第二章 布石2
夕食を食べながら俺は考えていた。
食堂にいるのは俺とヘレナとルナの三人なのだが、昨日の件から俺たちとルナの雰囲気は険悪になっていた。同じ机で飯を食ってはいても、常にどんよりと重く張り詰めた雰囲気が漂っていて、口を開くことが非常に難しい。
こんな状態ではルナを惚れさせるどころか、会話すら成立しないだろう。何かの拍子で心変わりなどされたら手の打ちようがない。
何とかして関係性を修復しなければならない。少なくとも、普通に会話ができるまでにはもっていかなくては。
ルナの方をチラリと見てみる。表情一つ変えずに黙々と食事をしている。前々から思っていたが、ルナは表情の変化に乏しい。何を考えているのかかなり分かりにくい部類だ。また、常に敬語を使うせいか壁を貼られているような感覚になる。
どうやって切り込むべきか。ヘレナを使って強引に会話を引き出すとか?
いや、それをしても根本的な解決にならない。小手先の手段ではなく、もっと深く踏み込むべきだ。
こうなったらサシで話をするしかない。プルートの件で動きにくいのはルナも同じだろうし、お互いに譲歩しあった方が良い展開になるはず。
そう考えた俺はルナが食べ終える頃を見計らってこう告げた。
「ルナ、少し話がしたい。この後俺の部屋に来てくれ」
それを聞いたルナは体をピクリとさせた。しかし、表情は相変わらずのままだ。
「えぇ、分かりました」
断られるかもしれないと思ったが、案外上手くいった。とりあえず、第一関門はクリアと言ったところか。
食事中に考えは深まった。この方法ならきっとうまくいくだろう。
***
「遅かったな。無視されたのかと思ったぞ。まぁいい。とにかく座ってくれ」
部屋に着たルナを俺は接客用の腰掛に座らせた。
「メイドとしての仕事が残っていましたので、先に終わらせてきました。それで、話とは何でしょうか?」
「昨日の件の続きだ。とは言っても決定を覆すとかそんなことじゃない。単純に、生活面での話だ。お互いに出方を窺っているのだとは思うが、家の中の雰囲気は最悪だ。周りから見ても不自然だろう。これでは誰かに勘付かれたとしても不思議じゃない。このままだとお互いのためにならないと思ったから、こうやって話し合いの場を持ってきた」
「ヘレナさんも同席させると思っていたのですが、二人だけで話し合ってよろしいのですか?」
「ヘレナは既に譲歩を見せている。残っているのは俺とルナだけだ」
「そうですね。あなたの言う通り、険悪さを押し出すべきではないと思います。私としても他人に気付かれるのは避けたいですから。分かりました。あなたの提案を聞きましょう。それで、あなたはどのような改善策をお考えなのですか?」
「難しいことは言わない。とりあえずは、昨日の件が起こる前の関係性に戻すことを目標に考えている。だが、それだけで終わってしまえば、軍におけるルナの評価を下げることになるだろう。俺たちとしてもルナの代わりが来てもらっては困るからな。だから、ここは一つ手を打たないか?」
「手を打つとはどういうことでしょう?」
「あの指示書から察するに、軍は俺の人間関係を操作しようとしていたことは明白だ。実際それは上手く作用していて、計画は順調だっただろう。しかし、工作員の死亡により軍の計画は失敗してしまった。だからこそ、そこでルナが活きてくる」
「私が活きてくる?」
「あぁ。ルナの立ち位置が非常に重要ということだ。考えた結果、関係性が上手くいっていると見せることで得られる利点は二つあることが分かった。一つは俺たちの視点になるが、軍に計画が上手くいっていると誤認させられるという点だ。軍の計画変更が無ければこちらとしては動きやすい。二つ目に、軍におけるルナの評価が上がるという点だ。ルナが工作員の役目を担えれば、ルナは自由に動くことができる。プルートとの接触を他人に気付かれる心配はなくなるだろう」
「なるほど、私にその工作員の仕事の一部を担わせ、それが順調に運んでいることを軍に匂わせると言うのですね。あなたとの関係性が良いと判断されれば、他者の介入を潰せる……」
直情的にはルナを始末したいが、それをやってしまえばこちらの利益にならない。だから、ルナの立ち位置をうまく利用する必要がある。
昨日の件から、ルナは中立を保たなければならないことが分かっている。それは裏を返せば、俺達や軍に対して偏った行動を取れないことを意味する。
だからこそ、俺の考えに協力すれば軍の意向に沿う形になるという今回の提案は、ルナにとって非常に動きやすい形になる。どちらにも偏りが発生せずにより良い関係を構築しやすい。両者にとって目に見える利点が示されれば、疑いの目は向けにくい。
また、ルナの与えられた役割にはハニートラップもあるはずだ。それが上手くいっているように見せかければ、軍もルナを左遷させるようなことはしないだろう。
そういう状況に持ち込みさえすればこちらの勝ちだ。逆ハニートラップを仕掛けたとしても全く不自然ではない。この苦しい状況を何とか出来る突破口になるのだ。
「あなたの考えはよく分かりました。概ね賛同できると考えます。ですが、あなたを信用するには些か疑問が残るんです。あなたは絶対安静を言い渡されていながらも、今朝どこかへ出かけていましたね。……どこへ行っていたんですか?」
まずい、こっそり抜け出したのがバレていたみたいだ……。
恋愛の指南本を買いに行ったと言えば、俺たちの計画を見抜かれてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなくては。
「昨晩の件があってすぐにそんな行動をされたら、誰だろうと疑いを持つものですよ。それで、答えられないのですか?」
「そ、それは……」
く、くそっ! 下手な答えを言えば今までの話が水の泡になるかもしれない……。だが、何て説明すれば。
いや、待てよ。一つだけ候補がある。だが、それは……あまりにも諸刃の剣というか……。
「答えられないほどのことをしてきた。そう捉えても良いというのですね?」
ちっ、クソっ! もはや一刻の猶予もない! やるしかねぇ!
