表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
第一部 ハルトマン領陥落
28/90

第27話 師匠

 戦いの終決を、クリシスはただ呆然と見つめた。


 見渡す限り氷の青に染まった世界に、かつて最終防衛術式と呼ばれた破片はひらひらと舞い、廃墟と化した屋敷に落ちて、消えていく。上空から分解して砕けていく様は、これから起こるのであろう災厄への皮肉のように、とてつもなく幻想的だった。


 見習い神官が身を削って放った天地をひっくり返すほどの衝撃は結局男――ベーゼに届かなかった。空を切り裂く黒い閃光は魔力の奔流さえもいともたやすく切り裂き、同時に辛うじて支えていた最終防衛術式の最後のひと押しともなった。


 その一撃。漆黒の色に染まろうと、クリシスには見間違うはずがなかった。


 今亡き警備隊長ファルミの切り札――『気』の祝福を応用して、刃を鞘から弾き飛ばすことによって凄まじい風圧を走らせる抜刀術。


 男はそこに聖剣ハルパーの『空間』を歪ませる力を上乗せして、さらに反撃剣カウンターブレイドで相手の隙を見極めた。


 クリシスは男が銀色の鞘を腰に帯びたところを思い出す。


 恐らく男は最初からそうするつもりだったのだろう。


『再現』の祝福を持ったとしても、咄嗟の思いでエネルギーさえ両断する技を完成できるとは思えない。


 誰も彼も欺いた挙げ句自分を爆弾として使ったことといい、目的を果たすために罪を犯すのも厭わないところはまさに悪魔の所業。


 しかし……クリシスはなぜか目の前の男が憎めなかった。


 ぱりんぱりんと、最終防衛術式は崩壊寸前の断末魔をあげる。


 うごめく異形の群れは衝撃に引き寄せられ、一気に上ベリーになだれ込んできた。強靭な尾を振り回し、ずいずいと神経を逆撫でるノイズを発する。待ちかねた食事を蓋ごとひっくり返すと言わんばかりに、バンバンと亀裂し始めた術式に巨体をぶつけている。


 その中央――かつて大広間だった場所に、直に襲ってくる脅威を意に介さず男が立っていた。


 葛藤の皺を眉根に刻んで、厚い唇を堅く結ぶ。涙を精一杯堪えるように、歳月を刻んだ顔が震える。錫杖を握る手は、ゆらゆらと頼りない。


 やがて、男は戦利品を高く掲げて、鈍色の空と見比べ……とてもとても深い溜息を零した。


「彼女を殺さないのですか」


 なぜか、クリシスが最初に口にした言葉はそれだった。


 男の足元に、金髪の少女が倒れている。


 トリア・ファベル・ヒルンドー。


 ヒルンドー王国の血縁者。滅んだ王国の姫。


 かつてハルトマン領に隣接した小国は、8年前に王族に不死者が誕生したゆえ氷結の災害に見舞われ、最後は周辺の国に呑み込まれた。


 だからファルミがトリアを護りたがっていたのか……。


 勇者に助けられるまで、ファルミはヒルンドー王国最年少の王族近衛隊員だった。ゆえにその過去を知る者として、クリシスがトリアの正体を知った最初の念は驚きではなく、納得。


「いや~ファルミくんと約束してたもんでね。殺すなんてもってのほかよ。しっかし、まったく想像以上にてこずらせやがって、用意周到でなきゃ今頃神官ちゃんは死んでたぜ」


 ハハハッと、まるでさっき見た悲しみが嘘のように、男は茶化す。そしてよっこらしょいと横たわる見習い神官を肩に担いで、錫杖を持ってズカズカとクリシスへ歩み寄った。


 つねに静寂が漂っていた見習い神官の身には、見るに耐えない傷跡が満遍なく刻まれている。ツヤツヤの金髪が枯れ、公正を象徴する神官服も薄汚れてしまい、男に担がれて揺れるその姿、まるで壊れた人形のように痛々しい。


