22 大河まで1
廃墟になったダンジョンの入り口は、崖の上にあった。
持っていた少しばかりの食料を食べ、草むらで寝て朝を迎えてようやく辺りの様子を見る余裕ができた。
そうして改めて見た崖はかなりの高さで、下にはずっと平野が続いており遙かの彼方に河らしきものが蛇行していた。朝日にきらきらと光って見える。
「あれは大河ゼルーか、その支流ですねー」
隣に立つアモが額に手をかざして解説する。
「川沿いには村か街があるかもしれないです」
「船着き場とか」
「そですねー。ゼルーの支流なら流れは緩やかですから、舟も行き来してます」
新王国から離れようという方針だったことは変わらない。
河を下ることを目指そうと、まずは崖を降りることにした。
降りられそうな場所を探して、崖の縁をずっと歩く。
ひたすら歩く。
ダンジョンの中にいた時とあまり変わらない。
昨夜食べたわずかの食事はとっくに消化されきって、空腹と倦怠感がひどい。
あのダンジョンにいったい何日くらい居たのかは分からなかったが、体感では二日ほどではないかと思う。
ダンジョンの中で時間の流れが違って浦島太郎になってしまうというようなこともなさそうだ。
ただ、その間ずっと絶食していたわけで、エネルギー切れは如何ともし難い。
朝から歩き続けて陽も中天を過ぎた頃、なんとか降りられそうな坂に行き当たった。
「降りてみましょうー」
「下まで行けるといいねえ……」
「ですねえー」
人一人がやっと歩けるほどの道筋を慎重に下っていく。
世界の絶景番組で見たような崖に沿う坂だ。
獣道なのか、人が作った道なのか分からない。もしかしたら以前はあのダンジョンに行き来する冒険者が通った道なのかもしれない。
冒険者だったらこんな道は軽々と走って下りられるだろう。冒険者って言うくらいだから、冒険が本業だ。
私も、ゲームの中では冒険者とか狩人とかやってましたけどね。
現実で冒険するのはあまりありがたくない。
崖下を見ないように、足元とちょっと先の地面だけを見ながらゆっくり下りる。
「はあ……ちょっと休みたい……」
緊張と疲労で立っていられなくなった。しゃがみ込んで崖に身体をもたせかける。
「お腹減った……肉食いたい、焼き肉」
願望が口からこぼれ出る。言うだけなら無料だ。
「焼き肉焼き肉焼き肉……」
唱えながら脳裏に焼き肉を思い描く。実体化したりしないかな、これ。
「サヤさん」
脳内焼き肉屋に浸っていた私をアモが呼び戻す。
「あれ、見てください」
「……なに?」
焼き肉じゃないよね―――我ながら意地汚な過ぎ。
アモが指さす先にあったものは、崖にへばりついた黒っぽい塊だった。
手が届くか届かないか、微妙な高さにある。
「たぶん、イワタケですー」
アモの目が珍しくきらきらしている。
「食べられる?」
「食べられますけど、薬草として使うのが普通ですー。すごい高級品なんですよー」
「高く売れるってこと?」
「そりゃーもう」
おお、こんな物欲丸出しのアモさんは初めて見たよ。
「採れる……かなぁ」
「やってみますー」
なかなかにチャレンジャーだな。
アモは慎重に崖をよじ登り始めた。ほとんど足掛かりも無いのでわずか数十センチとはいえ難易度は高いし結構危険だ。
私はただ応援するしかできない。
じりじりとアモの手が塊に伸びる。
「やったっ」
アモが塊を掴んだのを見て、思わず叫んでいた。
でも次の瞬間、私の口から出たのは悲鳴だった。
アモが足を掛けていた岩が崩れ、バランスを崩した身体は崖を滑り落ちた。
道の上に落ちて止まる、との願いも虚しくアモの身体は細い道からも外れて下へと落ちていった。
私は手を伸ばすこともできず立ち尽くしていただけだ。たとえ手を掴んだところで落ちていく人間を引き留めることなど物理的に不可能だが、私は反応もできなかった。
「アモーっ」
我に返り慌てて下を覗き込んだけれど、崖に生えているわずかな木々に邪魔されて見えない。
