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【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
第一部 ハルトマン領陥落
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第26話 再現

 凍った血溜まりを踏み抜き、トリアが揮う風を軋ませる払いの一撃は本来の力量と、助走の慣性を加えたものとなる。半透明の弧がかつて大広間と呼ばれた場所に刻まれ、しかし男は柱を蹴って登り、ぎりぎりの体勢で一撃を躱す。


「おっと、これは危ねぇ」


 宙に舞う氷の破片。畳み掛けるように打ち出した四本の氷槍。


 男は不安定な体勢にもかかわらず左手の短剣で悉く受け流す。


『吸収』の英雄テイオ・レグゲートの秘技――反撃剣カウンターブレイド


 勇者候補を偽った者が繰り出す技は間違いなく本物であり、ゆえにひどく手強かった。


 金属のぶつかり合いでは決してありえない轟音。柱が傾き、崩れた石とともに廃墟の一部と化す。しかし、トリアはその一撃を男に刻み込むことができない。


「にしても、嬢ちゃんを封印してまだこんだけの力が残ってるなんざ、若さはいいね。おじさん羨ましいぜ」


 ヘラヘラと、右手の聖剣を孫の手のように使い、男は肩を竦める。


「あなたという者は……っ」


 若干乱れた息をむりやり整えるように、トリアはサイズを構え直す。


 男の右手が握る聖剣。戦いが始まって以来、まだ一度たりとも使われていなかった。


 一方、トリアはだいぶ消耗してしまっている。


 錫杖の力を駆使して生まれる十二もある氷槍。


 うちの五は不死者クリシスを止めるのに使った。そして大事のため、なお三本はクリシスの封印に使っている。残りは四本、男は左手の短剣でいともたやすく防いでいる。


「くっ……」


 薄い緑の膜を一枚超えた先、異形の群れは聞くに恐ろしい衝撃音をあげてゴリゴリと最終防衛術式にぶつかっている。

 

 トリアはこの群れと戦いながら男を倒す自信はない。


 ゆえに速攻で決める必要があった。


「おやおや、戦闘中に気が散ると命取りになるぞ」


 !


 首を精確に狙う一撃。


 それも真正面からの突貫を、トリアは背中の氷槍で強引に軌道をそらす。キンと、耳元を裂くような悲鳴が鼓膜を痛めつけ、しかし容赦なく次の斬撃が脳天に見舞われる。


 距離をっ!


「ハハッ、甘いぜ!」


 トリアはサイズを振り抜く。


 砕けた石畳を辿って噴出する冷気を、男はとっくに計算済みと言わんばかりにマントを思いっきり振り解く。相手の視界が阻害される一瞬を狙い、男はありえない体勢で攻撃の網を潜り抜け、今度左から突っ込んでくる。


