第20話 交錯
夕日が沈む時刻。
本来茜色に染まるはずの空は一面に鈍色で覆われ、辛うじて黄ばんだ光を拾い集めていた。
人がバタバタと倒れる廊下を、リサは昏睡状態に陥ったクリシスを背負って歩く。
時は16時47分。
人数が一気に減ったせいか、昨晩に比べて四時間もはやく周りが昏睡状態に陥った。
領主のズィーゲルが亡くなり、食料の備蓄もいますぐにでも底をつこうとしている状態。まもなく崩壊が訪れるだろうと、もはや誰から見ても一目瞭然だ。
なのに、内部の人間は異端狩りで我を忘れている。
そんな人たちでさえ、クリシスは助けようとした。
わが主はいつもながら自分のことが眼中にない。
さきほどのクリシスの言動を思い出し、リサの口元は若干緩む。
背中越しに伝わる暖かな感触と香り、クリシスが脱出してからリサは毎日主の部屋を訪れ残り香で頑張っていたが、本人が戻ってからは一味違う。
今晩もお嬢様を抱き枕代わりに使わせてもらおう。
これから起きる至福の時間を想像しながら、リサは軽快な足取りをさらに速める。
半分魔族の血が混ざっているおかげか、最終防衛術式の副作用はリサに効かなかった。
だから、夜に起きたことも一部始終見届けた。
ファルミが守備軍の仲間を殺していたことといい、最初からずっと。
驚きはあった。
でも関係ないと思って、いつものように口を噤んだ。
ファルミが裏切るなんてありえないことだ。もしかして、これはズィーゲルによる指示で、陣を維持するため必要不可欠の儀式だとリサは考えた。
余計なことは聞かない。
知ったとしても知らないふりをする。
多くを語れば結局火傷し、主に迷惑をかけることになってしまう。
魔族の血を引く者として、リサは過去の経験で思い知らされている。
だからこそ、できるだけ無口を貫こうとした。でも……。
これをクリシスに告げるべきか、リサは迷った。
クリシスには生きてほしかった。
自分がクリシスに助けられたことを、何よりも誇りに思っているように、クリシス・フォン・ハルトマンは必ず世界が必要とする人間なのだと、リサは信じて疑わない。
しかし勇者家血族の使命感は、つねにクリシスを苦しい道へ駆り立てる。
リサはそれが心配だった。
クリシスは常に正しい道を選ぶ。
損得勘定ではなく、ただ正しくありたいと心が願い……しかし同時に、優しすぎていたのだ。心に雑音が許せないほど優しく、ありのままでありたいと、自分にも厳し過ぎていた。
「よっ、元気してるかメイドちゃん」
すれ違う誰かさんに頷き返し、リサはとにかく書斎のほうに向かうことにした。
「おい、ちょい待った」
「チッ」
まさか呼び止められると思わず、リサは舌打ちする。
「メイドちゃん。普通こういう時自然体で通り過ぎていく奴いねぇだろう」
「現に一人いますが」
リサはクリシスを真似て半眼になる。
すれ違った人。薄汚れたなりを直さずに着こなしたのは、ほかでもなくクリシスと一緒に屋敷に戻った、自称特級冒険者の変態勇者候補――ベーゼだった。
「まぁいいや。メイドちゃんが半魔族ってことは会った瞬間分かってたしね。職業病であの時反射的に剣を抜いちまったがすまなかった。で、ちょっと聞きたいんだが、十歳ぐらいの、胸が小さい灰髪の娘見なかったか。ちょうど探しててよ」
なぜ特徴に、十歳のあとに胸の大きさを補足する必要があるのだろうか。
やはりこの男は変態だ。
心の中で再確認を終了し、リサはクリシスを護るように一度背負い直す。
「なんですか。探し出して犯そうとするんですか」
「違うわい!」
リサは困惑した。
「幼女はタイプではありませんの?」
「いくらオレでもそんなことはしねぇよ」
「年齢にこだわるなんて、見損ないました。調子抜けです、がっかりしました」
「あのなぁ……メイドちゃん、なんかいつもより口がひどいなぁ」
「こっちが素です」
「だろうね」
短い挨拶を交わし、リサはどうでもよさそうに肩をすくめる。
「わたくしは気づきませんでしたけれど、お嬢様は今朝集会で子供を見たとおっしゃいました。それでこれから名簿をチェックしようとしていたところです。概ね無駄でしょうけれど」
「なるほど……実はさっき何人も子供らしき姿を見かけたって言い出してね。それで調べている最中だぜ」
「左様ですか」
リサはまったく興味がなかった。
でも、クリシスのために情報を集める必要があるから、男と会話を続けることにした。
「それで、避難の用意は整いましたか」
「いや~~、それがね。どいつもこいつも神官ちゃんの命令で必死で、オレの言うことなんざ聞く耳を持たないのよ」
「魔族を助けた者に相応しい末路ですね」
「助けてはいない。ただ協力をしなかっただけさ」
「彼らにしてみれば同じことよ」
領民たちが書斎に押し寄せる際、ベーゼは傍観者の立場を貫いた。
どうぞと肩をすくめて、一步引く。
リサはその行動には理解しているつもりだ。
彼女が半魔だと知りなお肩入れする人間はいままでクリシスしかいなかった。ベーゼが中立でいたことに、リサ少し少なからぬ感謝もしている。でなければ、恐らくその場で命を落としただろう。
だからいまもミカンではなく、名前のほうをよんでいるのだ。
それでもベーゼに会ってから感じたうさん臭い感覚はいつまでもリサの心から薄れることはなかった。
「ところで、ベーゼさま、ひとつだけ質問させていただいてもよろしいでしょうか」
だからリサは切り出す。いつもと同じ無感情な声で、決意をこめながら。
「どうぞ」
「どうして旦那さまを殺したのですか」
ベーゼは「はっ?」と眉をよせた。
ボサボサの髪を掻いて、どうしてこうなるのか、とまったく理解不能の表情になる。
しかし、その目が徐々に鋭くなっていることを、リサは見逃さなかった。
「昨晩、わたくしお嬢様を守るために部屋からは出なかったのですが、ファルミは貴方に倒されたとお見受けしました。いくら凄腕であろうと、自分の後ろ首をあんなふうに綺麗に切るのはありえないことです。そして、この屋敷にてこのような実力をお持ちなのはもはやベーゼ様のほかおりません」
「ファルミのことは認めよう。でもハルトマン卿をやったのはオレじゃない。詳細は言えんがな」
腕を組んで、ベーゼはまっすぐの眼差しで答えた。
ほんとうに気持ち悪いぐらいの潔さだとリサは思った。
「それ、嬢ちゃんが言ってたのか」
「いいえ、言えばファルミたちが殺人に関与していることも説明しなければなりませんから。お嬢様さまは、できるだけこういうことから遠ざけてほしいです」
「賢明な判断だ。嬢ちゃんならすぐにでも相手を問い詰めかねん。自分の身を危険に晒してもな」
いまリサの背中に身を預ける少女を一瞥して、ベーゼはやれやれと短い息を吐く。
「じゃオレはこれで失礼するぜ。十歳ぐらいの胸が小さい灰髪の娘を探さなくていかんもんでな」
肩を竦めて、ベーゼは勝手に歩いていく。
結局、なにも分からずじまいか。
その後姿をしばらく見つめて、リサはクリシスを背負い直して、再び書斎へ向かうことにした。




