁ、この場ですぐ出せとは言わねぇよ。一週間くれてやろう」
立ち尽くすクリシスに、デミカスは再び椅子に身を任せて、にんまり笑った。
「たしか、旅の仲間はここ何日ウリウス商会を出入しているようだな。あそこにとっちゃ金貨五千枚なんざ安いもんだろう」
私のことだけでなく、師匠の動きまで調べ尽くしている!
『今度来る時もこっちの通路を使えばいい』
すると、さっきミゲルの言葉がふと頭を過ぎり、クリシスは悪寒を覚えた。
「ちょっといいかね。デミカス殿」
そう切り出したのはショウサだった。
デミカスは足を組み直し、「言うといい、客人よ」と頷く。
「クリシス殿の荷物の身代金ですが、私からも半分を出させてもらおう」
「えっ」
「待ってください、少佐、こんな大金!」
タイイが明らかにクリシスよりも困惑している様子だ。しかし手を上げ、ショウサは何か言おうとする仲間を止める。
「代わりに、後日また西大陸の情報をさらに詳しく教えてもらいたい。どうやらデミカス殿は西側の情報にそこまで興味がないようだからね」
「ええと……」
正直、どうしてこうなるのかクリシスは分からなかった。
しかしショウサは「いいよね、クリシス殿」と再び念押しをした。
その口調は、拒絶を許さない圧力がこもっていた。
「それは、もちろんですが……」
クリシスにしてみれば願ったり叶ったりだが、さすがに金貨二千五百枚はどんな価値をしているのかも知っている。
もしかしてまた罠か。
とも考えるが、クリシスにとって西大陸の情報なんてただで教えてもいいので、断る理由がない。
「クック、良かろう。東の客人は今後とも末永く、よろしくお願いしたいんで、ここは譲ってやろう」
デミカスは鼻で笑い、肩を竦める。
一方、ショウサは契約変更の旨を伝えて、今度は優しい笑みでクリシスのほうに向いた。
「とにかく今日は一度帰ったほうがいい。後日は我々のほうから改めて訪ねよう」
「え、ええ。ありがとうございます」
反射的にスカートを摘み上げて一礼をしようとするが、クリシスはふっといま着込んでいるのはドレスではないことに気づく。
マントにボディースーツ。
すでに旅人の装束になった自分を、クリシスは改めて見下ろす。
故郷のドレシアでは、疎まれてはいるが少なくとも表向きは誰もが自分の言葉を軽んじることはなかった。ただ、ここは違う。
現在このドレシアにいるのはクリシスであって、クリシス・フォン・ハルトマンではない。
もっと、自覚を持つべきでしょうか。
そう思うクリシスだが、しかし自分はすでに商人の町という沼にはまりつつあると、そう感じた。