 リーチの広いサイズではあるが、手数では片手に負けてしまう――ゆえに押し切る戦法を取るのが定石。


 無論、トリアも反撃剣の使い手を近づかせるつもりはない。


「神よ、命なき花に、咲き乱れる力を」


 身近に残った氷槍を掴み取る。


 からんと脆い音とともに、槍が消え、代わりに生んだ風圧が周りの一切合切を吹き飛ばす。男が咄嗟の反応で防御体勢に入り、今度はトリアから氷の刃を容赦なく浴びさせる。


 さっきの戦いでトリアは一つ分かったことがある。


 反撃剣は実体を持つ物体にこそ有効だが、噴出する冷気などの魔法には弱い。

 つねに流れるように仕掛けてくる男は、ただその一瞬のみ回避という無駄な動作を行う。


 ゆえに狙い目はまさにそこにあった。


 無理やり体勢を整えた男は頭を捻って最後の氷刃を間一髪で躱す。無論、トリアはそれで終わらせるつもりはない。大きく踏み込み、錫杖の末端を掴み横から払う。


 がんと周囲を揺るがす衝撃が迸り、その強打により男は廃墟に撃ち込まれる。


 空を裂く半透明の光。


 錫杖で残った三本の氷槍を操り、トリアはさらに叩き込む。


 手応えはあった。しかし……。


「いたた、神官ちゃん容赦ねぇな。口の中切っちまったぜ」


 血が混じった唾液をペッと吐いて、男は舞った煙を払い、姿をあらわす。


「やはり無傷でしたか」


「無傷なわけねぇだろ。ほら、血が出てるぞ」


 地面に横たわる無数の死体、その中の一点を顎で指し、さぞや可哀想に演じる。


 言葉で言い表せない怒りがトリアを襲い、理性が一瞬で沸き返る。


「外道め!」


「妥当な表現だな、ハハッ」


 トリアには分かる。それは怒りで相手の判断を鈍らせるための演技。それでも、どうしようもない怒りが身体を支配し、心臓の鼓動を速めた。


 他人の死を利用したあげく、あまつさえその生を嘲笑うような暴行は、どうして堪えきれようか。


 朦朧な赤。男の身体から怪しげな光が薄らと灯り、それを危険と認識したトリアは痛いほど錫杖を握り締め、無理やり自分を落ち着かせる。


 ここで一歩間違えば、全てこの男の思い通りになってしまう。


 これだけは決して許せない。


「それにしても、トリア・ファベル・ヒルンドーくん」


 !


「きみもかなり成長したね。このオレに一泡吹かせるとは」


 まさかここで本名を呼ばれると思わず、トリアは動揺する。


 悠々と、左手の短剣を腰に戻しつつ、男は不敵な笑みで言葉を続けた。


「ただ、異端討伐隊の末席ねぇ……おじさん、嘘をつくのは慣れてるけど、他人の嘘はあまり感心しない主義なのよ」


 トリアの背中と、クリシスの封印に使った氷槍を交互に見て、男は口を歪める。


「地面から氷を発生させる技は昨日火事の時に見た。嬢ちゃんの封印に使った槍もだいたいよめるようになった。そしてサイズ、さっき嬢ちゃんを抑える時もそうだったが、槍が一本砕け散ちった途端突然強くなったよね……あれだろ?錫杖の力が身に余ったせいで、内部の力を物質に転換させ、実体化させてる、とか」


 トリアは歯を食いしばった。


 理由は簡単。男の予測が全て的中したからにほかならない。


 戦いが始まってから、男はずっと見習い神官を観察していた。


 ――まるで、獲物をじわじわと追い詰める狩人のごとく。


「この程度じゃ異端討伐隊に席を置くことはできないとおじさんは思うなぁ。そもそも、自分がいったい何を使ってるかも分かってないじゃ……」


 構えをとり、男は体勢を低くして嗤う。


「先輩として、すこし教授してやろう」


 その途端、男の身に纏った雰囲気が変わった。


アキレウス(不死を貫魔槍)!」


 トリアは全ての氷槍を一斉に呼び戻す。しかしそれよりもはやく男を中心に力の奔流が渦巻く。


 もはやさぐり合いは不要。これからは直感と経験で戦わせてもらおう。


 まるでそう告げるように、手首を捻って、男の剣先が光り出す。


 勇者との共闘を考慮して、神に信心を捧げる者はみな現存聖遺物の性質を一通り頭に叩き込んである。無論、教会で育ったトリアも例外ではない。


 第75代目の勇者トルヴィス・フォン・ハルトマン。その血肉で鍛えられた聖剣ハルパーは生前と同じく『空間』の祝福を持つ。魔導士が未だ探求するテレポーター(転移魔法)と違い、トルヴィスは間近な存在を歪ませる能力を得意とする。


 例えば、そう。


 いまのように刃の周辺の空間を噛み砕き、巨大な虚空を生み出す。


 禍々しい漆黒の色は、伝説につたわる白銀の光と相反するもの。その色は人類の敵を滅ぼすために世に留まる勇者の残骸が、悪しき者の手に陥り、悲鳴をあげているように映った。