 ――それでも、息はしている。


 トリアの放つ力の奔流をただ一閃で両断する力を持ちながら、たかがソーセージで交わした約束を、男はしかと守った。


「なら、私を殺すのですか」


 氷槍の封印がとけて地に落ちたクリシス。その身体が戦闘の余波に巻き込まれるたびに燃え盛り、傷ついてもすぐ元通りになる。


 自分の能力のろいを、その忌々しさは彼女自身が誰よりも理解してしまった。


「いや、そもそも嬢ちゃんは不死者だろ。封印はできるけど、こんな場所じゃ無理だ。それになんのメリットもなきゃおじさんもこんなまどろっこしいことしたくはねぇんだよ。信じてもらえないかもしれんけど。ハハッ」


 腰には鞘と二本の剣。左手は錫杖を握り、右手は担いだトリアを落とさないように支えている。己の義肢を堂々とさらす男は、クリシスと出会った当初とかけ離れた風貌になったものの、依然どこか掴みきれない雰囲気だった。


「しかし、嬢ちゃんをこのまま放置したら異形どもの餌になっちまうぜ。死にはしないだろうけど、ただ再生を繰り返すのもあんまりいいことじゃないぞ。あとで援軍が来たら結局捕獲されちまうし、勇者の家系に不死者が出たとよそ者に知られたらまた大騒ぎだろう。とくに、こういう時期だとねぇ」


 しゃがんで、皮肉に再び一糸まとわぬ姿になったクリシスを見つめて、男はニヤリと笑う。

 

 クリシスは反射的に胸を隠そうとして……やめた。


 意味がないと悟ったというより、どこか負けたような気がして悔しかったからだ。


「ほれよ」


 一方、男は少女の意地をまったく相手にせず、一旦トリアをおろして慣れた手付きで神官服のローブを剥ぎ取ってクリシスに放った。


「おじさんは裸のほうがむしろ涼しいぐらいだが、女の子はそうはいかんだろう。少し恥じらいってもんがあって可愛げがあるもんだ」


 不死者に神官服……。


 この状況に一瞬迷って、クリシスはごめんなさいと心の中で謝り、ローブを羽織った。


「で、被害者の嬢ちゃんはおじさんに何かぶつけたいことはあるかね。こうみえてもさすがに悪いことをした自覚はあるよ。だから文句ぐらいは聞いてやる」


 クリシスは静かに首を横に振った。


「いいえ」


「ほ~」


 さすがに予想外だったのか、顎を撫でて、男は珍妙な目つきで不死者の少女を見下ろした。


「最初出会った時、ベーゼさんもこう言いましたよね。『人は善悪で分けられる単純な生き物ではありません』と。あなたは……」


 言葉を止めて、クリシスは唇を噛んで気持ちを落ち着かせる。


「悪事をしている人のほうが妥当でしょう。真の悪人は約束を守ったりしません。人を尊重したりもしない。あなたの目には目的だけがあって、過程はそのまま省いてしまったように見えました。とても……とても可哀想な人です」


 男の顔から表情が抜け落ちた。


 クリシスが次に発する言葉を、さきに予知したのかもしれない。


「この錫杖はご家族なんですね」


 勇者の家系に生まれたゆえに、クリシスはつねに聖遺物も命の形として認識していた……。


 祝福を持ったハルトマン家の先代たちは、誰もが身が滅ぶ前に己の祝福を後世に残すべく儀式に投じ、意図して苦しい道を選んで、散った。天寿を全うできずに肉親と別れ、もしくは意味なく消えてしまうというのに、しかし他者のために捧げることを誉れとし、ゆえに民たちに敬われる勇者の血族にとって、ひとの身を剃り落として死すことこそ正道。


