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【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
第一部 ハルトマン領陥落
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第24話 炎

 あつい。


 くるいそうにあつい。


 てが、あしが、ぬるぬるととけてしまいそうだ。


 胸の芯から煮えくり返った灼熱が鼓動し、血が巡る度に身体中はり裂けそうな痛みにおそわれる。


 クリシスは思い出す。


 二日前、焼き払われたハルトマン領を目撃する直前、彼女はこうして苦しんでいた。


 でも、それが初めてではないことを、いまとなって徐々に、不完全な形でありながらも脳裏から蘇る。


 混沌たる記憶に、幾つか曖昧になった風景がある。


 忘れたわけではなく、忘れさせられた過去。


 七年前、母が心の病を患い、聖王国の実家に戻る二ヶ月前のことを。


 …………


 原形を留めていなかった。


 行き交う人の群れ、荷馬車を屋台代わりにして客に呼びかける商人。何枚重なっても透ける絹や金銀で作られた高価な工芸品。異国の意匠が凝った武具や遠くでもその芳醇さが嗅ぎ分けられる美酒。


 ついさきほどまでにぎわっていた建築群が、まるで投げ出されたおもちゃのように倒壊して四散し、あちこち残骸を残す。挟まれて、踏み躙られて、もはや人の形もままならない死体。血の色がまるで絨毯のように街道いっぱいに広がり、吐き気を催す悪臭が神経を逆撫でる。


 運良く生き延びた者。跪いて神に懇願する者。


 絶望まかせに叫ぶ声――悲鳴、視線の届く場所全て死に際の叫喚で満たされる。


 なのに、幼い頃のクリシスは依然身体を制御できずにいた。


 火炎を纏った一撃が建物に直撃し、爆散する。それに合わせるように混乱が増す。


 普段から自重するように言われていたハルトマン家の令嬢は、遊び心で護衛も連れずに城から抜け出した。憧れを抱いた下町を満喫できたのはいいものの、その結果、男数名に攫われそうになって足掻き、頭部に死に至るほどの衝撃を受けてしまった。


 …………


 朦朧とした意識が徐々と戻る。


 一糸まとわぬ姿になったクリシスは三本の氷槍で貫かれ、大広間の壁にはりつけにされていた。


 痛みはなかった。


 その身に纏った炎が燃え、ただあらゆる感覚を奪い去るような灼熱が辺りを焦がす。


 そして、涙は止まることなく、瞳から溢れ、頬を伝って落ちる。


 クリシスはようやく分かった。分かってしまった。


 母はなぜ心の病を患い、何年も聖王国にいて戻らなかったか。


 父はなぜ自分を見るなり嘆き、突き放すような態度をしていたか。


 あれだけの騒動を起こしながら、誰も気づかないということは、つまり、領主ズィーゲル・フォン・ハルトマンは事実を隠蔽するために、クリシスを含めた目撃者全員の記憶を『封印』したことになる。


 人間にとって災厄を産み落とし、勇者の家系でありながら、二人は我が子可愛さに真実を隠した――すべては、生娘に生きてほしいという願いだけに。


 その結果が、こうだ。


 倒壊して、残骸と化す屋敷の一部。


 かつて大広間と呼ばれた場所が黒焦げて、異臭に苛まれる。


 天井の崩落に巻き込まれる者、容赦なく切り裂かれる者、火炎に焼かれ爛れる者。積み上げられた肢体に腸やら指やら毛髪やらがこびりつき、血に溺れ、その無数の肉塊が浸っている様は、具の多い豪華な煮込み料理にすら見間違われた。


 常識と現実からかけ離れた光景を前に、その死が全て自分に起因すると知り、クリシスはただいっぱいの悔恨と虚無に詰め込まれて、頬を濡らす。


「素晴らしい。実にみごとだった」


 廃墟の一角、まるで大道芸人の芝居でも観ていたように、男は拍手を送る。


 座った体勢から立ち、彼の向かう先に、息を切らす神官が一人。薄い胸が激しく上下し、額には汗が滲む。身辺を無数の結晶で固めながらも、赤い火炎はそこに付着し、揺らめく。


