エピローグ 始まり
黒焦げた大地。無数の木々が倒れ込み、パリパリと断末魔をあげ、炭化した箇所から赤い糸が明滅する。
ここは始まり。
ベーゼという男と、勇者候補のモイラが戦った場所。クリシスが父に預けられた聖遺物を奪われ、不死者として目覚めたあげく暴走し、記憶を失った場所。
ゆっくりと、一歩一歩、クリシスは領地のすべてが一望できる山添の山道へ向かう。ヒリヒリした熱さが足裏に伝わり、淀んだ空気に肺を圧迫する。
けどあの時のような不安はなかった。
目の前の風景を、ただ少女は呆然と見つめる。
草原を踏み抜いて散っていく魔獣の群れ。故郷と呼ぶ場所に、いまやただの廃墟が残る。火の赤も無ければ、最終防衛術式の緑もない。黒く靡く煙が尾をのばし、まるでこれからほかの都市を蹂躙しにいく異形の勝姿を讃えるように、ゆらゆらと舞う。人の形をする者はいない。異形の糧となり、新たな異形を産むエネルギーと変貌し、消えて亡くなってしまった。
――もはや、何もかも……。
「モイラ様」
「師匠でいいよ。弟子ちゃん」
鷹揚のないクリシスの言葉に、勇者候補――モイラは煙管を取り出し、魔石で火を付ける。
整った顔たち、長い銀髪。至るところに異形の血がべったりついて、さして気に止めることなく、考え込むように、クリシスと同じ風景を眺めていた。
「私たち、これからどこへ行けばいいんでしょうか」
「東よ」
あっさりした声で、モイラは返事した。
「お兄様のところへ、ですか」
「いいえ、勇者にこんな迷惑をかけていられないだろう。私たちは不死者だ。前線に立てば死ぬし、死んだら正体がバレる。人目につく場所は勘弁ですよ」
「じゃ……」
前線のさらに東。あそこはもはや魔族の領域であり、異形の発端。
まさか……。
「東諸国に行くんだよ。この時期だと少々厳しい道程になるが、行けないわけじゃない。反撃剣の伝授、なによりハルトマン卿の遺志を全うするためにはあちら側の技術を借りる必要があります」
「お父様の、遺志?」
「そうです」
右手をタイツスーツの胸元に突っ込んで、モイラは一粒の宝石を持ち出す。
「きみが持つべきものよ」
そう、クリシスに手渡す。
一見、何の変哲もない宝石だった。不規則な輪郭が凸凹を綴り、反射で映し出す光も、どこか仄かな印象を受ける。なのに、クリシスが手にとった途端、突如眩しく変貌した。
時に白、時に紫、時に青、時に赤。数え切れぬほどの色が交互に自分を主張し、まるで世の中の全てを魅了するかのように輝く。
しばらく、クリシスは言葉を失った。
分かっていても、受け入れるのにどうしても時間がかかってしまう。
聖遺物は、血を分けた人間しか効果を発揮できない。
そしてこの光は何を意味しているのか。
クリシスは手に持った瞬間に理解してしまった。
「これが礎の石。聖遺物の原材料です」
……。
「ハルトマン卿が死を悟り、己の身を削って残してくれた。私たちはこれをちゃんとした聖遺物にしなければならない。それも、対異形専用のものにね。そのために、東側の技術を借りる必要があります」
領主ズィーゲル・フォン・ハルトマン。
常に己を律して、勇者の血族らしく振る舞った男が籠城の際に殆どの責務を放棄し、書斎にいた本当の理由を、モイラは口にする。
「さすが『封印』の祝福というべきか。まさかお一人で成し遂げるとは。あたしも運がよかったとしか言いようがない。あの夜、まだ不完全な状態で屋敷に潜って書斎に入ったら、ちょうどハルトマン卿が儀式を完成する瞬間を見届けた。一步でも遅かったら、これもベーゼくんの手に陥っただろう。元対不死者の専門家だけあって、あいつは手強い。それでもなんとかこれをきみに渡せるのは、不幸中の幸いでしょうね」
一滴、また一滴。
頬に伝わって、涙が石に滴り落ちる。
いつの間にか、クリシスは頬を濡らしていた。
「ハルトマン卿は誰よりもはやく援軍が来ないことを悟っただろう。事実、北、南の二つの戦線が同時に崩壊して、勇者のいる東側も防御線も撤退を余儀なくされたらしい。数と質量で押してくる異形どもと野戦を行うのはもってのほか。陣が整う前に蹴散らされるのが目に見えてるからね。ゆえに一度陥落したハルトマン領を奪還するのは現時点において不可能に近い。ハルトマン領を援助しにくる余裕なんて、どこにもないのよ。だから、これがハルトマン卿が領主としての最後の矜持だろう。せめて城とともにいたい。消えるなら勇者の家系らしく、己の身を聖遺物にします」
煙管を咥えたまま、二三度ふかす。
モイラが吐き出す紫煙が立ち昇り、その表情は虚ろだった。
