第21話 聖剣
やはり、剣は見つかりませんでしたか。
書斎の真ん中に佇んで、リサは深いため息をこぼす。
窓外、銀色の半月は既に夜闇に昇って、緩やかに光を照らしていた。
書斎に来てから一時間あまり、結局リサはクリシスが求めた物を見つけられなかった。
ハルトマン家が長く勇者の家系でいられる最大の理由は、二振りの剣にある。
『空間』を操る聖剣ハルパー。
『重力』を制御する聖剣オートクレール。
西大陸において、祝福を持つ人間はたしかに希少ではあるが、しかし名を挙げた者の殆どが神の恩恵を受けていた。そして、勇者がそれらと一線を画する存在となれたのは、ひとえに武装の差だ。
一族に伝わる剣は、血を引く者でしか扱えない。
なぜなら、武器そのものが人で作られているからだ。
聖遺物とは、後世に己の祝福を残すべく、魂を削ることさえ厭わぬ者から生まれた奇跡。
ハルトマン家の者は代々死を予知してから儀式を行い、献身を繰り返してきた。肉体感覚を超越した苦痛を耐え抜き、身体の一部を未来への礎にする。現在最終防衛術式構成の一端――聖剣ハルパーもまさに第五十三代目勇者エテルニタ・フォン・ハルトマンが身を捧げて鍛え上げた武具である。
これを、リサは探していた。
『重力』のオートクレールは勇者サルースが所有し、現在最前線で力を発揮している。一方、『空間』のハルパーは領主ズィーゲルの手元にある、はずだった。
クリシスに渡してその力を使えば最終防衛術式から脱出できる。
――この局面を打破する突破口は最初からそこにあった。
「はぁ……」
壁際に寄りかかっている主を見て、リサは唇を噛む。
そもそも、犯人がどうやって書斎に侵入したのかも謎だ。書斎には五つの封印も施してある。まして聖剣の力も加われば、中に入ることは不可能に等しい。
だからリサは最初ベーゼを疑った。
勇者候補の男ならば、なにか特殊な力があっても不思議ではない。
でもさっきのやり取りで、恐らく男とは無関係だとリサは思った。
でなければ、今頃口封じで消されたはずだから。
ほんとうに、どこに消えたのやら……
午前クリシスと一緒に書斎に入った時、あの時はクリシスが混乱してそれどころではなかったが。
果たして犯人に持っていかれたのか、それとも誰かに確保されたのか分からない。
どちらにしろ、いまのリサはほかの者とうまく話ができる立場ではないのだ。
はぁ……。
いまや地面に横たわるズィーゲル・フォン・ハルトマンの遺体を目にして、リサは心の中で深い溜息をこぼす。
妻の編んだ古いローブを着込むハルトマン家の長、一言も発さず眠る姿はある意味穏やかであった。リサにとっては好きにはなれない相手だが、それでも引き取ってくれた恩人。そしてクリシスの父でもあった。
こんな状況で、さすがのリサの気も滅入りそうだった。
「なにかお探しものでしょうか」
!
リサはびくと震えた。
それでも表面上は無事を装い、ゆっくりと振り返る。
「こんばんは。トリア様」
後ろ、神官服を着込んだ金髪の少女が入り口に立っている。
錫杖を手に、書斎に分け入ってくる。その顔には普段どおり精一杯の落ち着きが漂いながらも……リサは思わず身構えた――自分を異端だと指定し、負の感情の受け皿にさせたのはほかでもなく、目の前の少女だから。
「トリア様は最終防衛術式を受けずにいたのですね」
籠城が始まって以来トリアは夜になると領民と同じように昏睡状態に陥るとリサは記憶している。現に、リサ自身も術式の影響で自分の身体もかなりだるい状態にある。
だから安心して書斎に戻ったが、予想を裏切られてしまった。
「ええ、この杖から力をお借りすれば、ね」
どこか遠い目をして、トリアは自分の身長よりもやや長めの錫杖を見上げた。素朴な作りをしていならが、内部に秘めている力は凄まじいことぐらい、リサも知っている。
「あなたはファルミを騙していたのですか」
「そういうつもりはありませんでした。ただ、いまさら自分の所業に弁明する考えもありません。結果としてこうなってしまいましたから」
一瞬の迷いを見せながらも、トリアは書斎に踏み込む。
途端に部屋中の温度が下がり、みるみるうちに結霜していく。
クリシスを守るように、リサは自分の位置をずらす。
「リサ様が半魔であることは最初から知っていました。ファルミが教えてくれましたので」
メイドの挙動に目もくれず、トリアはただ静かに自分の言葉を紡ぐ。
「ただ、幼少期からハルトマン家で育ち、信頼できる者であるとファルミも言いました。ですから隠し通路をあなたに任せる提案も異論はありませんでした。わたくし、人間よりも魔族よりもずっと恐ろしいものが存在していることを存じておりますから」
「なら、どうしていまさら」
口で疑問を呈しつつも、リサの内心ではすでにある可能性に辿り着いていた。
目の前の見習い神官、恐らく彼女は現在屋敷にいる何かを外へ逃がすことを恐れている。
そのため、聖剣の力でみなを術式から逃せるクリシスを狙っているのだ。
「聖剣はあなたが所持しているのでしょうか。トリア様」
「いいえ」
トリアは首を振る。
金色の瞳に人外の光を灯してなお、その表情自体は穏やかだった。
しかし、体感による脅威は嘘をつかない。
じわりじわり、冷気に首を締められる痛みがリサを覆う。
「お嬢様に託せば、いま屋敷にいる人間はみんな助かるはずです」
それでも、冷淡な顔のまま、思いをなんとかして言葉にして、リサは糺す。
「ええ、承知していますとも。ですが、聖剣がわたくしの手元にないことは本当です。これを神に誓いましょう」
聖職者にとってこれはいかなる重みを持っている言葉なのかリサも理解している。
――だからさらに不安にさらわれていく。
「そもそも、リサ様はおかしいとお思いになりませんか。どうしてハルトマン卿が亡くなったのに術式が平常に作動しているのか。もし最終防衛術式が自律型の魔法でしたら、ハルトマン卿は何日も書斎に閉じこもる必要はなかったはずです。どうもこの屋敷に、私たちの知らない何かが起こっているのです」
領主の遺体に目礼して、トリアは再びリサに向き直る。
一方、リサの回答はあっけないものだった。
「そういうのには興味ありませんわ。わたくしはお嬢様さえ無事でいればそれでよかったです」
ゆっくりと、リサは構える。
武術を嗜んでいるわけでもなく、ただ強靭な肉体を駆使した本能任せの姿勢。
それを、トリアはどこか悲しみを滲んだ表情でみつめた。
「そう、ですか。しかし残念ながら、わたくしにも全うすべき使命がございます」
トリアは両手で錫杖を握りしめた。
「どうか、無力なわたくしをお許しください」
自分でしか聞こえない細い声で、神の下僕は嘆願した。




