94 湾市にて2
ばっと烏を見るも、持っている訳もない。
「蹴ってみたらどうだろうか」
真面目な声で言わないでほしい。
でも他に妙案がうかぶわけでもない。
「ていっっ」
厚底ブーツで蹴りを入れてみる。
「水寄こせっ」
三回蹴ったところでペットボトルが落ちてきた。
「やったッ」
「本当に出てくるとは……」
「えっ貴方が蹴れって言ったんじゃない」
「いやまあ……良かったじゃないか」
「なんだかなー」
経緯はともかく、ようやく手に入れた水は素晴らしく美味しかった。
考えてみたら、いつぶりだかもわからないくらい久しぶりだ。
最後に水を飲んだのは、新王国の城へ行く前だったか。
冥地の縁を歩いていた時は、時間の流れが妙だったのでカウントできない。
「ハーッ生き返る」
腰に手をそえて、一気飲みだ。
「おっさん臭」「何か言った?」
烏を睨みつけて
「さー、登山再開よっ」
と気合を入れ直す。
自販機の前を離れると真っ暗で足元が危うい。
わずかな明りがある階段を目ざしてゆっくり歩く。
おそらくこの明かりは非常灯だ。
だから、電源が落ちたら使えないエスカレーター部分には無い。
「この街って、最盛期にはどのくらい人口があったのかな」
「三千万とも五千万とも言われているが」
「そんな大きなケタの数、久々に聞いたわ」
元いた世界では普通に毎日目にした数字だったが。
「今はどのくらい?」
「おそらく、せいぜい数万というところだろう。人口の統計もとられなくなって久しい」
「廃墟化も進むわけだわ」
フロアを三つ程昇ったところで、びっくりするようなものを見つけた。
「……電車?」
都電とか市電とか言われるタイプの、一両編成の電車が停まっていた。
低いプラットホームには街灯が立ち、車内にもぼんやり明りが灯っている。
「よし、乗ってみよう」
乗降口は開いていたのでこれ幸いと乗り込む。
座席は、この世界標準では超フカフカだ。
腰かけたらうっかり寝そうになった。
その時、車内が明るくなると同時に振動が走り、私は電車が動き出そうとしているのだと気づいた。
電源が入り、モーターが回転するなじみ深い感覚。
車体はゆっくりと動き出す。
「あれ? そういえば、これって電気で動いてるの? 魔力じゃなく?」
「湾市の中は電力が通っている。中央塔の最上部には天からのエネルギーを受ける装置があり、中央塔下部で電力に変換する。それで大半をまかなっている。かっては他にも多くの発電施設があったらしいが、今はほとんど稼動していない」
向かいの座席にちょんと立った烏が答える。
電車は暗黒の中を走り続け、窓ガラスには車内の景色がうつっているだけだ。
「仙女、仙女、」
王子の声に目を開けると、景色は一変していた。
うっかり眠っていたらしい。
明るい。
外だ。
電車は砂の上―――というか空中を走っている。
この感じはあれだ、ゆりかもめ。
砂の上にわずかに顔をのぞかせた駅に停まる。
砂の中にはいくつもの高層建築の名残りが見え、かってはここが美しい海上都市であっただろうことをうかがわせた。
線路がゆるくカーブして、湾市の中心部が車窓に入ってきた。
凄い。
その巨大さに目を瞠る。
外側はつるりとした外壁ではなく、様々な様式の建築物が複雑に組み合わされ、天へ向かう螺旋を描いている。
この電車の線路のようなものが無数にそれらを継ぎ合わせ、頂上はうっすらと雲に包まれて見えない。
私は想像していた以上の湾市の景観に圧倒され言葉を失った。
地平まで続く砂地は白く、キラキラした輝きを放っている。
「こちら側は大洋だった。東の果て、今は廃都と呼ばれる場所まで、この塩の砂漠が続いている」
光っているのは塩の結晶か。
たしかに、最初これを造ろうとしたコーサカ氏の御先祖はスゴイわ。
電車はゴトゴトと走り続け、再び湾市本体の中へ入った。
今度の場所は外に開けていて明るい。
このまま乗り続けていても何処へ行くかわからないので、適当な駅で降りてみることにする。
階段と坂道で構成された、異国風の街並みだ。
家は石造で、やや風化が進んでいる。
人の気配は無かった。
視界の端に動くものを見つけて、とっさに「猫!?」と思ったけれど、よく見たら四脚のルンバみたいなモノだった。
「あれは何?」
「メンテ機器だろうな」
「そうかあ、ああいうのが修理してまわってるのね」
四脚ルンバはあたりを嗅ぎまわるようにしていたかと思うと、壁を登って姿を消した。
驚きの機動力だ。
階段を昇りつつ、また中央部へと戻って行く。
人はいなくとも街には明かりが灯っており、ゴミが散らかっているということもなくただ静かだった。
「そういえば」
ふと思い出したことを訊ねてみる。
「湾市にはどんな質問にも答えてくれる伝え石があるって聞いたんだけど、本当?」
湾市に戻ってからは、烏がとまれる場所がいくらでもあるので、王子は少しずつ先行しながら進んでいる。
「その話は、いささか大ざっぱすぎるな」
「大ざっぱとは」
「湾市の伝え石は巨大だ。しかも四つある。それは中層の中央付近に設置されていて、市内のあちこちにアクセスポイントがある。端末は各家庭にも配備され、学生は入学時に配布される。その情報を集積しているのが中央の伝え石だ。古い上に、かつてより膨大な人口を抱えていた都市の伝え石だから、蓄積されている情報量は他の追随を許さないレベルであることは確かだ」
烏はふわりと飛んで家の屋根にとまる。
「けれど、どんな質問にも答える、と言われているのは、実は伝え石ではない」
「え、何か他のものがあるの?」
「ほとんど伝説というか迷信のようなものだが」
「迷信?」




