23 大河まで2
むき出しの地面で爆睡した翌朝はさすがに身体があちこち痛かったけれど、腕と首をぐるぐる回したら気にならなくなった。
仙女さまボディはなかなかに優秀で、あれだけ歩いても筋肉痛もなければ足にマメができたりもしていない。
これが自前の身体だったらと思うと恐ろしい。とっくに動けなくなっていただろう。
ぐるりと周りを見渡してみる。
一方は下りてきた崖。それ以外は木の生い茂る森。
崖を背に左手に朝日が見えるから、そっちが東、崖の上から見えた河のある方が南だろう。
崖を見上げれば、結構な高さだ。よくあそこから下りてきたな。
なんてしみじみ崖を見ていてはっと気づいた。
「アモ、あれ……あれって」
私の指さした方を振り返ったアモの目が見開かれる。
「あれ、あれだよねっ」
「「イワタケーっ」」
二人の声が響き渡った。
目の前の崖に、さりげなくなにげなく張り付いていたのは、一抱えもありそうなイワタケだった。
「はあ……」
昨日のあの苦労と心労はなんだったんだと憤慨すべきか、ラッキーっと小躍りすべきか悩ましい。
腕組みして溜息をつく私を尻目に、アモは鞄からナイフを取り出してイワタケを残らず崖からはぎ取った。
「すごいですー。こんな大きなの、初めて見ましたー」
ニコニコだ。
「いくらくらいになると思う?」
と訊ねてから、私はこの世界の通貨や物価についてほとんど知らなかったことに思い当たる。
「そですねー、金貨なら15枚……もしかしたら20枚くらいになるかもです」
さっぱりわからん。
でも金貨で数えるのか。通貨単位は無いのか。
「えーと、この間見た串焼き肉は、いくらくらい?」
「肉ですかー。だいたい銅貨10枚くらいですかね」
「銅貨何枚で金貨一枚になる?」
「200枚ですー」
「銅貨と金貨の他にもあるのかな」
「銀貨がありますー。銅貨20枚で銀貨一枚、銀貨10枚が金貨一枚です」
「お札は無い?」
「紙のお金ですか。湾市の方では使ってますねー。この辺では使わないです」
紙幣を使ってるところもあるのか。ワンシっていうのは結構文明が進んだところなのかもしれない。
それにしても。
「イワタケってすごい……これ一つで串焼き400本も買えるんだ」
「さすが仙女さまは計算速いですー」
この程度でさすがと言われても……ああ、もしかしたらこの世界の人はあまり計算などしないのかも。
確かに今まで見た村の暮らしでは計算の必要性はほとんど感じなかった。
そう考えてみると、前の暮らしは日常的に大きな桁の計算をしていたな。実際に計算するのは電卓だったけど。
結構な大きさのイワタケを半分に分けて手提げに入れ、二人で持った。
そこそこ重いけれど、これが串焼き基金だと思えばその重さがむしろ嬉しい。
「河に向けてしゅっぱーつ」
腕を振り上げ景気よく声を上げて歩き出したは良いけれど、空腹を忘れてた。
100メートルも歩かないうちに音を上げたのは私だ。
「なにか……なにか食べるものないかな」
「水も欲しいですねー」
そう、昨日から水も飲んでいないのだ。アモが持っていた水筒の水は、とっくに飲みきってしまった。
周囲を見回したところで、ただの森だ。口にできるような木の実なんかそうそう生っているはずもない。
崖から続いた道らしきものがそのまま森の中に通っていたので、そこを歩いている。
木々の生い茂った森を突っ切るよりはマシだろう。
人が作った道なら、人里へ出る可能性も高い。
獣道にしては道幅も広い。かつてはそこそこ人の行き来があったのではないかと思われた。
あのダンジョンが機能していた頃は、冒険者達が通ったのかもしれない。
そんなことを思いながら歩いていたら、道の先にその証拠が出てきた。
小さな村の跡だ。
