プロローグ 2
果てしない黄色が蔓延する大地は、人間にとって非常に過酷な環境である。
いつもならば商隊に追随して向かうのが筋というモノだろう。しかし、異形により設置された拠点がことごとく潰され、東西を繋ぐ商路はあっけなく閉じてしまった。
空を飛ぶ鳥、動物の足跡。
水源を探す要領で人の跡が途絶えた商路を進み、二人は今日も果てしない砂漠を歩く。
苦痛を感じることがあっても、死には至らない。
ともに不死者ゆえの旅路だ。
ただ、長い旅路で、モイラは気づいた。
勇者の血族クリシス・フォン・ハルトマンはやはり欠陥品であると。
――それも、体と心の両方。
不死者にとって最大のアドバンテージと言えば、無論不死である。
長い歳月に亘る知識と経験の蓄積は、さながら無数の分岐から合流する大河のごとく、強くて強靭で、必要となれば海にすらなりうる。
モイラが反撃剣の真髄を身に付け、やがて師匠である英雄テイオ・レグゲートに認めてもらったのも不死の体のおかげだ。
数多の死線を潜り抜け、常人では決して得られないような経験を手に入れたからこそ、あらゆる攻撃を受け、流す、叩く技巧を身に付けた。
しかし、どうも自分の弟子にとって、不死は最大の弱点でもあるらしい。
現に、一緒にあるき出したにも関わらず、クリシスは数分も経たないうちにヘトヘトになっている。
顎に汗が滴り落ちて、目の周りが窪み、重度な衰弱状態になっている。
クリシスはよく頑張っていた。
モイラが何年もかけて学んだ反撃剣の基礎を、わずか数ヶ月の旅路で身につけた。
さきほど黄蛆と対峙して無傷でいられたことといい、血が滲むほどの努力はさることながら、モイラ自身と比べても、その進歩の速さは目をみはるものだった。
才能はある。
ただ、そこで問題になったのは、戦闘における基盤、つまり体力のほうだ。
力量、速度、持久力。
実戦において重要な素養を、クリシスはどれも激しく欠如していた。
最初は鍛錬を積めば成長するとモイラも思った。
なにぶん、クリシスは自分が不死者としての自覚がなく、今までずっと令嬢として生かされてきた。
ゆえに片手剣を数分持つ程度で息を切らしそうになった時モイラも一笑に付したが……
一ヶ月を過ぎた辺りか。
クリシスは自分の一撃を受けるようになったにもかかわらず、なお筋肉がまるでつかなかった時、モイラがようやく違和感を覚えた。
気づいたのは、クリシスの身体の成長が止まったこと。
そして、燃えるような赤髪にかかっている灰色が半年に及ぶ旅の中で日に日に範囲を広げ、いまなお侵食が進んでいること。
モイラは結論を出すほかなかった。
つまり、クリシスはあの男、ベーゼ・バラトルムと出会った日に死を強いられた瞬間から成長が止まり、常にその状態に戻され続けているのだ。
クリシスの持つ不死の呪いは、身体を薪のように燃やし、間断なくエネルギーを放出している。
どんな怪我を負ってもすぐ完治できるという不死者の中でも類まれな能力はあるものの、身体の成長が止まるという致命的な欠点が伴う。
不死者は身体が祝福に適合するようにできている。
過度に力を駆使すれば髪が灰色になり、やがてただの災厄になってしまう。
――だからこそ、不死者は追われる身になる。
自身の意志と関係なく蠢く膨大な力は、いわば時限爆弾と変わらない。
正直、体の変異がまだ進んでいる段階でこれほどの力を発揮できる不死者を、モイラも初めて見た。
いまのところ、朗報と言えるのはクリシスが頭部を破壊されない限り、身辺に火炎を撒き散らさないことぐらいだろう。
モイラの持つ『時間』の祝福と似て非なるもので、同時にさらに悪質な存在だった。
その事実を、モイラはクリシスに突きつけた。
すると、旅が始まって以来自分の主張を殆ど持たない不死者の少女はしばらく俯いて、「あと何年持つかしら」「聖剣を取り戻せるなら、気にしません」「お父様の能力を使えば、再び成長できるかもしれません」と極めて冷静な口調で答えた。
モイラ自身も『吸収』の力を持つ遺剣テイオで正気を保っている身だ。
クリシスには父ズィーゲルの『封印』を頼りに、何年間にも亘って普通の人間に戻った過去もある。
聖遺物を完成させ、クリシスの意志で祝福が制御できれば、このジレンマから脱却できる可能性は十分ありうるだろう。
だからこれは仕方がないことだとモイラはひとまず棚上げした。
いま解決すべき問題は、クリシスの心のほうだ。
人間には生まれながらの魂の形がある。
若気の至りとも取れるが、ハルトマン領の一件以来、どうもクリシスが幼い頃から抱いた願望は確固たる信念に変わってしまったようだ。
――心が告げている。
理性ではなく、心の不条理に耳を傾けるなんて。
モイラはそんな弟子の行動原理の理解に苦しんだ。
長い時に亘って生き、モイラは人の心はすり減っていくものだと知っている。
積み重なる行動により徐々に慣れてしまい、やがて冷淡になるのが人間である。
不死者として、勇者候補として、モイラはそういう事例を飽きるほど見てきた。
だから心に任せるのではなく、しっかり線引きして、自分を律することが大事だ。
クリシスには一度も口にしてはいないが、モイラはベーゼが娘を救うために他者の命を容赦なく奪うことにこそ敬遠しているが、手段を選ばない態度自体はかっているのだ。
神は、それほど選ぶ余地を自分にくれなかった。
このままでは、クリシスはいくら強くなったところで、ベーゼの足元にも及ばないだろう。
むしろ混沌に染まって、あるいは壊れることさえありうる。
不死者には不死者のやり方がある。
邪悪を打ち消すほどの光を、持っていいはずがない。
そのせいで、旅の途中からモイラは迷いを生じるようになった。
この時期に前線を離れ、クリシスを連れ回すのは本当にいいのか。
ズィーゲル・フォン・ハルトマンが遺した礎の石だってそうだ。
教会に渡せば、快く勇者のための武装にしてくれるだろう。
――ひがし大陸、へ……
あの夜、幸いにも礎の石を回収できた時、『封印』の祝福を持つ賢者ズィーゲル・フォン・ハルトマンはその言葉を遺した。
最初は聖遺物を東の技術で完成すべきものだと思った。
しかし旅の中で疑問を覚えて、困惑した。
そもそも、当時のズィーゲルは意識が曖昧で、自分をほかの誰かに勘違いした可能性だってある。
わざわざ大陸を渡る意味を、モイラは考えてしまった。
本気を出せば、モイラは城の一つを取り戻すことだってできるだろう。
勇者候補とは、それができる人間なのだ。
でも、一度決めたことを投げ出すのはモイラの性分に合わない。
動きやすいように若かりし頃の風貌をしているが、年齢なんてとっくに覚えていなかった。
今さらガキみたいに中途半端な不始末をやらかすはずもない。
それに……
振り返って、モイラはもう一度後ろの弟子を見る。
体力の限界がきているにも関わらず、しっかりついてきている。
その青い瞳に映る光は紛れもなく勇者の血を引く者が持つべき煌めきだ。
煙管を一度ふかして、年配な不死者は視線の果てにある岩色の線を眺める。
まもなく旅の中間地点にたどり着く。
あの東西を繋ぐ貿易の城がまだ滅ぼされていなければいいと、心の底から願った。




