第二章 ルナの事情1
アルダードは大雪に見舞われていた。もう三月の下旬に差し掛かった頃合いだと言うのに、このような大寒波がやってくるのは珍しい。
今日はヘレナの学力検査を行う日なのだが、検査会場までの道のりは大変なことだろう。午前中、寒さに凍えるヘレナを見送り終えると、俺は暖炉の効いた部屋で仕事を始めた。
俺は寒いのが苦手だ。雪中行軍は数ある訓練の中でも一番嫌いだった。だから図らずとはいえ、こういった日にグリッドマン大佐の補佐役として、事務仕事ができるというのは嬉しいものだ。
そんな風に思いながら仕事を進めているとノックの音が聞こえてきた。
「どうぞ」
俺がそう言うとルナが部屋に入ってくる。
「お仕事中失礼します。暖炉の薪が今ある分で無くなります。倉庫から薪を取ってきたいのですが、この天気の中メイド一人では荷が重いので手伝っていただけませんか?」
窓の外を見ると確かに吹雪いている。薪が無くなって快適な環境を失うのは困るな。
「分かった。準備をしてくるから少し待ってくれ」
防寒対策をしっかりして玄関で待っていたルナに声を掛ける。すると、こちらを振り返ったルナは怪訝な顔を返してきた。
「すぐそこにある倉庫から薪を取りに行くだけなのに、その重装備は何ですか? 厚手のトレンチコートにしては随分と大きいですね。下にも大分着込んでいるようですし」
「そうは言っても寒いものは寒いだろう。俺は寒いのが嫌いなんだよ。俺からすればルナは大して着込んでいないようだが、本当に大丈夫か?」
「私は大丈夫ですよ。外へ出ると言ってもすぐそこですし、二人でやれば大して時間も掛かりません。手早く済ませてしまいましょう」
「それもそうだな。それじゃ行くか」
吹雪と積もった雪であくせくしながらも俺たちは倉庫に辿りついた。
敷地内にある倉庫は意外としっかりとした造りになっている。屋敷もそうだが、俺の前に住んでいた人間はかなりの金持ちだったのだろう。
雪で硬くなった鉄製の扉を開けると、持ってきたランプに火を灯し中に入る。
「薪以外にもいろんな物があるな。何が収められているんだ?」
俺はランプでほんのり照らされた倉庫内をぐるりと見渡すとルナにそう尋ねた。
「いろいろあります。多いのは車関連の部品や予備のタイヤなどでしょうか。小さな工具などもあると思いますが、専門家ではないので私はあまり扱えませんね」
「そういうのは整備の人間に任せておけば良いさ。とりあえず、風が入ってこないように扉は閉めるぞ」
「この吹雪の中で開けっ放しは良くありませんね。往復が多少面倒になりますが、仕方ありません」
扉を閉め終えるたが隙間風は多少感じる。まともな造りをしていると思っていたが、実際はそうではないらしい。
「それじゃ、薪のある場所まで案内してくれ」
「もう少し奥の方に置いてあります。まずはここに薪を持ってくるところから始めましょう。それそうとして、ここからは細い通路が多いので、その格好だと薪を持ったまま通り抜けられないと思いますよ。上着は脱いだほうがよろしいかと」
ルナは奥の細い通路を指さしながらそう言った。確かに、俺の体格と厚手の上着は相性が悪そうだ。
「寒いからあまり脱ぎたくはないが、仕方が無いか」
屋内だから多少マシとは言えかなり寒い。俺はしぶしぶ上着を適当な場所に引っ掛けルナの後をついていった。
薪を抱え、二人して細い通路を進んでいく。
すると突然、先頭を行くルナが小さな悲鳴を上げた。
「きゃっ、ねずみ!」
どうやら突如として現れたねずみに驚いてしまったらしい。足元がおぼつかなくなったルナは近くにあった棚にもたれかかった。
「おいおい、大丈夫――」
そう言おうとした矢先だった。
バシャ!