 ――ただ、覚悟を持たない人間にとって、それはあんまりにも残酷すぎた。


 男がトリアに降伏勧告する時、クリシスはすでにその目的に気づいた。


 それは、決して快感を得るためではない。


 最強の武装を求めるなら、聖剣ハルパーを手に入れた時点で完了したはずだ。


 思い浮かぶ男が並べた言葉の数々。そうまでして錫杖を手に入れたい理由……。


 クリシスが考える限り、たったひとつしかなかった。


「子供って、思い通りにならんもんだな」


 苦笑して、ため息をついて、男は首を振る。普段ふざけた真似ばかりして雰囲気では感じ取れなかったが、その顔には確かに歳月の痕跡が刻んでいた。


「世のためとか、みんなのためとか、お父さんみたいになりたいとか……そういや嬢ちゃんは一昨日ハルトマン卿の答えまだ覚えてるのか」


「答え、とは」


「あの時、オレはこう聞いたはずだ。『ハルトマン卿。あなたは娘を英雄にする気なのか』ってなぁ」


「はっ」


 クリシスは口を押さえた。


 あの時、扉を隔てて出た答えは否定。


 やはり期待されていなかったと考えたクリシスは、現在自分の身に隠された秘密を知り、ようやくその裏にある真意を知った。


 瞼が霞み、少女の瞼が再び熱くなる。


「正直オレもびびっときたぜ。あのハルトマン卿も結局大義より子の幸福を選んだわけよ。オレは父親としては下の下だが、それでも子供は平和に生きてほしいと思ってる。異端討伐部隊の次席にもなって、危害のない不死者を大勢屠った人間が言えることじゃねぇけどな……まぁ、バチが当たったんだろうね」


 空を見上げる男の目は、ここではない遠いモノを映っていた。


「うちの娘はカルディアというんだ。大事なものって、心臓の意味を込めてね。妻もオレも神職で忙しかったけど、できるかぎりの愛情を注いた。と、少なくとも自分は思う。そのせいか、いや、むしろ当たり前か。娘も神職に憧れを持って、みなのため、正義のためなどと、神職につこうとした。それで洗礼で分かったのよ。娘は、『不死』の祝福を受けて生まれたんだって」


 …………不死の、祝福?


 反対の意味を持つ言葉が同時に並んで、クリシスは意味が分からなかった。


「ああ、嬢ちゃんには分からないか。いいよ。餞別だ。いま置かれている立場ぐらい教えてやろう。普通の不死、あんたが所有している呪いはあくまで祝福の副産物に過ぎないんだ。嬢ちゃんは、そうだね。恐らく『炎』あたりの祝福だろう。でも多くの不死者がそうであるように、あんまりにも強大なゆえに身体がさきに耐えられず、外へ向くはずの力が逆に身体の改造を優先しちまったわけよ。いま髪の毛の一部が白に染まったのが何よりの証拠だ」


 男に指摘され、クリシスは横髪を見る。


 赤みが残っていたそこはたしかに灰色に脱色していた。


 いよいよ、ハルトマン家の象徴たる赤髪まで失うのか……ほんとうに、呪われし者にふさわしい末路。


 反射的に指で触れると、ぶすっとクリシスの心が軋んだ。


「結局制御できるかどうかは人によってそれぞれだが、言うことを聞かない力の暴走は危険だからなぁ」


 そんな少女の悲しみを気にすることなく、男は続ける。


「まぁ、話を戻そう。このことを知った次の日、妻は自殺した。手塩にかけて育てた娘が日々呪っていた不死者だとはねぇ。あの人ならそうするかって思うが……」


 錫杖を大事そうに握り直して、男は懐かしむように苦笑した。


「でも、オレにとっての悪夢はこれからだ……連中、教会の奴らはカルディアを聖遺物にすると言ってきたんだ。純粋な不死はとてつもなく強大な力を持つ、聖遺物の鍛造において絶好の材料、ってなぁ。まだ十歳もいかない女の子に献身などを説く奴ら……いや、これはエゴか。きっと自分の娘じゃなきゃオレもそうしていたに違いない。まったく愚かなものよ。どうしても娘が救いたくて、結局教皇閣下にたてついちまった」


 はーーっと、深いため息をついて、男は空を仰ぐ。


「牢屋に放り込まれ、追放されて、どうして処刑されなかったのかおかしいと思った時、知った。娘はオレを守るために教会の条件を呑んで、こんな聖遺物にされたんだ。ったく、使えねぇ父親にもほどがあるぜ……」


 どこまでも沈んだ現実を語っている男。しかし口調は感慨深い憂鬱があっても、なぜか釈然としたものが内包されていた。どこか噛み合わない違和感が心にクリシスの心を巣食って、不吉な想像を集い……


 そして、現実となった。


「だから、父さんが責任をとって、ちゃんと人間に戻してあげなきゃいけないと思ったわけさ」


 !


