09 村滞在記
そりゃそうだよね。この村の様子を見るに、生活レベルは中世後期がいいとこだろう。
よく簡単に中世ヨーロッパなんて言うけど、その時代は5世紀から15世紀までの千年間もある。日本で言うと弥生時代から室町までだ。建築だって生活様式だって、前期と後期ではだいぶ違う。
それはさておき。
アモの格好がわりと現代的だったので、もう少し発展した世界を想像していたけれど、この家はほぼ竪穴住居だ。
この人が着ているものも粗い生地でほとんど染色もされていない。おそらく布地は高価な品で、簡単に他人にくれてやれるようなものではない。
「仙女さまに差し上げられるようなものは……」
え、そこ?
「だいじょぶです。着られればなんでも結構です。よろしくお願いします」
精一杯の愛想笑いと共に強調する。
「は、はい。……ではしばしお待ちください」
ぺこりとお辞儀をしてその人が家の奥へ引っ込むと、
「座って待ちましょうー」
とアモが勝手知ったる感じでその辺からラグみたいなものを出してきて床に敷いた。
二人で敷物の上に座り込むと、奥から誰か来た。さっきの人とは別人だ。
その人は持ってきた大きめのトレーを床に置いて、黙ったままお辞儀して去って行った。
どうやらお辞儀はマナーとしてあるらしい。わかりやすくて助かる。挨拶が変な形に指を交差させるとかだったら、めんどくさくてかなわない。
トレーには何か飲み物の入ったカップと、皿に盛られた干し果物っぽいものが載っていた。トレーもカップも皿も木製だ。
飲み物は温かい薬草茶で、アモがキャンプで淹れてくれたものと近い香りがした。干し果物はリンゴのような風味で甘くて美味しかった。甘いものを口に入れたのは、この世界に来て初めてだった。
人里で、座ってお茶を飲んでいることになんだかほっとした。
「ここはどういう場所なの?」
「アモの使う寄り合い所ですかねー。薬草や道具を仕入れたり、依頼を受けたり」
「へえ。それってどこの村にもあるの?」
「いえいえー、ここは峨山に一番近い村ですからー、特別です。アモは峨山の聖域にイソを採りに入りますから。ここより北にも西にも人は住んでいないです」
「え……その向こうはずっと無人地帯ってこと?」
「峨山は世界の北西の果てですー。越えることはできないです」
越えられない山―――
単に人の能力の問題で越えられないのではなく、きっとホンモノの世界の果てなのだ。
「もしかしてこの世界って、平らなのかな」
「えー、そんなことないです。山も谷もありますよー」
そういう意味でなく―――
しかし大地が丸いなんて、どう説明したら良いかわからない。
地球は球体で太陽の周りを公転していて、昼夜があるのは自転しているから。あたりまえに納得していたことが、幻のように思えてくる。
この世界の大地は平面で、太陽が空を廻る。物理法則も異なりエネルギー保存則は存在せず、物質を構成しているのは原子でも分子でもないのだろう。酸性とアルカリ性の物質を混ぜると中和する、なんてささやかな化学知識も役に立たないのかもしれない。
ひどく―――心細くなった。
ここは異世界で、自分の知る世界とは根本的に異なっているのだ。
それは足元が崩れていくような感覚だった。
黙り込んでしまった私をきっちり無視して、アモは茶を飲み果物を囓る。
彼女は明るそうな外見とは裏腹に無口で、訊けば答えてくれるけれど向こうから話しかけてくることはほとんど無い。
この世界の常識を何一つ知らず、子供以下の質問を投げかけているであろう私に対しても面倒がらずに答えてくれたけれど、それだけだ。
なんだか虚しくなってしまって、私も黙ったまま茶を飲んだ。
茶がすっかり空になった頃、さっきの人が一抱えの布を持って戻って来た。
「これをどうぞ、仙女さま。合わせてみてください」
