初めての朝
無色と無音に支配されていた空間を、単調で軽妙な響きの機械音が静かに揺らす。
直後、機能停止の状態にあった意識(OS)が再起動し、カイトは夢のない眠りから目を覚ました。
微睡みを挟まずに覚醒へと到った彼は、まず、自分が生きている事実を認識する。
それから、白い光に満たされている視界より、全ての警告表示が消えているのを確認した彼は、現状の把握へと移った。
そこは、天井や床までの全ての壁材に、乾いた色合いの木材が用いられている個室だった。
床面積はさほど広くはないが、壁の中程に開けられた採光窓より差し込む陽光によって然程閉塞感はない。普段は誰かの自室、もしくは客室として使われているのか、壁際には木製の小物入れや本棚、そして自分が寝ている簡素な寝台などの調度品が置かれていた。
カイトは横になった姿勢のまま、薄い枕へと乗せている頭を左側へと傾ける。
そこには、彼の枕元に置かれた三脚椅子へと腰掛け、古めかしい大判の本を膝上へと落としたまま、陽だまりの中でうたた寝をしているメリッサの姿があった。
全身に未だ動作不良と疲労の感を覚えながら、カイトは揺らめくようにして体を起こす。
その気配を感じ取ったのか、俯き加減に舟を漕いでいたメリッサは、小さく肩を躍らせて目を覚ます。上半身をベッドの上に起こしているカイトに気付き、彼女は驚きから寝ぼけ眼を大きく見開いた後、力の抜けた薄い笑みを浮かべてみせた。
「ふぅん、どうやら、まだ死んでなかったみたいね。さすがにもうダメかと思ってたけど、鋼骸種ってのはやっぱり、私達よりもくたばりにくいのかしら?」
「メリッサ……ここは、どこだ? あれから、どうなって―?」
「ここは、ルチアの店の二階にある、彼女の部屋。まったく、あんたいきなり自分の首に貰った鋼骸器をブッ刺して、それきりピクリとも動かなくなっちゃうんだもの。おかげで、変に重いあんたをここまで運ぶのに、どんだけ私達が苦労したと思ってんの!?」
「そう、だったのか……済まない、本当に助かった。あれから、どれくらい眠っていた?」
「大体、二日とちょっとくらいかしらね。後もう少し目を覚ますのが遅かったら、たぶんあなたルチアにバラバラにされて、彼女のおもちゃになってたんじゃないかしら―」
「メリッサ、声が聞こえてきたけど彼が起きたの!? わあっ、本当に生き返ってる動いてる、信じられない!! やっぱりあなた、メリッサの言ってた通り人型の鋼骸種だったのね!!」
メリッサが苦言を呈しようとしたその時、突如として上擦った高い叫び声が響き、ほぼ同時に部屋の扉が外側より開かれる。
蝶番が軋む程の勢いで弾かれたそこには、開け放たれた出入り口に立ち、寝台の上に身を起こすカイトを輝きに満ちた瞳で凝視している、一人の若い女性がいた。
彼女は、突然の闖入者に面食らう二人に構うことなく、一足跳びに室内へと駆け込む。
進路上にいたメリッサを椅子ごと軽々と弾き飛ばし、獣のような俊敏さで跳躍した彼女は、そのままカイトを押し倒す形でその腹上へと飛び乗った。
突然に自分の上へと馬乗りになる相手に、カイトは訳も分からずされるがままとなりながら、激しい戸惑いと微かな恐怖の滲む視線を送る。
何の前触れもなく現れ、何の説明もなく彼の自由を奪ったその女性は、少女と形容しても差し支えは無いであろう齢の頃だと思われた。
身に着けている衣服は、丈の短いチュニックに革製のホットパンツという、関節部の可動域を最大限に確保している軽装。外部へと露出しているその手足は長くしなやかで、生来のものか日焼けによるものかは判然とはしないが、メリッサとは好対照な浅黒い肌の色をしていた。
若干の赤みを帯びた頭髪はやや短めに切り揃えられ、その額へと掛かる癖のある前髪の合間からは、眩い程の好奇と歓喜の輝きを放つ、澄んだ青い双眸が覗いていた。
互いの鼻先を突き合わせるように、至近距離から自分を見つめてくるその少女に、カイトははっきりとした見覚えはなかった。
だが、気絶する直前の記憶に残っている、砂嵐のような光景の中の不明瞭な人物像。
また、先程この部屋へと響いた嬌声の響きなどの類似性から、カイトは現在自分に跨っている相手こそが、ナノマシン注入器を譲ってくれたルチアであると断定した。
「ふむふむ、こうして動いているのを見ると、やっぱり鋼骸種だなんて思えない……。肌の質感や瞳孔の反応なんかは普通の人と同じだし、何より人間と友好的な会話ができる個体なんて、今まで書物にも噂話にも出てきたことなんて一度もなかったし―」
ルチアは興奮した独り言を口にしながら、下敷きとした相手を舐めるように観察する。
遠慮も容赦もない熱い眼差しに気圧されつつ、カイトは自分の上半身をつくづくと吟味している彼女へと、やや戸惑い気味に声をかけた。
「えっ、と……君が、ここの主のルチアでよかったか? 俺が気を失う前に、その、液体の入った鋼骸器を譲ってくれた―」
「え? あ、うん、そうよ。まぁ、ホントの名前はルチャーナなんだけど。あっ、でも、どうせだったらそのままで! 鋼骸種から愛称で名前を呼ばれるだなんて、何かちょっと信じられないっていうか、妙に幸せを感じちゃうくらいの快感…………!」
そう言いながら、彼女は細身の体に比べて豊かな胸部の前で、鳥肌の立った両の腕を互いに擦り合わせる。ほんのりと頬を上気させ、半ば恍惚とした表情を浮かべて天を仰ぐその顔には、掛け値のない心からの喜びの色が滲んでいた。
その予想の斜め上を行く反応と要望に、カイトは対応の仕方が思い付かず、感激に身を打ち震わせているルチアを見上げたまま硬直する。
その時、彼女は何かを急に思い出したように、だらしなく崩していた相好を改める。
そして、数秒前とは雰囲気を全く異にした、真剣で鋭い眼光の宿った双眸を、ルチアは再び股下の相手へと差し向けた。
「そうだ、そんなことより、これ! これをどうにかできないかと思って、あなたが起きるのをずっと待ってたんだった!」
彼女はそう早口で捲くし立てながら、殴り付けるかのように右の拳をカイトへと突き出す。
彼の眼前へと差し出されたその手には、所々より金属性の端子が覗いている、円筒の形状をした小型発動機が握られていた。