 クリシスは男の裾を掴んだ。


「それは、とてつもなく許し難いことです!」


 彼女は瞬時に理解したのだ。


 娘を助けるためなら、男はこのような悲劇を何度でも繰り返すつもりなのだ。


「ハハハッ、さすがに気づくか。でもね、嬢ちゃん、あんたはいま不死者だぜ。べつに人間なんてかまっても意味ないと思うが」


「関係ないです」


「ほ~、どうして」


「それは……」


 クリシスは唇を噛む。


 娘の救済を願う父。そのためには多くの不幸をもたらすことになる。もし両者を天秤の両側に置くならば、きっと後者が沈むだろう。しかし、それはあくまでクリシス個人の基準で言っているに過ぎない。男と同じように、クリシスの父ズィーゲルも結局娘――人間にとって危険になりうる存在を匿うことを選んだ。だからこそ、クリシスは男の行いが間違っているとは言えない。父の苦心を、その思いを踏みにじることができない。


「それは……私の心がそう告げているからです!」


 目を見張る男。クリシスは毅然と見つめ返す。


 しばし沈黙したあと、無精髭の口元が弧を描く。


「なるほど、勇者の血は腐っても英雄、か」


 納得したような、同時に嫌味がさした声だった。


 ハルトマン家の欠陥品。


 クリシスがそう思うようになったのは、リサを助けたあの日、父にこの言葉をぶつけてからだ。


 しかし、父がいつも見るに耐えない視線を自分に向けるのは、娘が不死者ゆえの葛藤。


 だから、巡り巡って、クリシスは自分なりの一番ふさわしい、かつての答えを口することにした。


「よっし、いま決めた。嬢ちゃん、哀れみをかけるつもりはねぇ。一緒に来てもらおう。オレが一から鍛えてやる」


 はぁ?


「あんたはやっぱりこのくそったれな世界に必要な人間なんだよ。そういう意味だ」


 あまりに予想外の言葉に、クリシスは言葉をなくした。


 わけが分からなかった。


 いったいどう導けば男の口からこんな暴言が出てくるのか。


 ――故郷を滅びに誘った相手を、師として仰ぎなさいと。


 果てしない怒りと、激しい拒絶がクリシスの心を焦がす。しかし……差し伸べられる手を、クリシスは振り払えずにいた。


 長い間自身の行動に疑問を持ち続けた結果。理性が感情を上回ってしまった。


 クリシスは力がほしい。


 力があれば、今回のように傍観者のままで終わることはない。そして、この世界に不死者を弟子にできる者はたぶん目の前の男ぐらいだろうと、彼女はわかっている。


 男は強い。これは紛れもない事実だ。


「くっ」


 痛いほど、クリシスは歯を食いしばる。


 生理的な嫌悪、ではない。


 人としての本質が拒絶し、体中に憤りが駆け巡っていた。


 でも、幼少期から自分を殺し続けてきた結果、彼女はそれを耐えられるように成長した。


 そもそも、こんな異形に囲まれた状態では脱出すらままならない。


「お、おねがい……」

「その必要はありませんわ」


 閃光。


 ガンっという甲高い音とともに、気がつけば、男は数メートルも吹っ飛ばされていた。


 クリシスの首を皮一枚掠って穿ち、ほぼ同時に男は聖剣を抜き払ったのだ。


「おっと、こりゃ手強い」


 空間を砕く漆黒の聖剣に残る深い痕を見て、男はひょいと口笛を吹く。


「ベーゼくん、他人の弟子を横取りしないでもらえるかしら?」


 鼻音のかかった声音こわね


 瓦礫を踏み抜き、クリシスの後ろからフードを羽織った姿が近寄ってくる。


 十歳前後の外見、灰色の髪。黒いタイツスーツで包まれた幼い身体は、歩くにつれ波打ち、成人女性の豊かさに近づいていく。胸は膨らみ、臀部が丸みを帯び始め、背も高く……そしてクリシスの前に立つ時、すでに二十代後半の女性の外見になっていた。