渡された服を着てみる。
部屋には服を持ってきてくれた女性とアモしかいないので、思い切りよく脱いで着替えた。
服はごわごわした肌触りでやや大きめだったが、村人の女性が着ているものよりはだいぶ上質なのだと思われた。生地の目が詰んでいるし、膝下丈のスカートにはチェックの柄が入っている。
おそらく新品ではないのだろうが、状態は良く嫌な臭いなどもしなかった。
スカートをベルト代わりの紐で止めて丈を合わせ、毛糸っぽいもので編まれた靴下を履き、柔らかい革のショートブーツを履く。
異世界旅人いっちょ上がり―――なのだろうか。
大事な段階が抜けている。
「鏡、ありませんか」
実はまだ自分の顔もわからないのだ。これ幸いと訊いてみる。
「鏡……ですか」
口籠もられてしまった。
「それはもっと大きな街とかに行かないと無いですねー」
そうなのか。鏡が贅沢品か。
アモはのほほんと言ったけれど、村人は申し訳なさそうな顔をしている。
「あ、いや、すみません。別に良いんですよ、はは……」
申し訳ないのはこちらだ。一方的にお世話になってるのに。
「ああ、そうだ。この服」
さっきまで自分が来ていた服を拾い上げる。裾を破ってしまったけれど、滑らかで光沢のある軽い布地だ。私にはポリエステルに見えるが多分違う。布地だけでもこの世界ではそれなりに高価そうに思えた。
「もういらないので、差し上げます。何かに使ってください」
ぐいと押しつけると、村人は困ったように一歩下がった。
しまった。いらないものだっただろうか。
「貰っておくといいですよー。その代わり、食料を分けて欲しいです」
アモが助け船を出してくれた。
どうやら価値のないゴミではなかったらしい。受け取って貰えた。
「見たことのない布です」
女性は手にした布をしみじみと見ている。人の良い村人の顔ではなく、研究者っぽい目になっている。
この人もアモの同業者なら、『世界の摂理』とやらに関係する仕事なのかもしれない。意外とインテリか。
「それと、今日は泊まりたいですー」
アモが重ねて要求した。
強気だな、と思ったけれど、ここは同業の溜まり場だみたいなことを言ってたから、通常業務内なのかもしれない。
「では夕飯は二人分用意しますね」
あたりまえに受けてくれた。
やった。久しぶりのちゃんとしたご飯とちゃんとした寝床だ。
ちゃんとしたご飯は、ちゃんとした食器に入っていた。
アモが作ってくれたキャンプ飯は、その辺の葉っぱを丸めたものが器だった。
ここでは木のカップに木の皿、木のスプーンも付いてた。それが全てさっきと同じ大きめのトレーに載って出てきて、床に置かれた。
外は日が落ちたらしく家の中はほぼ暗闇だ。かろうじて囲炉裏で焚かれている火だけが灯りといえるものだった。それでも暗さに慣れた目で見ると、なんとか物の形くらいは見分けられた。
スープには、雑草ではなくてもう少し野菜っぽい葉ものや少量の根菜と、挽き割りの麦みたいなものが入っていた。味は薄い塩味だった。出汁はまったく利いていない。
パンは薄切りで、微妙に黴臭かった。
以上、ちゃんとしたご飯でした。
この世界、全部これなんだろうか。
辛い……
現世の日本がどれだけ贅沢な場所だったか思い知る。ザ・庶民の自分の家庭でも、三食違った料理を食べていた。
朝食はパンにソーセージ目玉焼き、野菜サラダ。カフェオレ。
昼食はラーメンか蕎麦。
夕食にはご飯を炊いて焼き魚とか、麻婆茄子とか、唐揚げとか、ワカメの味噌汁に漬け物……
献立を考えるのも作るのも片付けるのも面倒だったけれど、今食べられるならいくらでも作る。
遠い目になりながら食事を終える。
そういえばここへ来てから歯磨きもしてないなあ、と思ったけれど、仙女の身体は虫歯にはならなそうだとも思った。




