05 サバイバル
ものすごく丈夫になってるとか、そういうの?
チート能力なんか無いと思ったけど、これは結構チート……なのか?
ああ、そういえば昨日会った人たちはみんな日本語を喋ってると思ってたけれど、もしかしたらそれもチート翻訳機能だったのかもしれない。
赤ん坊で生まれ直す転生もの以外ではわりとよくある設定だ。
まあ、言葉が分からないと話が進めにくいしね―――なんてメタな思考がよぎる。
文字は読めたり読めなかったりする。この世界の文字を見れば分かるのかなあ。読んでみたい。
……そんなお気楽なこと考えてる場合じゃなかった。
文字どころか、人に遭遇できるかすら怪しいのに。
とにかくここに居てもどうにもならない。まず人を探さないと。
ここには鳥も虫もいない。
おそらくだけど、他の生きものもいないだろう。この世界全体がそうなのか、ここらだけなのかはわからない。でもきっとここに人が来ることもないだろうという気がした。
人里を探すなら、やっぱり下方へ向けて歩いて行くのが一番わかりやすい。人間、右と左は間違っても上と下は間違わない。
道に迷ってぐるぐるする事を避けるためにも、下へ向かおうと決めた。
来た方に戻るという選択肢は無しだ。
それにしても山を歩くのに裸足はあんまりだということで、服の裾を破って足をくるんだ。中に柔らかそうな草をちぎって詰めてみた。気休めにはなるだろう。
ひらひらのたっぷりした服だったので、なんとか両足分間に合った。服の方は膝丸出しのミニになってしまったけれど。
歩き出してみると、思ったよりずいぶんと楽だった。
もっと足が痛いだろうと予想していたけど、サクサクと草や苔を踏んで歩くのは気持ちよかった。
そして、こうして自分の脚で歩いて初めて気がついたことがある。昨日は荷物みたいに運ばれてばかりだったからねっ。
なんというか身体が軽いのだ。
比喩的な表現ではなく、物理的に。
自分で見える限りの自分の身体が、記憶にあるものよりずっと細くて小さくて華奢なことは分かっていた。子供、とは言わないけれど、せいぜい小学校高学年か中学生くらい。
けれどそれにしても軽い。足にかかる重みが軽すぎる。なんだか宙を歩いているようで頼りないくらいだ。
もしかしたらこれもチート能力の一種だというのだろうか。
怪我しにくいこと。
身体が軽いこと。
言葉が分かること。―――これは定かではない。本当に日本語を使う世界なのかもしれないが、確かめるすべがない。
……ビミョーだ。
微妙すぎる。
せめて戦う力とかもう少し役立ちそうなものはないのか。
走ってみたけれど、足は速くなっていないようだ。跳ねてみてもたいして高く跳べはしない。もちろん空も飛べそうにない。
そんな事をしていたら普通に息切れした。特に体力がついたわけでもなさそうだ。
ただ足取りが軽いので、結構な下り坂でもわりと軽快に降りていけるし、疲れにくい。
陽射しは明るく風は爽やか。
昨日の危機連発に比べたら、信じられないほど穏やかだ。歩いているのに眠くなってくる。そういえば昨夜は寒くてよく眠れなかったのだった。
なんて、のんびりしてて良いわけはない。
状況は変わっても、危機的であることは変わっていないのだ。
知らない土地に一人きりで、食べ物も飲み物もない。
何日も歩き続けることができるはずもなく、早晩行き詰まることは必至だった。
とりあえずひたすらに歩き続ける。
他にやるべきことは無く、できることも無い。考えることすら無駄だ。
情報量が少なすぎて、何を考えても推測と思い込みになってしまうだろう。
相変わらず人の気配はなく、道らしきものにも出ない。ただ周囲の森は疎林という感じで鬱蒼としてはおらず、下生えもほとんど無くて歩きやすかった。
リアル世界のちっともダイエットに成功しない身体は、万年腰が痛かったり膝が痛かったり肩凝りだったりしていた。けれどこの身体は冗談のように軽くて、痛むところも全くない。
早足で坂道を下るのは、それだけに集中していれば結構楽しかった。
不安とか恐怖とか空腹とか、なにも考えないように。
歩くことにだけ集中して。
いつの間にか陽が傾き始め、木々の合間に見える空が茜色を帯び始めている事とか。
気づきたくない。
考えたくない。
今夜もこの山の中で寒さと空腹に震えながら夜を過ごすのかとか。
考えなくても現実は容赦なくやってくる。
ついに足元が見えなくなった段階で、私は歩き続けることを諦めた。
大きめな木の根元に座り込んで、膝に顔を埋める。
泣くだけ体力の無駄だ。涙ももったいない。そう思っても、こみ上げてくるものを押さえきれない。
なんでこんなことになったんだろう。
昨日も今日も明日も、同じような日常が続いていくものだと思っていたのに。
べつに、素晴らしい人生というわけじゃなかった。
そこらへんにありふれた、特筆すべき事など何も無いザ・普通の主婦。
仕事は去年辞めた。
一人娘は社会人となって家を出、夫とは家庭内別居状態。
人生の山はさておき谷はそこそこ経験した。
そんな夢も希望もないオバサンだ。
子供の頃は箪笥の向こうの国に憧れていた。
昨今は異世界召喚もののWeb小説なんかも、楽しく読んでた。無料だしね。
けれどそれが現実になってみれば、楽しいどころの騒ぎじゃない。
もしかしてここは、異世界などではなく地獄なのかも。
そうだよね。
ファンタジーの主役はだいたい子供か若者だ。
伸び代もないオバサンが主役を張れるわけがない。
死んだ記憶はなかったが、地獄巡りをしているのかと思えばある意味納得だ。
限りなくダウナーな思考に陥りながら、二晩目が過ぎた。
がっつり熟睡していたらしい。我ながら図太い。まあオバサンだし。
というより、昨夜はそれほど寒くなかったのだ。一日山を下って高度が下がったからだろうか。
夜明けに目覚めて、明るい陽の光にあたったら気分もだいぶ上向いた。
空腹と喉の渇きは如何ともし難いけど。
なんだか少し吹っ切れた。
ここが地獄ならともかく、地獄じゃないならいつか必ず終わりは来る。どんな形であれ。
それまでできることをするだけだ。
来た方を振り返ってみると、出発点である岩山―――塔? は、遙か遠くなっていたけれど天に届くその偉容は離れても変わらなかった。
あそこが富士山頂だとしたら、ここは御殿場も小田原も通り過ぎて相模湾だ。そのくらいは歩いてきた。