 その手に、一振りの直剣が握られている。


 剣身は昆虫の翼よりも細く、触れるだけで折れそうに脆い。全体満遍なく綴られている刻印といい、武器というより、むしろ精巧な工芸品に近かった。


 クリシスでも一目でわかった――これは聖遺物だ。


「いやはや、これはこれはモイラさんではないか。てっきり死んでたと思うのによ。さすがに不死者、しぶとい」


 モイラ。


 勇者候補の名で呼ばれた女性を、クリシスは見上げた。


 ああ、それは、そういう意味だったのか。


『モイラ殿。私の知る限り、きみ以外の誰しもクリシスの師に足り得ないだろう。きみはほかの者が持てないような素質を持ち、そしてクリシスもまた似て非なるもの』


 思い出すのは、書斎の扉を隔てて、父が男にかけた言葉。


 それは、クリシスが不死者だと知る者でしか分からないやり取りであった。


「んで、やるのか。こっちは全然構わないけど?」


 錫杖を背中に収めつつ、男は不敵な笑みを浮かべる。


「遠慮させてもらおう。異形どもが外でワイワイ喚いて、術式はもうすぐ崩れる。あたしはともかく、弟子ちゃんはヤバいからね。ベーゼくんだって神官の子を活かすために三つの『再現』を同時に使って大変でしょう?」


「おや、それはどうかな」


 側で横になっていたトリアに、二人は目もくれずに話を続ける。


 男は動かない。依然ヘラヘラとしているが、身に纏っていた雰囲気は今までと決定的に違うものがあった――警戒。


「構える必要はないよ。あたしは弟子を引き取りに来ただけですから」


「モイラ様、この男はこのようなことを何度も繰り返すつもりでいます。止めてください!」


 思わず、クリシスは叫んでしまった。


「ほらね、嬢ちゃんはそう言ってるよ」


「勝算のない戦いはしない主義だ。聖剣を手に入れたあんたはこれを揮った歴代勇者すべての祝福を行使できる。違うか?一度負けた身だ。不死とはいえ、痛いのはごめんです」


「ハハハッ、一昨日の夜にでも言ってくれればいいけどね。昨日もひょいと大広間にあらわれてから行方不明。おかげでさっき神官ちゃんと戦った時はひやひやしてたぜ。突然横槍をいれてきて手元が狂ったらどうしようって」


「それはすまないことをした。なにぶん『時間』の祝福はコントロールが難しくてね。姿が変われば性格も変わってしまう。昔ともに行動した仲だ。それを知らないあんたではないでしょう。ベーゼくん」


「それはたしかに。冒険者ギルドに登録した名前を適当にオレの名にするぐらいだ。おかげで自分の名前で堂々と屋敷に入れたわけよ。でも、不死者だと教えてくれないなんて。水臭いじゃねぇか」


「異端討伐隊の次席に教えられるわけないでしょう」


「ハハ、それもそっか。もし知っていたら封印するだろうよ。あの時のオレなら」


 …………


 剣呑な雰囲気でありながらもまるで旧友のように語る二人のやり取りを、クリシスは呆然と見つめた。鉄水が頭に注ぎ込まれたように、思考がうまく回らない。


「して、ベーゼくん、あたしと戦うつもり、ということでいいよね?」


「いや、そうでもない」


 軽く肩を竦めて、男は笑う。


「モイラさん、正直オレの帰還を知った人間を見逃すってのは不本意だ。娘の身体の回収に支障をきたすからね。しかし、オレは約束を反故するのが嫌いだ。あの夜言ったよな。教会に素性をバラさないって。確実にオレを仕留める自信がない限り、あんたなら乗ると思ったぜ。だから、約束は一応成立した」


