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【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
第一部 ハルトマン領陥落
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第19話 意志

 虚ろな目で、クリシスは手を伸ばす。


 メイドの頬を、かったるい腕に力を振り絞って、弱々しい手付きで触れる。


 抱きしめられていることもあり、その褐色の肌を、温もりを、クリシスは直に感じていた。


「ねぇ、リサ……」


 遠い虚しい思いをして、長年胸に詰まった質問を、クリシスは口にする。


「私は間違ったんでしょうか」


 心が告げている。


 ある意味、それは公正かつ厳正な父が目指すものと真逆なものだった。


 兄のサルースがしてきたように、物事は必ず表裏があり、勇者の家に生まれた者は全てを見極めてから決断しなければならない。


 これが、上に立つ者の責務というものだ。


 小さい頃のクリシスは理解に苦しんだが、大人になるにつれ、徐々に分かるようになった。しかし、それでも、心が、身体が思い通りにいかないことが多かった。


 やりたいこと、やるべきこと、やらなければならないこと。


 サルースは三者を一つに束ねて、まっすぐに貫いた。


 少なくとも、クリシスは兄が迷う姿は物心がついた時から見たことがない。


 あの日以来、クリシスただやるべきことを選んでやっているに過ぎなかった。


 それも、自分を証明して、父に認めてもらうために。


 その父ですら、いまやいない。


「お嬢様はなにも間違っておりません」


 いつもと変わらぬ冷淡な声で、リサは答えた。


 冷遇されて以来、責任を取るつもりでまだ十歳のクリシスは手取り足取りリサに言葉と礼儀を教えた。最初は本当に誰が主人か分からなかったほどだったが、それでもリサがいまのように成長したのは、ほかでもないクリシスのおかげだ。


 だからリサはつねにクリシスの良き理解者であり、言葉も代弁してくれる。


 そのため、さきほどの言葉も意味も無論リサには分かっている。


 ――あの時、私が貴方を救ったのは、間違いだったんでしょうか。


 それぐらいひどいことを、クリシスは口にしたのだ。


「お嬢様は、なにも間違っておりません。私は、とても幸せです」


 俯いて、リサは両手でクリシスの手をとり、包む。


 まるで祈るように静かに言葉を繰り返した。普段の彼女では想像もできない、精一杯の意思表示。それが聞こえただけで、クリシスは救われた気分になった。


 もしここで否定されたら、きっと、クリシスという存在は壊れてしまうだろう。


「ありがとう。リサ」


 閉じた瞳の端に涙がにじみ、頬を伝って落ちる。続いて、クリシスの口から自然と感謝の言葉がこぼれた。


 そういう感情に囚われたりする場合ではないと。クリシスも分かっている。


 でも、これを確かめずに、彼女は前へ進めないのだ。


 手の甲で涙を拭き、クリシスはリサの抱擁から離れる。


「ここは?」


 薄暗い空間に、巨大な立方体――かすかな虚影を映す半透明の塊が二人の前を塞ぐ。


 視認できる範囲の半分以上も占めてしまい、クリシスはなぜここにいると戸惑った。気絶する時、彼女はたしかに書斎のほうにいて……


「トリア様が設置した霊安室でございます」

「れいあん、しつ?」


 言葉の真意を確かめるように何度も唸り、クリシスはぱっと目を見張る。


「これは、氷……?」


 手を伸ばして塊に触れてみると、手のひらがぴったり吸い込まれて、クリシスは慌てて引き戻す。


 西大陸の東に位置するハルトマンでは滅多に見られない水の晶体。どうして屋敷の内部で、このまま溶けずにいたのだろうとクリシスは一瞬途方に暮れた。


 でも、氷。


 クリシスにとっては今朝見たばかりのものでもある。


 倉庫が燃えた時、涙目の神官もたしかに氷を発生させ、一瞬で火を消したのだ。


「トリア様は守備軍の遺体をみなここに安置なさいました。せめて国を守った戦士たちが異形の口から逃れ、ちゃんと土に還るようにと」


 立ち上がり、リサは両手を身体の前に合わせて、普段のようにメイドらしく振る舞った。しかし、主を奉仕するために纏った潔白の装束はなぜか汚物と血の雫に塗れて、本来の意味合いから外れている。


「リサ……」


 何かあったか、クリシスは想像したくなかった。


 彼女の知るリサは強い。半分魔族の血が混じっているため、単純な身体能力なら勇者の兄にも遅れをとらないほどだ。


 そんなリサがこんな姿になったのは、よほど苛烈な戦闘を経験したからにほかならない。


 最終防衛術式の内部で、相手になる者はたかが知れている。


「お嬢様が気絶されたあと、生き残りのみなは書斎に駆けつけて、旦那様の遺体を発見しました」


 冷淡で、無感情のまま、リサはただ事実を述べる。


「ベーゼ様が危惧したように、恐怖が一気に広がりました。食料もないうえに、最終防衛術式も崩壊寸前。ならこれ以上ここに籠城しても意味がないと、逃げ出すならいまのうちだと。そう主張する方が何名も出てしまいました」

「それで……殺し合いが始まりましたか」


 大広間でベーゼが提示した可能性を思い出し、クリシスは口を押さえて、何歩も後ずさる。


 リサは静かに首を振った。


「いいえ、幸い、そうはなりませんでした。ベーゼ様もその場にいたし、武力を講じても意味がないと理解したでしょう。ただ、あの場に駆けつけたトリア様はこうおっしゃいました。『そこのメイドは魔族の血を引いた者です。すぐに彼女を拘束しなさい』と」


「そんなっ、どうして!」


 次の言葉が喉から出るよりもはやく、クリシスはふと見習い神官が手にする錫杖を思い出した。


 あの錫杖……トリア自身も言ったように、探知機能がついている。


 クリシスは最初リサが半魔だから探知機能からのがれていたと思い込んでいたが、いまはむしろなぜいままでトリアがリサの正体を口にしなかったのか疑問を覚えた。


「トリア様も恐らく場を落ち着かせるためでしょう。だから拘束とおっしゃって、滅ぼしなさいと口にしませんでした。ただ、領民たちの目を見れば結果はどうなるか一目瞭然です」


 一度視線をそらし、リサは巨大な氷を見上げる。


 内部。


 赤み混じりの鎧が見え隠れして、今朝亡くなった警備隊長――ファルミの姿もあった。すでに亡者と化した守備軍の抜け殻は、神官の手により土ではない安息を約束されている。


 ただ、氷に佇む最期は、どうも彼らが望む最期と違ったようだと、クリシスは感じた。


「わたくしが半魔ということがみなに知られてしまった以上、このままお嬢様をそこに居させてはいけないと判断しました。この場所はトリア様の許可なしに誰も入ってきません。だから一時的に隠れ蓑にしました。勝手な行動、どうかお許しください」


 姿を正し、リサは主に向けて深く頭を下げる。


 クリシスは唇を噛んだ。


 父が亡くなり、状況からしていち早く領民たちを地下通路のほうに集合させるべきなのに、どうしてここでうち揉めが始まったか。


 でも……


 やるべきことは最初から決まっている。


「まずは一度書斎に戻りましょう」


 クリシス・フォン・ハルトマン。


 勇者の家系に生まれた少女は、つねに自分が是とする無謀な道を選ぶのだった。

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