「アモっ、大丈夫!? 返事してーっ」
叫ぶ声に返答は無い。
「嘘でしょ……嘘だよね……大丈夫、こんなことで」
無理矢理自分を励ましながら、坂道を下る。
それしかできることがない。
疲労も空腹感も一気に吹っ飛び、できうる限りの全速力で足を運ぶ。
この崖の道は、九十九折になっている。
階段みたいな短いターンではなくかなり長い折り返しだけれど、落ちた先にも道があるはずなのだ。そこで止まっている可能性もある。
断崖絶壁を真っ逆さまというわけではない。そもそも絶壁ではなく登り降りするには急すぎる坂というレベルだ。
とにかく、下の道まで行き着かねば。
友人の無事だけを祈りながら、ひたすらに坂を下った。
長い坂を折り返してアモが落ちた地点辺りまで戻るのに、どれほどの時間がかかったのだろうか。
焦りに満たされた頭では時間のカウントもまともに働かない。
ただ、太陽は既に地平近くまで落ち、あたりは薄暗くなりつつあった。
崖に生えた木も増えてきて、視界が悪い。
真っ暗になってしまったら身動きがとれない。足元も見えない暗闇の中この道を下るなんて自殺行為だ。
「アモーっ、返事してー」
声を出すことで自分を鼓舞しながら歩く。
黙っていたら泣き出してしまいそうだ。
峨山の山道を一人で歩いていた時以来の心細さで、アモに頼り切っていた自分に改めて気づき情けなくなる。
「アモーっ」
崖に自分の声がこだまする。
微かに声が聞こえた気がした。
「アモ!?」
「……ヤさん……」
確かに聞こえた。
「アモ、どこに居るの!?」
「こっち……下の方ですー」
「どこ!?」
下を覗いてみても生い茂った木々が邪魔でよく見えない。すでに夕闇が辺りを覆いつつあって、木の下は暗い。
「下です。サヤさん、そこから下りてきてだいじょぶです、たぶん」
「ここから下りるの?」
崖をショートカットしろということか。アモが大丈夫というなら行けるのだろう。
私はえいやっと道を外れ、木々に掴まりながら声がする方へ下りていった。
いつのまにか崖は断崖絶壁ではなく急坂程度になっていて、木に掴まれば滑り落ちることもなく進んで行けた。
「アモっ」
少し木々が途切れたそこは、道なのだろうか。今までの道よりはだいぶ幅広くて空き地のように見える。
アモは暗がりの中に立っていて、転がり落ちるようにして道へ下りた私に駆け寄ってきた。
「アモ、大丈夫!? 怪我はない?」
「だいじょぶですー」
暗くて顔はよく見えなかったけれど、声はしっかりしていて明るかった。
「よかったああ、心配したよーっ」
飛びついて手を握る。
「でもイワタケは落としちゃったです」
「そんなもん、どうでもいいよ、アモが無事だったらそれでいい」
「惜しかったですけどねー」
マイペース過ぎる。
涙ぐんでるこっちが大げさな人みたいだ。
「もうここはほとんど崖下みたいですー。落ちたのはそんなに距離が無くて、木も生えてたから途中掴まったりできたし、運がよかったです」
「ほんとに良かったよ……」
「でも今日はここで休むしかないですねー」
「さすがにこの暗がりを移動するのは無理だよね」
木々の間から見える空には星が輝きだしている。
「疲れたぁ……」
息を吐いて座り込み、岩に背をもたせかける。幸い地面はそこそこ乾いていて風も無くあたりはしんと静かだ。
安心したらどっと疲れが押し寄せてきた。
「そですねー」
アモも隣に座る。
「もうここで寝よっか」
「そうしましょう」
二人の意見が一致した。
手持ちの食料も無く、火を熾す薪を集める元気も無い。
「さすがに眠いや。おやすみ、アモ」
「おやすみなさいー」
ダンジョンに引き続き、盛りだくさん過ぎる一日だった。
二人とも無事で夜空を見上げていることが不思議なくらいだ。
空腹で野宿で客観的には最低の状況だったけれど、なんだかじんわりと心が温かかった。
身体を寄せ合って横になると、あっという間に寝入っていた。