 少し嘲笑を込めて、ベーゼはにんまり笑う。


「それに、たしかにあんたはオレよりずっと嬢ちゃんの師匠にふさわしい。さすがハルトマン卿、ってところだ。オレとしても娘が復活してから世界が滅んじゃ困る。だから、嬢ちゃんの可能性に免じて、見逃していい。かわりに、条件を呑んでくれ」


「とても口封じのためだけに倉庫に火を点ける人間の言葉とは思いませんな」


「同じことよ。あの時死ななくても、今日は死んでたから」


 周りの廃墟を一瞥して、ベーゼは自嘲か皮肉か分からない笑みを浮かべた。


 ここで明らかになる火事の真実も、もはやクリシスの心には届かない。思えば、ファルミが亡くなってから死体の検査も男がやっていた。真実を隠蔽するのは簡単だろう。


「んじゃ、一つ目、私の帰還を口外しないこと」


「無論だ。あたしもここにいたことを知られたくないですから」


 男の最初の条件を、モイラは二つ返事で了承した。


「二つ目、あなたの武器はちょうだいした。回収しにくるのはご勘弁だ」


「ふん……反撃剣カウンターブレイドをいまのあなたに預けるのは師匠に顔向けができないが……まぁいいだろう。武装を頼れないと戦えない誰かさんと違い、こっちはちゃんとした技術があります」


「ハハハッ、すごい嫌味に聞こえるわ。それから三つ目。これは嬢ちゃんに対してだ」


 肌に刺さるような視線を受けて、クリシスはローブを握って、よろよろと立ち上がる。


「なん、でしょう」


「これは条件より助言だ。いくら強い信念を持っても、人は引き締まれば引き締まるほど壊れやすい。だから、本当に目的を成し遂げたいなら、()()()()()()()、だ。これは茨の道を歩む必須条件。おじさんの経験則で出た結論だが、覚えていてもらいたい。嬢ちゃんには期待してるからさ」


 ベーゼは、穏やかに笑った。


 つねに不謹慎な態度を取っていた男が初めてみせた一面は、しかし鋼鉄の四肢と相まって、異質な光景としてクリシスの目に映った。


 その時……


 からん。


 変な音が響いて、風が吹いた。


 クリシスの視界から、突如男の姿が遠ざかっていく。


「聖剣はもうしばらく貸してもらうよ。じゃな。嬢ちゃん。達者でな」


 それが、クリシスが聞けた男の最後の言葉だった。


 異形。


 いくつもの関節でできた脚で、何もかも踏み潰す魔獣の群れ。顔と呼ぶのも憚られる軟体の胴体にひときわ大きな目玉がキョロキョロと動き回り、深い毛に覆われた口から、キイキイと甲高い声を発する。クリシスの視界は、一瞬にしてそんな異物に埋め尽くされた。


 ――さっきの音。それは最終防衛術式が突破された悲鳴だった。


「あの男を止めなければ!」


 モイラに担がれたままクリシスは叫ぶ。


 人の身をたやすく押しつぶすほどの質量を前に、恐怖よりも男がこれから行うかもしれない暴行が彼女の心をわしづかみにした。


「無理よ。聖剣を手に入れた奴はすでに勇者なみの強さを持つ。少なくともいまはな」


 血が飛ぶ。青白い、人間のものとは思えない液体が辺り一面にぶちまけ、穿ってくる蟹の鋏がついた尾を、モイラは断ち切る。


「ならせめてトリアを」


「あの娘はベーゼくんに任すのよ。大丈夫だ、あれはあれで約束を決して破らない人間ですから」


 光り出す剣先。モイラの薙ぎ払う一撃で、血煙があがる。その間を縫うように踏み砕き、やがて大きく跳躍する。


「それよりもしっかり掴まってちょうだい!跳びますわよ」


 浮遊感。


「うぇ!」


 着地とともに、クリシスがモイラの肩にのしかかった腹がぐっと衝撃を受け、一瞬身体の内側が押しつぶされそうな激痛に見舞われた。


 暗転する視界。間断なく響く足音、そしてクリシスは理解した。


 ここは、隠し通路だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