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兄嫁が婚約者と愛の逃避行!? 赤ん坊を置いて持ち出した物、全て返して頂きます!  作者: さんけい


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18/33

18 開かれた扉

「アマンダよ」


 中で、何かが落ちる音がする。椅子か。燭台か。

 それとも、今さら慌てた誰かの手から、荷物でも落ちたのか。


「ア、アマンダ?」


 クリスの声だ。間抜けなくらい、知っている声だった。

 婚約してから何度も聞いた。

 茶会で。庭で。兄の書斎の前で。私に向かって、君はしっかりしているね、と笑った声。

 その同じ声が、今、古い離れ宿の中で裏返っている。


「開けて」

「待って、今は」

「開けて」


 扉の向こうで、ばたばたと足音が動く。逃げる気だ。

 そう思った瞬間、裏手から低い声がした。


「こちらは塞いでいます、兄上」


 ジェイだ。中の足音が止まる。私は扉をもう一度叩く。


「開けなさい!」


 少しして、閂が動く音がした。扉が細く開く。

 隙間から、クリスがこちらを見る。髪は乱れている。上着は良いものだが、袖口に泥がついている。

 首元には、私が贈ったクラヴァットピンはない。当たり前だ。さっき回収した。


「アマンダ、君がどうして」

「追ってきたからよ」

「いや、でも、君は」

「強いから?」


 クリスの口が止まる。私は扉を押す。一歩下がったので、そのまま中へ入る。

 部屋は狭い。古い暖炉に火が入っている。

 椅子が二脚。小さな寝台。テーブルの上には、パンと干し肉、果物、そして開けかけの葡萄酒。逃げている最中に、ずいぶんと整った食卓だ。

 奥に、シャーリーンがいる。濃い青の外套を羽織っている。

 髪は少し乱れているが、それでもピンで留め直そうとした跡がある。頬には白粉。唇には色。

 赤ん坊を置いてきた人は、逃げながらでも唇の色は忘れないらしい。


「アマンダ様」


 シャーリーンは胸の前で手を組む。


「どうか、聞いてください」

「聞くわ」


 私は答える。


「ただし、先に荷物を出して」

「荷物?」

「持ち出したものよ」


 シャーリーンの目が、ほんの少し横へ動く。寝台の下だ。分かりやすい。

 私は寝台の方へ歩く。


「待って」


 クリスが手を伸ばす。その手首を、裏口から入ってきたジェイがつかんだ。


「兄上」

「ジェイ!」

「触らないでください」


 声は荒くない。けれど、クリスの手はそこで止まる。

 私は寝台の下から鞄を引き出す。小さな旅行鞄。鍵はかかっていない。開ける。

 中には、シャーリーンの手袋、櫛、香水、下着、薄いショール。それから小さな革袋。

 革袋を開ける。硬貨が入っている。宝石も少し。その中に、兄の予備眼鏡があった。

 丸い銀縁。片方の蔓に、小さな傷がある。父が使っていたものを、兄が直して使っていた眼鏡だ。


「これ」


 私は眼鏡を取り出す。


「どうして持っているの」


 シャーリーンは唇を噛む。


「それは、あの」

「どうして持っているの」

「売るつもりはありませんでした。ただ、困った時に」

「困った時に、兄さんの父親の形見を使うつもりだったの」

「だって!」


 シャーリーンの声が跳ねる。


「私は何も持たずに出るしかなかったのです! あの家では、何もかもウィリアム様のものだったわ。私のものなんて、少ししか」

「真珠の耳飾り」


 私は外套の内側から包みを出す。


「白鹿亭で回収したわ。兄さんが結婚一周年に贈ったものよ」


 次に、銀のがらがらを出す。


「ヘンリーのもの。ロムジーの青麦亭で回収した」


 刺繍のハンカチ。


「兄さんのもの。私が子供の頃に刺した」


 小さな額。


「兄さんとヘンリーの肖像画。ハドリーで見つけた」


 鍵束。


「エルフォード家の家政鍵。湯治場の宿で預けていた」


 クラヴァットピンの箱。


「これはクリス、あなたに贈ったものね。馬代になっていたわ」


 クリスが目を逸らす。

 私は最後に、兄の眼鏡箱を出す。空の箱。そして今、手にある予備眼鏡。


「これで、ようやく揃ったわね」


 テーブルの上に並べる。


 真珠。銀のがらがら。ハンカチ。肖像画。

 家政鍵。

 クラヴァットピン。眼鏡箱と眼鏡。


 逃げ道に落ちていたもの。使われたもの。預けられていたもの。売られかけたもの。

 部屋の中で、火がぱち、と鳴る。

 シャーリーンは泣きそうに唇を震わせる。けれど涙はまだ出ない。

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― 新着の感想 ―
真珠やピンなど贈与されたものはその人のものなので、まるで盗んだかのように言うのはおかしいです。 また養殖技術が開発される前の天然真珠や金時計は宿代などとは比べ物にならないほど高額なものなので、それを置…
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