90 月待ちの村
「王子の飛空艇もあのカリハとかいう禽に襲われたんだよね」
「も、とは?」
「あー、竜都の近くで、コーサカ氏の飛空艇が襲われてるのに出会って」
「アオイが?」
「そう、ファルタが撃退したんだけど」
「それは運が良かったな……いや、それこそが仙女の力というものか」
「うーん、私は『微ラッキーアイテム』って呼んでるけどね」
「言い得て妙だな」
王子が笑う。
「もっとちゃんとしたラッキーアイテムだったら、貴方があれ程酷いめにあう前に助けられたかもしれないのに」
「そんな都合のいい幸運は存在しない」
王子にばっさり言われた。
「それでも……貴方はけっこう長期間、あの大峡谷に墜ちた飛空艇に隠れていたんじゃない?」
「そうだな」
「水や食料はどうしてたの」
「水は、谷には河があるからな」
そう言われればそうか。
「食料は備畜で食べつないでいた」
「他の乗員はどうしたの?」
「もともと最低限の人員しか乗っていなかったが……残念ながら墜落時には全員艇外に出たので、行方についてはわからない」
烏は目の前に降りて来て、クワと鳴く。
「なぜ貴方は逃げなかったの?」
「私の命を狙う者は、冥の禽と新王国王だけではなかったからな」
それは、乗員からも狙われていたということか。殺伐としすぎている。
「そういえば、貴方には予知能力があるって話があったけど」
「予知能力!」
烏はまた飛び上がって、上空で笑うように鳴く。
「そんな都合の良いものがあったら、これ程苦労しない」
そして沈黙。
なんとなく、触れちゃいけない話題だった気がする。
失敗した。
無言の道行きが続く。
烏は上空に上ったきり、降りてこない。
―――さみしい。
「仙女」
久々に王子が呼びかけて来た。
「何?」
「村がある」
「え、村? こんな所に?」
「ぎりぎり冥地のはずれだ。行ってみよう」
烏の導きに従って山麓の村にたどり着く。
斜面に造られた村は、周囲を囲う柵なども無く家は十数軒あるように見える。
坂道を下りて、村の入り口に立つ。
しん、として人気が無い。
廃村だろうかと思うが、それ程荒廃した様子もない。
冥地と砂漠の間にあるとは思えない程、緑が豊かだ。
藁を葺いた屋根や軒に雑草が生えているのを見て、植物を見るのも久しぶりだと思う。
村の家々は、壁穴住居ではないがハーフティンバーでもなく、なんというか昔の日本の山村のような趣きだった。
ほとんどが藁ぶきの屋根、たまに瓦屋根の家がある。
道に沿って歩いていると、小川にかかった小さな橋の上に人が立っていた。
「こんにちは」
「こんにちは、旅の方ですか」
呼びかけてみると、ちゃんと返事があった。
「ここはどこの村でしょう」
「ツキマチの村です。旅の方」
「ツキ……? こちらで食事ができる所とか宿屋とかありませんか」
「この村には、そういうものは無いのです。旅の方」
「そうですか。それは残念」
「村の者は皆、ツキを待っているのです。旅の方」
月、で合っているのだろうか。
そういえば、この世界に来てから月を見たことがない。
月という概念があることがむしろ不思議だった。
「そうなのですね。もう少し村の中を見て回ってもいいでしょうか」
村人は良いともだめだとも言わず、黙って私から視線をそらした。
橋を過ぎて少し行くと、もう村のはずれだった。
なるほどこの規模の村では宿などあるはずもない。
ずっと坂を下ってきたので、村はずれはずいぶんと低い土地だった。
橋に居た人以外は誰の姿も見かけない。
ただ、低い地鳴りのような音が遠くから響いていた。
これ以上進んでも、何もありそうにない。
そう思って踵を返し、初めて気づいた。
この村はすり鉢状になっており、今私はその底にいる。
そして周囲の高い土地には、無数の石塔が立ち並んでいた。
墓だ。
―――と直感的にわかった。
わかってしまった。
ここは生者の住む場所ではない。
村を囲む墓の群れを横目に見ながらゆっくりひき返していくと、先刻橋の上に立っていた人はおらず、そこには立ったまま崩れ落ちたような白骨が折り重なっていた。
怖ろしいとも、気味が悪いとも思わなかった。
ただ、ひどくむなしかった。
「仙女!」
王子の声がする。
「今まで何処にいたの?」
烏に問いかけると、
「姿が見えなくなったのは仙女の方だ」
「え?」
「その村に入っていったと思ったら……」
烏の声が途絶える。
「村が……」
ふり返ると烏が見ている方には、何も無かった。
「無いね」
「あれは冥地が見せた幻だった―――」
「―――ということにしておきましょうか」
「思い出すことも考えることもよくない」
王子の声は真剣だ。
けれど言われるまでもなく、村の記憶は霞がかかったように消えていく。
「―――月」
「ツキ?」
「ううん、なんでもない」
私は空を見上げ、そこに月の姿が無いことを確認する。
「行こう、仙女」
珍しく、いつもはやる気のない王子から声がかかった。
「行きましょう」
再び冥地の外れを歩き出す。
すっかり馴染んだ冷たい風に、なんだかホッとしている自分が可笑しかった。