頭上から液体が降ってきた。そして、俺はそれをもろに被ってしまった。
「冷た冷たっ! な、なんだこれは!?」
「きゃぁ!!」
視線をルナに向けるとルナも俺と同様に液体を頭上から浴びていて、全身ずぶ濡れになっている。
「なっ、何ですかこれは!? 水?」
ルナは女性らしい悲鳴を上げながらも、何が起きたか把握しようとしていた。この天気だと水なら凍っているはずだが、これは一体……。
棚の上に視線を向けるとバケツが転がっていた。ルナが棚にもたれかかった拍子に中身がぶちまけられたのだろう。液体の感触は少し粘りがある。
「もしかして、不凍液か?」
この倉庫は車の整備部品が保管されているとルナは言っていた。今の時期なら不凍液があっても全くおかしくない。おかしくはないが、バケツに入れっぱなしの不凍液を棚の上に保管するなよ。誰だ、こんなことした奴は……。
少しだけイライラを募らせながらも俺はルナの安否を確認した。
「ルナ、大丈夫か。口に含んだりはしていないか?」
不凍液は基本的に有害だ。皮膚に触れるくらいなら大したことにはならないが、口に含んだとなれば話が変わってくる。
「はい、大丈夫です。目や口には入っていません。ですが、これは着替えなくてはいけませんね。一度屋敷の方に戻りましょうか。正直、この状態で外に出たくはありませんが……」
不凍液だから凍り付くことはないが、体温は奪われる。この天気で濡れた服のままうろつくというのは流石に危ない。さっさと屋敷に戻って着替えなくては。
「そうだな。軽く拭ってから屋敷に戻ろう。全く誰だよ、こんなところに保管した奴は」
全くもって不快だ。せっかくぬくぬくと過ごしていたのに、何で凍えなくちゃならないんだ。
そう思いながら俺は倉庫の扉を開けようと力を込めた。
扉が開かない。
凍り付いていて動かしにくいのか。もう少し力を込めよう。
「ふんっ!」
しかし、それでも扉は開かない。くそ、面倒だな。
「ルナ、手伝ってくれ。扉が固くてなかなか開かないんだ」
ルナにも助力を頼み、二人が掛かりで扉に力を込める。
だが、やはり扉は開かなかった。
「何でだ? なんで開かないんだ!?」
蹴りを入れたし怪我をしてない方の肩で体当たりもした。それでも、扉は無表情のままだった。ただただ、虚しく金属音が鳴り響く。
「ちっ、ダメだ。びくともしない。ルナ、非常口はあるか。そっちから出よう」
しかし、ルナの表情は良くなかった。体温が下がっているからという訳ではないようだ。
「出入口はここだけです。非常口は……ありません」
「なっ、それじゃ……」
「はい、何とかこじ開けるしかありません……。それか、救援を待つか」
嘘……だろ……。こんな状況で救援なんか待っていたら凍え死ぬぞ。敷地内で遭難するとか笑い話にすらならない。
「ルナ、何としてでもこじ開けるぞ。動けるうちに何とかする!」
「……っ、分かりました」
それから体力が続く限り俺たちは扉を開ける努力をした。梃子を使ったり道具を使ったり様々な方法を試した。
しかし、扉は開かなかった。そして、時間が経つにつれて寒さが俺たちの体温と体力を奪っていった。
くそっ、寒さで体が言うことを聞かない。手の感覚がほとんどなくなりかけてきているし、ルナも疲弊の表情を浮かべている。これ以上むやみに動けば本当に死にかねないぞ。
救援を待つ。選択肢はもはやこれ以外ない。体力と体温をできる限り温存しなくては……。
遭難したと認めたくはないが、雪中行軍の訓練でやったことを思い出せ。
正直言ってこんなことは言いたくないのだが……。仕方がない。
「これ以上やっても扉が開くかどうかわからない。救援を待とう。それと体温の低下を防ぐために濡れた服を脱ぐぞ」




