首だけの男
部屋全体を朧に照らしていた乳白色の光は、今は床へと乱立している巨大な円筒形の容器から放たれる、仄暗く重い緑青へと色を転じている。
また、その鈍い緑色に照らし上げられる広がりのある室内は、そこらじゅうに用途の知れない鋼骸器が鎮座し、その間を埋め尽くすように黒い触手状の何かが床へと張られていた。
「おやおや、ノックもなしにご来訪とは……。どうやら誉れ高き我らが魔導師殿は、常日頃の気品さを失念してしまう程の、私への火急の案件を抱えておられるらしい」
様相を一変させた周囲の光景へと、動じる素振りもなく鳶色の瞳を彷徨わせていたアビゲイルに、どこからか業とらしい驚嘆を覗かせる男の声が掛けられる。
語尾に反響の余韻を引くその声の方に、彼女はすっと視線を向ける。
そこには、自身を囲む複数の光を放つ文字板を、胴体である長方形の台座から伸びる、数十本の鉄の指で目まぐるしく手繰っている、『ネックマン』の背中のない後ろ姿があった。
魔導士もしくは魔女として、魔術という超常の理を体得しているアビゲイルは、異形の者や術に対して、少なからざる理解と許容の態勢を示すことはできた。
だが、彼と初めて顔を合わせてから、既に半年程が経った現在。
彼女は数多の鋼骸器をまるで我が物のように自在に操る、頭部のみで生存し続けているその得体の知れない相手に、未だに緊張と警戒を完全には解けないでいた。
その存在を知る者達から『ネックマン』と呼ばれるその男について、アビゲイルはさほど多くは知らない。
ただ、彼が異界の物であるはずの鋼骸器を思いのままに従えるという、魔術とは異なる人外の技を行使することができるということ。また、自分が魔導士として登用されたのは、魔術の知識を得たいとする彼の意向によるものであったこと。
そして、彼の力に庇護者であるグランドール公が目を付けたのを契機に、例の「計画」が始動した経緯については、成り行き上自然と彼女の耳にも入ってきていた事柄であった。
アビゲイルは『ネックマン』の正体や出自に、知的な興味と好奇心を持たない訳ではない。
しかし、彼女は自分の目的のため、彼の謎めいた能力を利用できればそれで良く、必要以上に私的で人間的な関わりを持つつもりは毛頭なかった。
だからこそ、アビゲイルは理由や目的もさほど詮索することなく、彼が求めるままに魔法の力や技術を提供してきたのであった。
そうした、敢えて距離を置いている相手から投げられた皮肉めいた文句に、アビゲイルは親しみを装った返答を無表情のままに口に出す。
「あら、ごめんなさい。空間転移の魔法を使うと、どうしてもドアを通り過ぎてしまうのよ。今度からは腕だけ先に移動させて、前もってノックをしておくことにするわ」
「それはさておき、用件は何だ? わざわざ、他の者達の目を逃れてまでここへとやってきたのだ。何かしら急を要する、しかも我々で内密に処理したい案件があるのではないか?」
相手から振られた冗談に乗る様子もなく、ネックマンは早々に話題の流れを本題へと変える。
その人間味の欠けた冷淡さと、思考の読めない勘の鋭さに、アビゲイルは薄気味の悪さを覚える。
彼へと対する不信感と嫌悪感を更に強めつつ、彼女は平淡な響きとなった口調で、簡潔に訪問の目的を告げた。
「ギスティアが、目標の捕獲に失敗したわ。それについては、とっくにあなたの耳にも入っているんじゃないかしら?」
「ああ、連絡は受けている。あの彼が小娘一人も捕えられずに逃がすとは、俄かには信じがたかったがね。そのメリッサとかいう娘、さすがは君の見込んだ逸材というところなのかな」
「実は、彼女の潜伏先を特定した際、正体不明の相手からの妨害を受けたらしいわ。ギスティアからの報告によると、その相手は人間離れした身体能力を持っていただけでなく、あなたと同じように鋼骸器を自在に扱っていたそうよ」