「閃!」


 黒と青。


 二つの衝撃がぶつかり合い、この場にしがみつくもの全てを呑み込み、砕き、四散させる。ハルトマン領の存在する最後の砦が異形ではなく人の手により壊滅するなど、果たしてこの地に命を零した誰が想像しえよう。


「元、聖王庁直属、異端討伐隊――次席、『再現』のバラトルム。地獄により参上いたす」


 濁った覚悟が絡んだ不遜な声、ここで男の正体を明かす。ただ、トリアは既に言葉の意味を理解する余裕は残されていなかった。


 刻まれる黒い斬撃を牽引しながら、氷槍を操りその攻撃を間一髪で捌き、回避、また隙を見てサイズを叩き込む。一撃一撃に重みの宿る両手剣の欠点をいえば、本来なら巨大な剣身による鈍重さが真っ先に挙げられるはず。しかし、虚空を操って現実を軋ませるハルパー自体は軽い。


 複数の敵を相手にする時に用いる武器を、男は目で捉えきれぬ速さで振り回す。


「神官ちゃん、投降するのをお薦めする、ぜ!」


トリアは答えない。精神を研ぎ澄まし、盾代わりに使った三本の氷槍で斬撃を防ぎ、残りの三本で穿つ。すっと、泡が破けた音がして、反射的に屈める。頭上を過る風圧、体勢を低くした慣性で前へ転び、再びサイズを繰り出す。


 フラッシュ(瞬間移動)


 近場の空間を歪ませ、特定の範囲内に意のままに移動する祝福の応用。これもトリアが叩き込まれた情報通り。だからこそ、壁に打ち込まれてなおこの男は無傷でいられたのだ。


「神よ、罪の中に滅びるしかなかった私たちを誘い、邪悪なるものを滅ぼす力を!」


 トリアは再び氷槍を掴む。


 消耗しても残りはあと五本。ならまだ試すための余地があるからの決断だ。


 からんと脆い音とともに氷槍は砕き、しかし今度は風圧ではなくどんよりした波紋が広がる。


「おっと、」


 一秒

 脳天を狙って打ち下ろすサイズ。男は瞬時に身を捩り、ぎりぎりの体勢で躱す。


 二秒

 行動を先読み、氷槍を撃ち抜く。男は左手で即座に短剣を抜き払い、回避を諦め、切り流す。


 三秒

 無数の氷柱が地上から突き出し、男の姿がぶれた。


 トリアは身を翻す。一瞬遅れて、空間を蝕む巨剣が噛み付いてくる。

 

 普通の人間なら咄嗟に身を引く距離。だがそれだと餌食になるだけだ。ハルパーの射程距離は外見よりずっと長いリーチを持っていることをトリアは知っている。


「かはっ」


 どう、して。


 トリアの視界がぼやける。


 肺の中から空気が一気に押し出されて、手足の感覚が遠ざかっていく。


 氷槍で斬撃を防ごうと、下段からの不意打ちが疎かになった!


 右から飛んできた蹴り。砲弾に撃ち抜かれたごとく内臓が煮え返る。


 己の失敗を悟り、しかしトリアの反応よりもはやく面状の痛みが身体に叩きつけられ、額にすっと冷たい感触が走る。


 一瞬の間をおいて状況が理解できた。


 さっきの一撃で廃墟に吹っ飛ばされたのだ。


「危なかったぜ、神官ちゃん。まさか空間が凍るとは」


 衝撃で布切れになった服を破り捨て、男はにんまり笑う。


 筋肉質の身体に刻まれる無数の傷跡。それは死境を幾度なく潜り抜け、歴戦の猛者が鍛え抜いた凶器。


 しかし、神に授かりし人という造物に、なぜか鋼鉄の鈍色が反射する。


 一見術式、実のところは神経がわりに用いられる細い線が義肢の表面に交錯し、中には血の赤がゆるりと流れる。鼓動に合わせて、呼吸するたびに明滅する光は、まるで自らの生命を主張しているかのようで、不遜な使い手と相まってひどく醜悪に映った。


