第二章 ルナの事情2
それを聞いたルナは顔を赤らめ反論する。
「なっ、この状況で何を言い出すんですか!? 服を脱いだら凍え死にますよ!」
「濡れたままの服を着ていたらもっと早く死ねるぞ。雪中行軍をした経験がある。こういった事態の対処は心得ているつもりだ」
「……下着まで濡れているのですが」
ルナは露骨に嫌な顔をした。俺だって濡れているんだが。
「……下着以外は全部脱ぐぞ。濡れていない防寒具は俺のトレンチコートしかない。救援が来るまで二人でそれにくるまってじっとしていよう。ヘレナが帰ってくるまで耐えるだけだ。最悪、明日になれば天気は回復する。体温さえ確保できれば何とかなるはずだ。だから、辛抱してくれ」
ルナは固まったまま逡巡していたが、観念したように小さくため息を漏らした。
「……分かりました。その、服を脱ぐので向こうを向いていてもらえますか?」
「分かった。その前に俺は上着を持ってくる。服を脱いで着終わったら声を掛けてくれ」
適当な場所に掛けておいた上着を持ってきてルナに渡し、後ろを向いた。そして、俺も服を脱ぐ。
まさかほぼ裸になった状態で身を寄せ合って寒さを凌ぐとは……。こう言っては何だが、凄まじく緊張する。凍え死ぬのを防ぐためという大義名分があるとは言え、やっていることは恥ずかしくて仕方がない。
衣擦れの音が外の風に混じって聞こえてくる。
生唾を飲み込んでしまいそうだ。ルナは俺好みの美人である。俺とヘレナの秘密を握っていてなんとか始末したいと思っていても、体は正直。まさかの展開を期待している自分がいた。
くそっ、寒さで頭がやられているのか。仮にそういう展開になったとしても、今の俺がルナを抱いたところで状況は好転しないんだぞ。ルナが惚れ切っていないと意味がない。せめて、ここで紳士的な態度を貫いて好印象を持たせなければ。
「……どうぞ」
背後からルナの声が聞こえてきた。振り返ると上着を着て、座り込んだまま後ろを向いたルナがいた。トレンチコートはかなりぶかぶかで、足元まですっぽりと覆い隠している。これならかなり窮屈だろうがギリギリ二人は入れそうだ。
「そ、それじゃあ、失礼します……」
「何で口調が変わるんですか。恥ずかしいからさっさと入ってください!」
ルナは半ば強引に俺を引っ張り入れた。それと同時にふんわりと暖かな温もりが身を包み、肩と肩が触れ合う。
「……」
「……」
そして、無言の時間が訪れた。何とか体力を温存することはできそうだが、めちゃくちゃ気まずい。この状況で話し出せる奴がいるのだろうか?
けれど、それはそれほど長く続かなかった。そんな気まずい雰囲気を払ったのはルナだった。
「……寒いのが嫌いだと言うのに、どうして雪中行軍に参加したのですか」
ルナは視線をこちらに向けず淡々と尋ねてきた。
「……騙されたんだよ。当時は冬の厳しさを何も知らなかったから、上官の楽な訓練だという言葉を鵜呑みにしたんだ。そしたら、まぁ酷い目に遭った」
「その時に、こういう場合の対処も知ったのですね」
「あぁ、雪中行軍は場合によっては死者が出ることもある。だから、作戦を実行する方法とは別に生き残る手法も叩き込まれた。まさか、こんなところで役に立つとは思いもしなかったがな」
「あなたという人物はつくづく謎が多い人物です。資料に書いてある内容はどれも要検証との記載ばかりでした。加えて、歴史の表舞台からずっと姿を消していたプルートさんもあなたに目を付けた。これは偶然でしょうか?」
「さぁ、どうだか。ちょっと良い待遇を受けた一般兵なんだけどな」
「あなたの今までの行動を見るに、それが正しいとは思えません。もっと別の、重大な何かを隠している気もするのです」
確かに要所要所で嘘をついてはいるが、ルナが知ってしまった内容はそれらと比較にならないのだぞ。しかし、勝手に思い違いをしてくれるのは渡りに船だ。適当に混乱してもらうくらいが丁度良いか?