村というか、放棄された家が数軒建っているだけなので、おそらくはここを行き来した冒険者を相手にした宿とか食堂とか店だったのだろう。冒険者達はあの崖を登る前にここで休んだり装備を調えたりしたのかもしれない。
建物自体はまだそれ程傷んでいない。もったいない気もするが、客がいなくなってしまえば維持する意味が無い。
「なにか残ってないかなー」
戸口から覗いてみるけれど、みごとになにもない。
それはそうだろう。
ここで商売をしていた人たちは逃げ出したわけじゃなく撤退しただけだ。置いていったのは持ち運べないもの、つまり建物だけ。
「なーんもない……」
「サヤさーん、こっち来てくださいー」
がっかりする私の後ろからアモの声がかかった。
「わあ……綺麗な水」
「ついてますねー」
二股になった木の根元からこんこんと湧き出した水が、小さな流れを作っている。
なるほど。この水源があったからここに宿場を作ったのだろう。
あれだけの崖があるのだから、崖下に湧き水があるのは予想できる。この世界でもその理屈は通用するらしい。こういう地形をハケと言い、ハケによって地下水や雨水が隔てられるので、ハケの上では畑作が下では稲作が行われる。
なんて蘊蓄はおいといて、私たちは心ゆくまで水を飲み、アモの持つ水筒を満たした。
「はぁー、人心地つきましたねー」
「うんうん、水でちょっとだけお腹が満たされた」
「それ、虚しくないですかー」
「早くご飯食べられるところまで行こう」
「そうですねー。ここに宿場があったなら、道なりに行けばたぶん人里に出られますねー」
アモもこの辺の地理は知らないらしく不確かな予測を口にするが、おそらく間違ってはいないだろう。
「がんばろー」
「はいー」
気合いを入れ直して、私たちはまた歩き出した。
仙女さまボディは、普通の人間とは出来が違う。もしかしたら、食べなくても死んだりしないのかもしれない。
ただなんとなくだけれど、電池が切れるみたいに動けなくなりそうな気がする。
もしそうなったら、意識はどうなるのだろう。
意識もなくなればまだ良いけど、そうでなかったら怖すぎる。
それに、せっかく串焼き基金を手に入れたのだ。なんとしても人里に辿り着いて肉を食べねば死んでも死にきれない。
ひたすら歩いて陽も暮れかかってきた頃、森が切れて開けた場所に出た。見渡せば、丘の向こうに薄く煙が立ち上っている。人里だ。
煙を見て人の所在を知るなんて牧歌的というか原始的というか。なんかそんなような和歌が万葉集にあったな―――古代か。
のんびりした感想とは真逆に脚は速まる。あそこに辿り着けば、肉が待っているのだ。
楽園だ。天国だ。ガンダーラだよ。
そして日が暮れきる前、私たちはその村に到着した。
村だった。
街じゃなかった。
はっきり言って、家は十軒くらいしかなかった。
イワタケを換金することもできなかった。
当然の結果として、肉は無かった。
村の入り口で、泣きそうになった。
それでも、村人は親切なほうだった。
アモの持つ小銭で物置小屋に泊めてくれ、わずかの食事を分けてくれた。
小屋で煮炊きはできないので、調理済みの食事を貰えたのはありがたかった。たとえ水みたいな麦粥だったとしても。
温かいものを食べて屋根の下でゆっくり眠るのは、それだけでしみじみと幸せを感じられることだった。
翌朝村を出てしばらく行くと、河に出た。
向こう岸が遙かに遠い。霞んで見えないくらい遠い。
「おおー、これが大河……?」
名前なんだっけ。
「大河ゼルー……ではないと思いますー。たぶん支流でしょう」
支流でもこのでかさか。
日本の河の感覚じゃない。アマゾンとかナイルとかそんな感じ。テレビでしか見たことないけど。