「異キョウ徒の、武そう……!」


「ご明察~~」


 どこか呆けたトリアの声と対照的に、男の声は自慢げにさえ聞こえた。


「ほれほれ、よくできてるだろ。東じゃこういうの使ってるのよ。まったく、どうして教皇閣下はこういう仕掛けを禁止するのやら。理解に苦しむね」


 トリアは左半身の感覚を失った。


 いくら錫杖を頼りに人外の力を駆使していても、結局生身の人間であった。


 当たりどころが悪かったせいで、その左腕もまたありえない方向に曲がっている。そして、半端者ゆえに瞬時に怪我を治すようなこともできない。


「くっ」


 時間はない。


 トリアは左手を固定して、服の裾を噛む。


 次の瞬間、ぽっきりという音とともに、教会で学んだ知識通りに少女の腕は元の位置に戻った。


 涙が、ボロボロと頬に伝わる。


 身体の一部が制御を失ったせいで、辛うじてつなぎとめていた感情も崩壊しはじめた。


 この期に及んで男がなお切り札を持っていたことに、トリアは深い絶望に囚われた。


 トリアは男のことを知っている。


 『再現』のバラトルム――本名ベーゼ・バラトルム。


 かつて異端討伐隊の次席にもなった男だ。


 その二つ名の通り、手にしたあらゆる武装をかつて揮われたように『再現』する祝福を持つ。過去の使い手が強ければ強いほど威力が増し、また血筋と関係なく行使できることで、聖遺物を欠かさない教会にとって、その能力は非常に貴重なものであった。


 五年前、バラトルムは教会に教皇閣下の暗殺を企て、反逆者として認定された。当時指導神官がことを知った驚きぶりはいまでもトリアの印象に残っている。なぜなら、このような大罪を犯しながら、審議会は不死者討伐の功績により彼を追放の刑に留めたのだ。


 脅威であるため、手足の腱を切らせ、無人区のど真ん中に放り込まれたけれど、最低でも火刑に処してもおかしくない刑罰を、かえって手間をかけるように施すのが前例無きことである。


 ――異端討伐隊とは思えない温情を持ったぬるい処遇だ。


 なぜなら、誰も男はこれぐらいのことで死なないと知っている。


 トリアは悔いてやまなかった。


 まさかベーゼがこのような形で駆逐された地に戻るとは。


 せめて二つ名ではなく、名前も覚えていればいまはもっと違ったことになったかもしれない。


 おぼつかない足取りで、トリアは痛みを回復するよりはやく行動すべきと判断して、立ち上がった。口元から赤い線が垂れ、涙は依然溢れ続ける。それでも、いかなければならないと思った。


「守備軍のみなさんはとても勇敢でした」


 血が絡んだ声で、絞り出す。


「万を超える異形を前にして、絶望を知りながらも戦い、最終防衛術式のために時間を稼いでくださいました」


 トリアは口にする。


 自分の罪深さを、如実に。


「ブッソラ神官は最後まで負傷者に治療を施しました。負傷者を収容する聖堂を護り抜くため、力尽きるまで錫杖を振るい、神の従者たる使命を全うました。でも……わたくしは」


 少女は、最初から信仰を持たず、見様見真似でなんとかそう振る舞っているに過ぎなかった。


「不死者は存在してはいけないのです。だからブッソラ司祭が天に召されてから異端討伐隊の証たる錫杖を手に取り、異形に立ち向かうのではなく、同胞に向けてしまいました」


 トリアは辺りを見廻す。


 故郷が滅んで以来夜な夜な夢に出てくる惨劇を、今度はさらに破壊的な、倒錯的な、人の醜悪を晒す形で再現した。追ってくる過去を拒もうとしなかった中途半端な言動の数々が、いま思えば後悔を通り過ぎて、自殺願望さえ抱かせる。