「弟子ちゃん、思わぬ事態で聖剣を勇者に届けられなかったのは仕方がないが、それでもきみが屋敷に戻ったことはハルトマン卿にとっての救いだろう。少なくとも、こうして儀式が成功したとき、その死は意味あるものになりました」
言葉にならぬ嗚咽を零し、クリシスは手の甲で目尻を何度も何度も拭く。
しかし涙は止まることなく、瞳の端から溢れ、頬を伝って落ちる。
「なにをすべきか、きみなら分かっていますよね」
「はい」
涙ぐんだ声でクリシスは応じ、しかし心を奮いたとうとする気持ちは逆にどうしようもない悲しみにとらわれ、逆に崩れ落ちた。
「泣くなら、今のうち泣き尽くしておけ。今回の人魔戦争は以前のものとはまったく別種のものだ。これからは暗黒の時代になる。そして、あなたはハルトマン家の人間です」
「わか、っています」
礎の石を、クリシスは精一杯の力で握り込む。空っぽになった心を、割ったものを拾い集めるように、心の鼓動に耳を傾けて、力を集う。
「モイラ、さま……」
銀色の瞳。複雑な感情が絡んですすり泣くクリシスを見た。
「わたしを、弟子二してイただけな、いでしょうか」
「馬鹿なことを、覚えていないかもしれんが、きみはとっくにあたしの弟子ですよ」
「いいえ、こんどは、わたしが……わたしの……意志で」
父に言われたままに進むのではなく、自身が決めて、選ぶ。
鼻音混じりに、それでもしっかり意志を持って、クリシスはモイラを見上げた。
「なるほど、そういうことか。分かりました」
煙管を叩いて、腰に戻す。
「英雄テイオ・レグゲートの名において誓う」
崩れる少女の頭に、モイラは手を差し伸べる。
「反撃剣直伝――モイラ。今日この日をもって、クリシス・フォン・ハルトマンを弟子とする」
非常にシンプルな言葉だった。
こういうまどろっこしい作法には不得手という感覚はひしひしとクリシスに伝わる。
しかし……。
「これでいいか。弟子ちゃん」
「ありがとう、ございます」
深々と、クリシスは頭を下げる。
行き場のない悲しみは、最初の一歩を踏み出せた安堵をきっかけに、今度こそ堰を切ったように崩壊した。悲鳴に似た嗚咽をあげ、少女は撃ち抜かれたように震えだす。
――不死者。
生涯世界の陰にしか存在していられない存在。
一昨日までのクリシスなら、きっと自分の呪わしき身体を、にもかかわらず身勝手な正義感に支配されていたことを嘆くだろう。しかし、正しい答えが最初からなかったと、いまのクリシスは思ってしまった。
忠義を貫くために命を捧げる者。
災厄を阻止すべく盲目になる者。
家族を救いに修羅の道を歩む者。
この目で故郷が滅びるのを見届けた少女は、わずかばかりの希望を縋るように進むことを選ぶ。
せめて、あの男を止めなければならない。
聖剣をベーゼの手に渡した責任を、それによって狂い始めた歯車を。
己の心に従って……
過酷で、何度も生き返る旅路へ、不死者クリシス・フォン・ハルトマンは向かうのだった。
『ハルトマン領陥落』を最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。
『灰に至るまで』を書くきっかけは『正義の教室 善く生きるための哲学入門』という本です。
わりとラノベ口調で正義に関する哲学を書いた本だが、中で「30人の幼児と自分の娘、どちらを助ける」という問題に対して面白く語っていました。
なら、対立する二人の主人公を作れば面白いじゃないかな……と思ったわけです。
第二巻 『灰に至るまで』砂漠編 クリシス視点
番外編 『約束の果て』 氷原編 ベーゼ視点
第三巻 『灰に至るまで』東大陸編 クリシス視点
番外編 『約束の果て』 聖王国編 ベーゼ視点
第四巻 『灰に至るまで』ハルトマン領奪還作戦 クリシス&ベーゼ
…………(ネタバレ防止のモザイク)
…………(ネタバレ防止のモザイク)
など、合計八巻
これからはクリシスとベーゼ二人の物語を交代で書いていく感じです。
クリシスが東へ向かい、自分の心の声を言葉にしながら成長し、
ベーゼが西へ向かい、人類をさらに窮地を追い込みながら娘の身体をかき集める
最後は再び交錯する。
そのためのダブル主人公。
全体のプロットはすでに完成して……結末から遡るように書きます。
第二巻 ー英雄の逝く町にてー
およそ四ヶ月後書き上げます
正義よりも信義を重んじる商人の町で、少女が成長する物語です。
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これからもよろしくお願いいたします。




