悪魔の門番
「よし、正門は閉められていないし、障害物もない。一気に突入するぞ!」
進行方向に邪魔をする存在がないのを確かめ、ヒルデブレヒトは合図と共に、黒燕号を加速させる。
瞬く間に迫る、街路と地続きになった階段の登り口に、ふとカイトは違和感を覚える。
嫌な予感に駆られた彼は、視覚ユニットの赤外線感知システムを起動させる。瞬間、濃密な青紫によって占められた視界の中に、階段の前へと立つ、人の輪郭をした赤い影が映り込んだ。
「止まれ、ヒル!! 罠だ!!」
突如、背後から叩き付けられる怒鳴り声に、ヒルデブレヒトは思わず反射的に手綱を引く。
急制動を掛けた黒燕号は、蹄鉄で路地の表面を削り、体勢を崩しながらも脚を止める。
激しく揺れる馬上から、カイトは片手の拳銃で、姿の無い人影へと撃ち掛ける。
正確な照準をもって発射された三発の弾丸は、しかし標的へと達する寸前、不可視の障壁によって叩き落とされた。
「おっと、バレたか。もう少しで壁にブチ当てられるところだったんだが、惜しかったな。しかし、そっちから俺は見えないはずなんだが、それも鋼骸種ならではの能力ってやつなのか?」
どこからか、軽い驚きの籠った、薄笑いの声が響く。
それに合わせて、階段の手前にあたる街路の一角が、蜃気楼のように揺らぐ。
唐突に濁り、映る物の輪郭をぼやけさせたその光景には、身に纏っていた透明なヴェールを剥ぎ取るようにして、軽薄な微笑を浮かべたギスティアが現れた。
「見えない、壁……!? あいつ、まさか魔術師―いや、悪魔か……!?」
突然目の前へと姿を見せた、不可思議な術を使う黒づくめの男に、ヒルデブレヒトは激しく動揺しながらも、即座に相手の正体を見破る。
以前、カイトがこちらの世界に飛ばされた直後に出会っていたその悪魔は、空気を自在に操るという力を有していた。恐らく、彼は周囲の空気の密度を調整し、光線の屈折率を操作することによって、自らの姿を路地側からは不可視としていたのだろう。
文字通り、魔法や奇術の類いとしか思えない技術を行使する、メリッサの元師匠との契約者であるというその相手に、カイトは声高に問いを投げる。
「おい、そこの悪魔! お前のご主人様達が捕まえた、俺のご主人サマは、何処にいる!?」
「ああ、あいつか? あのお嬢ちゃんなら、とっくに俺の故郷送りになっちまったぜ。残念だったな」
「そうか、分かった。じゃあ、念のために城の中も確認したいから、そこを通してくれるか?」
「そんな面倒しなくても、お前達もあっちに行って、直接会ってくれば良いじゃねぇか。どうだ? 道案内ぐらいなら、俺がしてやっても構わないぜ」
さも愉快そうな冷笑を頬へと刻む相手に、カイトは苦笑いを浮かべて鼻を鳴らす。二人の会話から大体の事情を察したヒルデブレヒトは、油断なく身構えたまま背後の彼へと目配せる。
「どうやら、交渉は決裂のようだね。それで、どうする?」
「当然、前進だ。悪いが、あいつには門番の仕事を辞めて、里帰りしてもらうとしよう」
迷いなく強行突破を即決するカイトに、ギスティアはおどけたように怯えた表情を作り、業とらしく両の肩を短く震わせた。
「おいおい、怖ろしいことを言うなぁ。それなら俺も頑張って、自分の身を守らなきゃなあ」
相手へと聞こえる声でそう独りごちた彼は、おもむろに右腕を掲げて指を鳴らす。
直後、その音と連動するように、彼の足元へと無数の黒い染みが浮かび上がる。そして、それらの淀みは音も無く形を成し、見る者が嫌悪感を催さずにはいられない、醜い異形の生物へと変化していった。
以前の交戦時と同じ流れに、カイトは改めて臨戦態勢を整える。
一方、初めて使い魔の召喚を目にしたヒルデブレヒトは、辛うじて平常心を保ってはいるものの、その声と身振りには隠しきれない動揺が滲み出していた。
「こいつら、悪魔の眷属か……!? どうあっても、僕達を通さないつもりみたいだね―!」
「ってことは、この先に守らなきゃいけない何かが、在るってことだな。ここは、どうあっても押し通らせてもらうぜ!」
迎撃のための陣形を組み上げる悪魔の一党に対し、カイトは開戦の宣言と共に、後ろ手に取り出していた投擲武器を投げつけた。
不意を打って放り出された、握り拳程の大きさをした鋼骸器に、ギスティアは素早く顔を腕で庇う。以前の経験を踏まえ、強烈な閃光へと万全の備えを取る彼だったが、その予測とは裏腹に、転がった鋼骸器から溢れたのは光ではなく濃密な煙だった。
カイトがルチアから譲り受けていた、視界撹乱手榴弾から噴出した白煙は、瞬く間に街路を覆い尽くしていく。厚い白壁の向こうへと姿を暗ませる敵に、まんまと裏を突かれたギスティアは舌打ちを漏らし、続けて余裕を帯びた笑みに唇を捻じ曲げた。
既に、天守へと繋がる階段の入り口は、空気の壁で固めている。例え、こちらの視界を奪い、隙を突いて突破しようとしても、それは結果的に無駄に終わることになるのは明白だった。
二段構えでの罠は万端であった彼は、仕掛けが功を奏するのを静かに待つ。
と、やがて響くであろう悲鳴に耳を澄ませていた彼は、頭上から妙な物音が降ってきているのに気付く。 ふと顔を上げたそこには、街路を挟む家々の壁の上を、道の方へ頭を向ける姿勢で走り抜けていくカイトの姿があった。
あたかも重力に逆らうかのように、垂直の壁面を猛烈な勢いで駆けた彼は、煙に燻る路地の上を通過し、階段の手前へと着地する。
全ての罠を跳び越え、後方へと降り立つ相手を、ギスティアは愕然として凝視する。
敵の予想を軽々と超えてみせたカイトは、得意気な笑みで彼を一瞥した後、天守へと続く石階段を一気に駆け上がっていった。
「クッソがっ、させるかぁ!!」
猛烈な速さで遠ざかる彼の背に、ギスティアは裏をかかれた怒りに青筋を立て、重ねた掌の合間へと空気の塊を練り上げる。その見えない砲弾が放たれようとした刹那、爆発的な雷撃の音が街路へと木霊し、四体の使い魔達が貫通した鉄片によって消し飛ばされた。
雷の弾丸が飛来した先には、射出時の風圧で吹き散らされた白煙と、その円の中で魔鋼器を構えて仁王立つヒルデブレヒトがいた。
彼は射撃形態としていた武器を降ろし、歪に強張った顔で振り返るギスティアへと微笑む。
「悪いね、彼は王女の救出で忙しいんだ。悪い魔王の手下の相手は、僕が務めさせてもらうよ」
「……誰かは知らねぇが、人間のクセに言うねぇ。なら、その極悪な主人を助けにいくためにも、さっさと邪魔者は露払いさせてもらうとするかぁ!」
憤怒と愉悦に割れた叫びに合わせて、使い魔達は一斉に標的へと殺到する。
一面に鋭い牙を剥き、長い爪を煌めかせて押し寄せる暗黒色の大波に、ヒルデブレヒトは剣とした魔鋼器を手に正面から飛び込んでいった。