「あなたはいったい何者ですか」


 敵意を剥き出し、冷徹な殺意を込めて、トリアは低い声で問う。


「特級冒険者ベーゼ、あるいは勇者候補トリア。肩書ならいくらでもあるよ」

「勇者候補の方がこのようなことをするはずがありません!」

「ハハハッ、それもそうだね」


 男は、依然クリシスと出会った当初のまま、茶化すように言う。


「まぁ、いきなり答えを教えてやるのもつまらないし、まずはおさらいしようか。特に嬢ちゃんには謝らなければならないことが多すぎるぐらいなんで、まずはそこから」


 そう言いながら、男は包帯で巻かれた剣を鞘から抜き払う。大気を震わせる一撃。しかし、周りに被害を及ぼすことなく、ただ包帯が千切れた。そこに露わになったのは……。


「………………ハルパー?」


 導魔性の優れたミスリルによって鍛えられた鍔と握り。柄頭には同色の宝石が嵌め込まれている。両刃を備えた剣身に、コスモスの花が金銀による食刻が施され、凛とした華美を放つ。


 これは紛れもなく最終防衛術式の維持に領主ズィーゲルが使い、行方不明になったハルトマン家の至宝――聖剣ハルパー。


 クリシスが探し求めた物は、男と出会った当初からすでに身近にあった。


「実はね。およそ十日前。ここに着いて嬢ちゃんたちと一悶着あったのよ。まぁ、主に本物の勇者候補さんと、ね。いやはや、それはそれはとても激しい戦いだったよ。丘一面の木々が薙ぎ倒され、異形どもが近づいた瞬間木っ端微塵に砕け散った。おかげで、おじさんがせっかく集めた装備も全部台無しになっちまったぜ。最後は仕方がないんで、嬢ちゃんを人質にしたわけよ。そこで、この剣が出てきた」


 ハルパーを構えつつ、男は得意げに説明する。


「で、そこからなんだが、頭を叩き割ると嬢ちゃんが暴れだして、辺り一面を火の海にしたのよ。ちょうど、いまのようにね。大変だったんだぞ。英雄候補さんが嬢ちゃんを止めるのに。結局オレが漁夫の利を得たが。ほれ、左の短剣、これも正真正銘、勇者候補モイラの武器だ」


 さぞ得意げに、今度男は使い古された短剣のほうを掲げた。


「最初は嬢ちゃんを人質にして城塞に入って爆弾として使いたかったが、なんと復活するのに一週間もかかっちまったぜ。でも、やはり運が味方してくれたね。嬢ちゃんが記憶喪失とは。たぶんハルトマン卿が嬢ちゃんに暴走すると自動的に記憶を『封印』する術でもかけたかな。とにかく精々活用させてもらったよ。なにせ入ってみれば、老神官が既に果て、代わりに可愛らしい見習い神官がいたんだ。オレも馬鹿じゃないんで、まず様子を見ようと考えた。爆弾として使える嬢ちゃんはともかく、とてつもなく邪魔なのが二人いる。一人は警備隊長のファルミくん、もう一人はずばり『封印』の力を持つハルトマン卿。二人に神官ちゃんとの戦いを邪魔されたら、勝ち目が薄くなるよね」

「それで二人を手にかけたのですか」


 敵意、ではない。


 トリアの目に、人の感情を超越した俯瞰があった。


「それでってなんだよ、おじさん悲しいな。二人とも人間の希望だぜ。殺したら異形どもの侵略を食い止めるのが難しくなる。それだけ神官ちゃんには負けられないと思ってる、と解釈してほしいな。いや~でも、ハルトマンを殺したのはオレじゃないぜ。誓ってもいい」


「もういいです」


 勝手にうんうんと頷く男の雄弁を、トリアは今度こそ断ち切る。


 その身の周りに、いつの間にか大量の氷雪が生成され、回旋しながら舞う。


 火炎は、既に消え失せていた。


「もう一度問いましょう。あなたはいったい何者ですか」


「ベーゼよ。特級冒険者ではないけどね。まぁ、神官ちゃんが持ってる錫杖をくれればさらに詳しく教えてやってもいいが?最初から目的はそれだし」


「馬鹿なことを!」


 トリアは錫杖を振る。


 するとさっきまで浮遊していた白い結晶が一斉に暴れ出す。まるで吹雪のように荒れ狂うなか、しかしベーゼと名乗る者は依然飄々とした態度を崩さなかった。


「聖王庁直属、異端討伐隊――末席、トリア」


 氷のサイズと化した錫杖を構え、見習い神官は悲しみを噛み砕くように宣言する。


「名前も知らぬ悪しき者よ。あなたに、裁きを」

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