「買い被り過ぎだな。そこまで有能だったら俺はアルダードに来ていない」
「まぁ、それはいずれ分かるでしょう。私たちもいろいろと調べてはいますから」
調べています、か。私たちとはきっとダルテ家のことを指しているのだろう。ん? いや待てよ。仮にそうだとしたら、ルナは自分たちの素性がまだ知られていないと考えているのか。
折角調べ上げた内容を使わないのはもったいない。少し探りを入れてみるか。反応次第では良い情報が得られるかもしれない。
「財閥の力を使えば、他国の機密情報も調べられるってか。随分と便利なものだな」
俺がそう言うと、ルナは体をびくりと震わせた。
「……よくこの短期間で調べられましたね」
意外な反応が返ってきた。予想していた言葉に近いが、驚きを隠せないといった雰囲気が漂っている。
「プルートが協力してくれたからな。それでも、断片的な情報から辿るのは簡単じゃなかった」
「そうですか……。ちなみに、どこまで知ったのか尋ねても?」
正直まだ調べ切ってはいないのだが、この様子なら俺たちがまだ知らない情報をぽろっとこぼすかもしれないな。少し踏み込んだ内容を話して、その先まで知っている雰囲気でも出してみるか。
「まさか現当主の娘が俺のところにやってくるとはな。それを知った時は度肝を抜かれた。どういう風の吹きまわしだ?」
俺がそう尋ねるとルナは黙ってしまった。図星のようだ。どうやらあの情報が正しいことは確定らしい。しかし、そう簡単には話してくれそうにない。
「まぁ、話したくないなら話さなくて結構だ。お互い様だからな」
「お気遣いありがとうございます。できるなら、このことは他人に話さないで頂けますか?」
知られては困る情報。調査した甲斐がある。さらに揺さぶりをかけるならここしかないな。
「世間に知られたらまずい情報だってことぐらい俺も分かっている。ここは貸し一つで受けよう」
「こんな状態でも警戒心は緩めないのは関心すら感じます。ですが、それだけヘレナさんと一緒に居たいということなのですね。異母、もしくは異父兄妹と言えど、身内と離れるのはやはり辛いものですか」
異父、異母兄妹? そう言えば、ルナと俺の関係について公式な回答をアルダードにしていなかったな。そういう風に受け取られていたのか。しかしなぜそういう設定になっているのだ?
「そんな説明したことはまだないんだがな」
「見ていれば分かりますよ。ああいった関係を築けるのは兄妹くらいなものです。軍は確証がないと言っていますが、私にも兄がいたので分かります」
ヘレナに対して妹のように接しているという自覚はあったが、他人から見てもそう見えるとは流石に思わなかった。だが、嘘から出た実という言葉もある。ある意味ではその方が都合が良いかもしれないな。
「流石にバレるか。他人のように見せかけるというのは案外難しいものだな」
「あれでそう思わせようとしていたのなら大分無理があるでしょう。そうでなければ、あなたが軍人になった理由に説明がつきません」
生活のため軍に入る人間は多い。俺もその人間の一人だった。正直に言って、そこまで考えて発言したことはないのだが、思いもよらぬところで符丁が合っている。
「生きるために必死だっただけだ。両親は俺が幼い時に亡くなったからな」
「そうですか……。親代わり、なのですね。今の話を聞いてあなたへの印象が大分変わりました」
「どういう心境の変化だ?」
「私も兄妹間の仲は良かったので、少しだけ親近感が湧きました」
そう言えば、ダルテ家のことを調べた際にルナには兄がいたな。当主争いなどの事例がある中で、兄妹の仲が良いとはっきり言えるのはある意味凄い事なのだろう。
俺はちらりとルナの顔に視線を向けた。ルナの視線は相変わらずこちらに向いていない。しかし、その目元はいつになく穏やかなものだった。
「そうか」
感情を表に出しづらいルナが、初めて見せた家族に向ける愛情を目の当たりにして、俺の中でも少しだけルナへの印象が変わった。
会話はそこで途切れた。途切れこそしたものの、険悪な雰囲気はどこかへ消え去っていた。




