87 冥の禽
気づくと、見知らぬ場所に立っていた。
視界には何の気配もない土地がただ広がっている。
黒く焼け焦げた火山の麓のような土なのに熱も音もない。
吹き出すガスもなく、滾る溶岩もない。
全てが死に絶えた宇宙の終わりのような光景だ。
それは目に見える景色そのものではなくて、肌で感じるような空気感だった。
寂寥―――という言葉が一番ぴったりくるかもしれない。
その大地の向こうに巨大な建築物がある。
―――宮殿? 神殿?
鋭角に切り取られた巨大な金属の柱が、無数に組み合わさって斜めに天へ向かっている―――
そんな形の建物だ。
見渡す限りの焼け野が原に、行く先はそこ以外にない。
落としたため息すら音もなく空間に吸い込まれていく。
ひたすら歩いてどのぐらい経ったか。
時の概念すら空に溶けて行くようだ。
いつまでもたどり着かない神殿は幻ではないのかと疑い始めた頃、ようやく門と呼べる場所が見えてきた。
門番もいなければ衛兵もいない。
相変わらず動くもの一つない。
それを通り抜けてまたひたすら歩く。
神殿の入り口は、ゴジラサイズを想定しているかのような大きさだった。
扉も無く、中は広大な空間になっていて誰もいない。
人の気配も魔物の気配もなく、風すら動かない。
どう考えてもここは生けるものの領域ではない。
その広間を奥まで進み、巨大な扉を見上げて途方にくれる。
これを開けられるだろうか。
仕方なく両手を添えて押してみると、その巨大さにもかかわらずまるで自動ドアのように音もなく開いた。
そこはまた同じような巨大な広間で、もしかしたらこれは無限回廊なんじゃないかと、嫌な予感が頭をよぎる。
「誰か―――誰かいませんか」
声すらもどこかへ吸い込まれて、反響の一つも無い。
不思議なことに、ずっと歩き続けているのに全く疲れを感じない。
「答えてください。どなたか―――」
「客人」
声が降ってきた。
顔を上げると三階ほどの高さに人が立っていた。
壇があるわけでもなく、その人は宙にいた。
「あの、私は」
話しかけようとすると、その人は手を挙げてそれを遮った。
そしてそのままゆっくり降下してきて私の目の前に立った。
背丈はほぼ同じくらいか。
女性。
高校生くらいの少女だった。
濃い紺色の、様式のわからない服をまとっている。
強いて言うならパリコレか。
背の中ほどまである黒髪を無造作に流し、顔立ちは意外なほどに人の良さそうな、ただの少女だ。
ターバンのような布を頭に巻き、それが右目も覆っている。
その布が、少女の穏やかな佇まいに不穏な影を落としていた。
「カリハ、これへ―――」
少女は空中に声をかける。
黒い影が揺らめいて現れ人の形になり、少女の前に跪く。
男は大きく、跪いていてさえ少女と同じ背丈だ。
「主はカンラを見つけてくださると」
「カリハ、客人の探し物を返しなさい。それはカンラの行方とは関わりがない」
「主」
嫌々するように首を振る男の頸を抱きしめて、少女は優しく髪を撫でる。
「カンラを捜すのは良い、でも現世の者に手を出してはいけない」
大きな身体の黒ずくめの男が少女にすがっている姿は、奇妙に心をざわめかせた。
「貴女たちには迷惑をかけた。コレがさらって来たヒトはお返しする。連れ戻られるが良い」
少女がそう言うと、視界がワイプしたように切り替わった。
今まで居た荘厳な神殿はどこにも無く、長く歩いた焼け野原のような土地でもなかった。
とんでもなく広大な漆黒のガラス質のカルデラが、目の前に広がっている。
冷たい風が吹きわたるカルデラのふちに立って、私は呆然としていた。
少女は王子を返してくれると言ったが、どこにも姿が無い。
彼女が嘘を吐いたとは考えにくい。
「王子? いますかー?」
アホみたいな呼びかけになった。
でもさすがに『アカネくん』とは呼びづらい。
「王子―――?」
声がカルデラに吸い込まれていく。
いやしかし、ここであの瀕死状態の王子が戻ってきたらどうしよう、と不安が湧く。
あの時なぜだか私には、あの黒い男が王子を連れ去ったとわかったのだ。
だから追いかけた。
でもよく思い出してみれば、目の隅で王子が倒れるのを見た気がする。
だとしたら、連れ去られたのは魂とかそういうモノだけだろうか。
そういえば、あの黒い男は冥の禽と呼ばれていたものではないか?
コーサカ氏は超越者の眷属と言っていたが、私から見たら死神の眷属なのではないかと思う。
どっちにしても、そうだとすればさっき会ったあの少女は死神ということか。
死に神なら魂を刈るのは定番だ。彼女が死に神の王なら、魂をかり集めるのは眷属で不思議はない。
死神といったら口が耳まで裂けてる男のイメージだが、彼女はとても悲しげで慈愛に満ちていた。
そんなことを思い返していたら、上空から声が聞こえた。
「bytw……fアー……」
人の声とも鳥の声ともつかない細い声に、何かと見上げればそれはまっすぐ目の前に落ちて来た。




