温度差のある交渉
何の一言もなく退出していくその滲んだ背中に、カイトの心中には黒く重たい絶望の雲が、加速度的に隆々と湧き起っていく。
一方、言葉もない彼女の突然の行動に対し、メリッサは少しも戸惑いを見せなかった。
彼女は打ちひしがれるカイトを、これ以上支えるのは無理だといった風に、近くにあった作業用の椅子の上へとぞんざいに座らせ、倦怠に満ちた溜息を零すだけだった。
そして、メリッサからの説明もないまま、間断なく押し寄せる苦痛の波にカイトが再び気を失いかけ始めた頃。
半開きとなっていた扉の先から、ゆったりとした足取りでルチアが姿を現し、部屋に残していた二人へと何の気負いもない口調で声を掛けた。
「えっと、もしかしてあなた達の言ってるのって、これ? さっきの話のに似てる子っていったら、私の集めた鋼骸器の中だとこれぐらいだと思うんだけど……」
あくまでマイペースを保ったまま、彼女は右手を掲げて確認を取る。顔の真横へと挙げられたその手には、指先に軽く摘ままれる形で、一本のナノマシン注入器が収まっていた。
色と形を失いつつある景色の中、その半透明な円筒形をした容器の画像は、カイトの視覚へと克明な色彩と形状をもって浮かび上がる。直後、彼は荒く濁った叫び声を上げ、ほとんど反射的にそれへと向かって跳び掛かっていった。
あたかも、飢えた獣のような勢いで迫るその姿に、ルチアは慌てて横ざまに飛び退く。
伸ばした腕が空を切ったカイトは、そのまま前のめりとなって板張りの床へと倒れ伏す。
渾身の力を振り絞って体を起こそうとする彼に、持っていたナノマシン注入器を後ろ手に隠していたルチアは、距離を置きつつ戸惑いと非難の声を浴びせた。
「ちょっとちょっと、いきなり何!? あのね、他人の物を断りもなく勝手に取ろうだなんて、そういうのはドロボーっていうんだって知らないの?」
「か、ハッ……た、頼む、今すぐそれを、譲ッテくれ……! もう、時間ガ無いんだ……!!」
「うん、どういうこと? あっ、もしかしてあなた、鋼骸器の収集家さんなの? だとしても、悪いけどこれはあげられないかな。けっこう体調が悪そうなのに、そこまで頑張れるのは凄いと思うけど、この種類の鋼骸器は私もあまり見たことがないの。だから、これがどういった子なのか、私もいろいろと調べていかないといけないし、申し訳ないけど幾らお金を払って貰ったとしても、あなたにはやっぱり譲れない。ごめんなさいね」
そう言って小さく頭を振る彼女の言動には、カイトに対する心からの同情や謝意と共に、頑ななまでの拒絶の姿勢が示されていた。
だが、自分の命が掛かっている以上、カイトとしても引き下がる訳にはいかない。
彼は、手前に置かれていた机の脚を支えに立ち上がりながら、向かいにいるメリッサへと援護を求めて視線を送る。しかし、彼女は軽く肩を竦めるだけで、代わりにルチアを説得してくれるような、カイトを助ける素振りは見せなかった。
周囲からの助力は期待できず、自分の危機的状況を相手に理解させる時間もない。
だからと言って、無理矢理に強奪することも現実的に不可能な状況に、カイトは声にならない絶叫を口の中へと迸らせる。
そして、眼前が前よりも更に濃い闇によって閉ざされかけた刹那。
カイトの濁り切っていた脳裏へと、天啓にも似た、ある一つの打開策が浮かび上がってきた。




