時間切れ
受身も取らず転倒する彼に、思わずメリッサは身を竦ませて立ち止まる。
彼女が当惑の表情で見下ろす中、カイトはその足元の雑草を押し潰しながら、火に炙られる虫のように激しく身悶えを始める。
苦痛に割れた呻き声を、喉の奥より絞り出す彼の視界には、劣悪な明度と解像度による周囲の景色と共に、生体ユニットの汚染を警告する表示が赤々と映し出されていた。
「くっ、そ……。やっぱり、義身を誤魔化し切るのも、ここまでが限界かっ―」
突如として押し寄せる激しい頭痛と、圧縮機に掛けられているかのような猛烈な胸の圧迫感。それらの苦痛を表す複数の信号が、混然となって自らの感覚センサーを掻き乱すのを感じな
がら、カイトはこの世界で目覚めた時から恐れていた事が、遂に現実のものとなってしまったのを悟った。
一般的に、生得的・人造的に関わらず何かしらの生体機関を内蔵する種類のサイボーグは、所定の稼働時間を迎える度に義身の整備と合わせて、その体液である生理電解液(PES)の濾過を受けることが必要となっている。
なぜならば、義身を構成する強化筋肉や内蔵器官の多くは、その装備者へと常人を遥かに凌ぐ身体能力を付与する半面、危険性の高い複数の有害物質を生成してしまう負の側面を有しているからであった。
時間の経過や稼働量に比例し、体内の生理電解液へと徐々に蓄積されていくこれらの物質は、人型の義身に収納できる規模の装置では完全な浄化は難しい。
そのため、多数のサイボーグ兵を擁する中央政府軍は、彼らから内蔵式の浄化機器を完全に排除して運動機能へと特化させた上で、生体機関の維持を外部装置によって賄うという運用方式を取っていた。
そして、生来の脳髄と、疑似生体機関を有するカイトもまた、定期的な生理電解液の浄化が必須となっていたのだが、ここにはそうした専用の設備のある施設など存在するはずもない。
更に、彼は先刻の戦闘と逃走において、限界を度外視して自らの義身を酷使していた。
その、自身とメリッサを守るために選択の余地のなかった行動は、結果的にカイトの生理電解液の汚染度を急激に上昇させ、最終的には自家中毒を発症させる段階にまで至らせていたのだった。
機能不全へと陥ったカイトの四肢は、脳幹部より受信する信号派数の断続的な乱調から、痙攣にも似た小刻みな誤作動を起こしてのたうち回る。
そうした相手のただならぬ様子を、訳も分からず茫然として眺めていたメリッサに、カイトは食い縛った歯の間から擦れた声で叫びかけた。
「メリッ、サ……! 注射器は……この辺りに、鋼骸器の注射、器が落ちている……のを、見たことは……ない、かっ……!?」
「はっ、えっ……!? な、何なのよ、そのチューシャキって!?」
「先端に、針……が付いている、液体の入った、透明な、円柱形の容器だっ……。お、願いだ、
もしそれがある、場所を知っ……ていたら、俺に教えて、クレっ―」
「しっ、知らないわよ、そんなの! 大体、あいつじゃあるまいし、私が鋼骸器のガラクタなんかいちいち気にするはずないし、そもそも知ってたところで、どうしてあんたなんかに教えてあげなくちゃなんないのよ!」
予想通りとも言える彼女の酷薄な返答に、カイトは怒りを感じる余裕もなく、微かな希望さえも消えた事実に打ちのめされた。
通常、生理電解液を有するサイボーグの多くは、義身のクリアリングが緊急に必要となった場合に備え、数本の無機分子注入器を携行している。
これは、容器内に保存された医療用ナノマシンを接種することで、一時的に自家中毒の症状の緩和、及び有毒物質の一定量の中和を行う、サイボーグの活動継続時間の延長を目的とした道具であった。
カイトは中央政府へと叛旗を翻した後、敵軍から奪取するなどしたこの機器を継続的に使用することで、自らの義身と命を保ってきた。
だからこそ、その唯一の生命線が決定的に断たれてしまった今、生理電解液の汚染という非常事態を打開する術は、もはや彼には残されていなかった。
感覚器で発生している不具合により、全身から脳髄へと伝達される痺れや痛みを引き起こす信号は、その間隔を狭めながら加速度的に激しさを増していく。
徐々に灰褐色へと色彩を転じていく、複数の警告文が重なっている虚空を仰ぎながら、カイトはか細くも悲痛な響きに満ちた怒声を迸らせた。
自分が過去の行いへの報いから、いつの日か無残な死を迎えることについては、ずっと前から覚悟はしていた。そして、かつての主の血塗られた野望を挫き、自らがやるべきことを成し遂げた今、既に生への未練も然程はなかった。
それでも、自分の知らないこの世界の中で、何も知らないままに死ぬのは嫌だ。
自分がここへと到った訳も、最期を迎えることになる異世界の姿も分からず、このまま無へと消え去ってしまうなど、絶対に受け入れることなどできはしない。
そうした、強烈な衝動に突き動かされるまま、カイトは自身へと覆い被さりつつある死の影を振り払おうと、有らん限りの気力を奮い立たせて身じろぎ続ける。
鬼気迫る様子で地面を這い蹲る彼を、蒼白となった面持ちで黙視し続けていたメリッサは、やがてそのくぐもった悲鳴を振り払うように、早足で森の奥へと駆けていく。