「あなたを倒します」


 それでもトリアは口にする。


 男に向ける言葉というより、むしろ自分を奮い立たせるために。


「ハハハッ、それはいいんだけど。でもな神官ちゃん。やっぱりさきに言っておきたいことはあるんだよね」


 肩を竦めて、男はまるで少女の覚悟を馬鹿にしたように嗤う。


「実はね。ファルミくんに頼まれたのよ。あなたを生かしてほしいって。ソーセージの約束、と言ってもわかんないか。とにかく、オレが勇者候補モイラだと信じて頼んだのよ」


 ファルミ様が、そのようなことを……。


 無条件で信じてくれたファルミの覚悟を無駄にしてしまったことが、いまとなっては途方も無い罪悪感となってトリアの心に巣食う。


「誠意も見せたよ。さっき瓦礫から出るまで攻撃しなかっただろ。普通は畳み掛けるところだ。でもおじさん約束を違えるのが好きじゃないんで。そろそろ錫杖をこっちに渡して、このへんにしとかないか。このままだと正直手加減するのが難しくなっちまうぜ」


 トリアの後ろに控える五本の氷槍に目を向け、男はにんまり笑う。


 その口調はあまりにも自然すぎて、まるで借りたものを返すように気軽だった。


 トリアは静かに首を横に振った。


 どのみち地獄へ行くなら、せめて納得できるほうに向かう。


 なにより、目の前の男が犯した数々は、何一つ看過できるようなものではなかった。


「そうか。んじゃ、しょうがないな」


 空間を噛み砕く禍々しい武器を、男は右肩を引きつけ、右足も一歩さがる。


 !


 一ミリの迷いすらない。構えから消えるのはほぼ同時だった。


「神よ!」


 トリアは氷槍を割る。


 さっきの試しで、彼女は知った。


 男のフラッシュを停止できるのはあくまで二秒。そして中途半端な形で使っても意味は成さない。


 だから取れる選択は残りひとつのみ。


 風を唸らせる重打を、トリアはその軌跡を縫って転がり、背後に廻り込んで溜めて一気に放つ。氷が四散して、今度は男が崩しかけた体勢から放った蹴りを槍で防ぎ、さらに回転をのった斜め後方から襲ってくる聖剣を間一髪で避ける。


「ふむ~強くなってる。いや、槍の力を体に取り込んだか」


 男は瞬時に何かが起こったのか見抜いた。


 コップ一杯の水をトリアの身体に例えるなら、いまは水の張力でぎりぎり零さないようにしている状態。身体中の骨が軋み、血管が膨らみ蠢く。


 外部に放出すべき力量を内部へ注ぎ込んだ結果、少女の美しい顔が歪み、聖職者とかけ離れた形相に変わっていく。


 それでも、男に勝つには及ばないとトリアは理解している。


「神よ!」


 残り三本。


 斜め上からの一斬、下段を狙った一撃、続いて剣身の払いによる面状攻撃。サイズと大剣が交わる度に火花が散り、視界を一瞬覆い隠す。


 さらに身に余った力を受けたせいで、少女の肌は所々張り裂ける。そこから溢れるのはもはや血の赤ではなく、青く光る力の奔流。


 トリアは一瞬をとてつもなく長く感じてしまった。限られた命が数倍長く細くねじ込まれたような停滞感に囚われ、心が無感動にもかかわらず、ただ身体が勝手に動いていく。


 一方、男の義肢に纏わり付く光がギロリと鮮明になって、むしろ加速していく。


 ――暴風雨に曝され、なお不屈に戦場に舞う気高い花なり。


 聖書にて第53代目勇者、リオナ・アクリ・ガーディナーを唄う一節を、トリアは思い出す。


 最後に魔王と立ち向かった時の絶望を記された詩だ。最初の女性勇者であるため、いつまでも彼女の記憶に新しい。そしていまは分不相応にも、この情景に当てはまってしまっているのではないかと思った。