「しゅ……」
「しゅ?」
「春画だよっ! ルナが風呂に入ってきたせいでムラムラしてたんだ! 処理しようとした矢先にあんなことになったから、朝一で人目を盗んで買ってきたんだよ! 文句あるかっ!」
俺の鬼気迫る告白のせいか、ルナはたじろいだまま固まってしまった。そして、頬をほんのり赤く染め上げこう言った。
「そ、そう、ですよね……。あなたも男性ですから、そういうことをしていたとしても何もおかしくありませんよね……。あの、その、す、すみません……」
「お、俺も大声を上げてすまない。と、とにかく、そういう理由で俺は朝方に出かけたんだ」
このままだと違う意味で関係性が拗れそうだ。やはり、この言い訳は苦しすぎただろうか?
「わ、分かりました。で、ですが、念のためにその買ってきた物を見せて、いただけませんか? 信頼関係を保つには、きっと、そうした方が良いかと!」
くそっ、そこまで踏み込もうとするか! 恥じらいを見せはしても確かめるまでは退くもりはないらしい。一応エリックが渡してくれた物があるから、見せられないことはないが……。
心なしかルナの息遣いが荒くなっている気もするが、ここは仕方ない。俺の本当の性癖が知られるわけでもないし、今後のために見せよう。
……いや、そもそも夜中に部屋に来た女性に春画を見せるってどういう状況だよ。
意味不明な状況にやや困惑しながらも、俺はルナに春画を見せた。
「ほう……これが……」
なんでじっくり鑑賞しているんだよ。確認したんならさっさと要件を済ませてはくれないか? 俺だって恥ずかしい。
「あなたの言っていたことが本当だと分かりました。そういう理由なら特に問題はないですね。あなたの作戦通りに事を進めましょう!」
「お、おう、よろしく頼むな?」
もしかしてルナは俺と同様に初心なのか? それともあんな清楚な見た目をしていながら案外むっつりなのか? 方向性の違う疑問は深まるが、何とか切り抜けることができた。
かくして、俺とルナの話し合いは終わった。
***
翌日からその変化は見られた。
「ねぇルナ、雰囲気が昨日と全然違うけどさ、夕べ何かあったの?」
「いえ、大したことはしていませんよ。昨晩に読んだ本の内容が思いのほか意外な展開で、興味をそそられたのです。おかげで少し機嫌が良いのです」
食堂に来たヘレナがその変化に気付いてルナに声を掛けたが、どうやら機嫌が良いらしい。
俺の性癖を知って機嫌が良いのか、春画に興味を惹かれたから機嫌が良いのか、それとも別の理由があるのか。
これは上手くいったと捉えて良いのだろうか。何とも腑に落ちないが、最悪の展開を回避できた時点で喜ぶべきなのだろう。
「ハロルドさんもどうぞ」
ルナはそう言うと俺に食事を持ってきてくれた。その表情は心なしか柔らかくなっているように思える。
「あぁ、ありがとう」
「あれ、ハロルドとルナって仲直りしたの? だから機嫌が良いってこと?」
「そうですね。和解してきました」
「昨日の今日で凄い変化だね……。上手くいきすぎな気もするけど、ハロルド、何かしたの?」
妙な鋭さを持った質問に一瞬ドキッとするが、必死に抑えて適当な理由を話す。
「ま、まぁな。あんな雰囲気の中で飯を食うのは流石に堪えるから、昨日話し合って改善するようにしたんだよ」
「ふーん。まぁ、あの雰囲気で食事するよりかはこっちの方が何倍も良いし。それに、賑やかな食事に憧れてたから、私としては嬉しいかな。和解できたのなら、それはそれで良いんじゃない?」
ヘレナの言い方には若干とげがあるような気もするが、少なくとも良く思ってくれているようだ。
「そういうことなので、改めてよろしくお願いしますね」
「うん、よろしくね、ルナ」
不思議な雰囲気だったが、これはこれで悪くないと思った。