 ただ、舞う花はすでに枯れ、残るのは朽ちてゆく運命さだめだけだ。


 体温、鼓動、呼吸、空気の流れ、五感が恐ろしいほど研ぎ澄まされ、トリアはもはや目で攻撃を追う必要をなくした。


「かかっ、まさかここまでやれるとは。いいぞ、トリア・ファベル・ヒルンドー、来い!」


 再度、氷槍は割れる――残り二本。


 攻撃を躱しきれず、トリアの動きに取り残された髪が何本か千切れて空に舞う。


 少女は動じない。冷静に、果敢に、虚空から現れる次の一撃を予測し、身体が許す最速で、経験から搾り出せる最良で、打ち消し打ち消し、また身を躱す。


 巨漢の体躯と反比例する少女の華奢さは、か弱き脆いガラスのように廃墟に反射する。受け続ける剛撃の狭間で生き、己の技量を尽くして舞う。体錫杖に付与した氷もいつしか聖剣と同じくエネルギーの奔流が付着し、ゆえに双方繰り返される攻撃はキンカンという金属がぶつかる音ではなく、魔法がお互い干渉し合う時生じる耳障りなノイズ。


 一方、男は執拗にトリアの左から来る。


 防御に回った氷槍が消えるにつれ、左側が手薄になる不利が浮上した。


 しかし彼が好機と捉えた弱点を、むしろトリアは唯一の勝機と見ていた。


 ここで決める!


 からんという脆い音。


 飛び散る氷の破片に巻き込まれて、男は舌打ちする。


 男の死角――脇下から滑り込む氷槍を、トリアは左手で掴む。


 二本目の槍を身体に取り込んだ時から、少女はすでに感覚と呼ぶべきものを失った。だから腕が壊れていようがいまいが関係なかった。


 ――機械的に、突く。


 それは流れにおいてほんの小さな動き。


渦巻く吹雪が矛先を中心に射抜き、聖剣で防いだ男は衝撃で何メートルも退けられる。


 一見何の変哲もない攻防。何が違うかといえば、男の動きが防御に留まったことだ。反撃剣の使い手にとって、防衛は所詮次の一撃に繋ぐ過程にすぎない。ゆえに動きはつねに水のように流れ、相手を間断なく攻め続ける。


 そしていま、男は止まった。


 たった一瞬の隙。


 しかしチャンスを得るには十分すぎる時間だった。


 氷槍を砕き、トリアは空間を凍らせてフラッシュを封じる。


マナバースト(魔力放出)!」


 両手でサイズを掲げ、湾曲した刃から光が迸る。


 身体の内側に猛り狂う魔力の渦動が、ようやく行き先を見つけ、周囲の空間を歪めるほどに滔々と溢れ出す。


 突きの貫通と違い、斬りの切断とも違い、確実に相手を仕留めるための、面による殴打。


 男の姿がブレた。瞬間移動ではない。


 点と点を合わせるように、赤みを帯びた漆黒が一直線にトリアへ斬り込む。


 魔力の発生源さえ断てば攻撃は無に帰るが、それでもトリアのほうが一歩速い。


 光は奔る。


 光が吼える。


 四本の氷槍に宿った力が圧縮された力は魂さえ揺さぶる奔流と化してあたり一面を食い散らし、やがて衝撃を生んだ少女本人ですら呑み込んでいく。


 男の目は獲物の喉笛を狙う豹のように澄んでいた。


 攻撃がぶつかる一瞬。


 昼夜が反転するかのごとく、光は収束する。


「反撃剣・改」


 全てが静まり返るなか、その声だけが、しかとトリアの耳に入ってしまった。

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