第二章 布石1
翌日の昼休み。俺はため息を吐きながら、午前中に買った恋愛の指南本をめくっていた。
『常に感謝の心を持とう』
『相手を信頼しよう』
『対等の関係を築こう』
『相手をピンチから救えば意識してもらえる』などなど。
読めば読むほど、今の状況とかけ離れすぎていて虚しくなってくるのだ。
「確かにルナを味方にできれば、ほとんどの問題はどうにかできる。そうは言っても、この状況でどうやってそれをやれば良いんだよ……。ルナがピンチに陥ったら救うどころか蹴落とした方が良いまであるんだぞ。ったく、本当に役立つのかこれ?」
プルートの提案以外の方法が見つからない以上、ルナを惚れさせるという考え方でやっていくしかない。初めて会ったときはときめきを感じたが、今となってはその感情はどこかへ行ってしまった。いかに利用するか。もはやこの考えしか浮かばない。
面白い内容も多少はあるが、果たして本当に活かせるものなのか判断すらつかない。それでも、ここで一手を打たなければどうなるかくらい想像しなくても分かる。何とか次に繋ぐという必死の思いで俺は読み進めた。
昼休みが終わり、俺は買ってきた本をルナにバレないよう隠し終えると仕事を始めた。
グリッドマン大佐から指示された内容の一つに、ヘレナへの聞き込み調査がある。先日の誘拐事件の内容、主に人質目線でのテロ組織の動向をヘレナから聞き出すというものだ。長時間話せるようになってきた今なら、ヘレナの負担にもならないだろう。
ヘレナの部屋に行くとヘレナはリハビリの真っ最中だった。
「あれ、ハロルド? どうしたかしたの?」
「あぁ、仕事でな。先日の誘拐事件の件で話がしたい。時間はあるか?」
「うん、大丈夫だけど……」
ヘレナはそう言うと顔を少しだけしかめた。あまり思い出したくないのかもしれない。
「分かった、気分が悪くなったらその時は切り上げる。話せる範囲で良いから話してくれないか?」
「じゃあ、それでお願い。まずは何を聞きたい?」
「そうだな……。とりあえず時系列順に行こうか。目が覚めた頃の状況を覚えてる範囲で話してくれ」
俺はヘレナを椅子に座らせるとメモ用紙とペンを取り出した。
「目が覚めた時は……幹部の人かな? 多分偉い人が怒鳴り散らかしてた。『攫ってきた人間が違うじゃねぇか』って言って部下の人たちが怯えていたのは覚えてる。それで連れ去られたのは私と別の誰かなんだって把握したかな」
やはりテロ組織側もかなり困惑していたようだ。それで仕方なく軍と交渉を行う羽目になったという訳か。
「なるほど。その後に何かあったりしたか?」
「偉い人が『依頼主と話をしてくる』って言うとすぐにいなくなった。あと、私が話せないってことは偉い人以外も知ってたみたいで、いちいち話しかけてきた人も数日後には諦めてた。『もしかしたら喋るかもしれないだろ』って言ってたから多分そうだと思う。中核の人間には知らされたのかもしれない」
「そうか。辛い思いしていたのに、よく声を出さなかったな」
「……う、うん。だって、どこにいるか分からないのに声を上げるのは、流石にまずいかなって思ったから。それにプルートもいたから多少はマシだったし。そう言えば、プルートにも話を聞いておいた方が良いんじゃい? 二人の証言があれば信憑性が高まると思うけど」
「それはそうだな。プルート起きてるか?」
俺はヘレナのベッドの上で転がっているプルートにそう話しかけた。
「起きとるけど、俺はあんま力になれんと思うわ。何せ、俺がヘレナと出会ったんは、そこそこヘレナがやつれてきた頃合いやからな。後半の話やったら情報出せるかもしれんけど、最初期の話はできん。俺の覚えとる範囲に入ったら、こっちから声かけさせてもらうわ」
「分かった。その時なったら声を掛けてくれ」
「あいよ~」
「ヘレナがプルートと出会ったのはある程度期間が空いてからなんだな」
「うん。五日くらい経った時に、いつも話しかけてくる人から渡されたの。機嫌取りでもしたかったのかな?」
「さぁ、少女趣味だったとかそこら辺だろう」
「うわ、それは最悪……」
「話を元に戻そう。今の話を要約すると、テロ組織は依頼主から依頼を受けて俺たちを狙った。でも、ヘレナしか攫えなかったことはテロ組織にとって痛手だった。ヘレナからはそう映ったんだな?」
「うん、それで大丈夫。ねぇ、ずっと思ってたんだけど、今回の件って軍から私たちの情報が洩れたってことだよね。それに、こうやって事情聴取してるってことは……かなり危ないってことなの?」
「ヘレナの言う通り情報が漏れたというのは確かだ。軍の見解によると、裏切り者がいるらしい。その裏切り者が何を考えているかは分からないが、少なくとも俺たちに興味を持っていることは確かだと言えよう。どれほど危ないかどうかは……正直分からない」
俺がそう言うと、ヘレナは少しだけ黙り込んだ。何を考えているのだろうかと思っていると、やや目を伏せながらこう切り出してきた。
「……ねぇハロルド。また、トリトンと同じように、アルダードから逃げ出さない?」
意外な言葉だった。
「……それは、本気なのか?」
「こんな状況ならそう考えても不思議じゃないと思わない? ルナには秘密を知られて、その軍の裏切り者からは手駒にされようとしてる。今回の件で私もハロルドも碌な目に合ってないのに、これから良いことが起きるなんて流石に考えきれないよ。それなら、深みに嵌る前に、逃げ出したほうが良いと思う」
ヘレナの言っていることは間違っていない。それどころか現実をしっかりと見据えていた。それはきっと今を憂いているからこその答えなのだろう。
「そうか、どうやら俺はヘレナを不安がらせてしまったようだな。逃げるという選択は決して悪いものでもないだろう。俺も最終手段として逃げるというのは考えていた。だが、その決断はまだ早い」
「どうして?」
「単純にどこへ逃げるべきか分からないからだ。もし逃げるなら、半島そのものから逃げる必要がある。だが、言語も文化も何もかも違う他国では上手くいく方が難しいだろう」
「それはそうだけど……」
「俺たちが直面してる問題は確かに厄介だ。だが、まだ猶予はある。深みに嵌る可能性は否定できないが、打てる手がない訳ではない。逃げる準備を進めつつ、問題解決も図るべきだ。せっかくここまで来たんだ。手段は多いほうが良いだろう?」
「ハロルドは何か良い方法を思いついてるってことなの?」
「確実ではないが方向性はある程度決まっている。それに、軍も裏切り者の捜査に協力的だ。何もかもが向かい風ってわけじゃない。だから安心してくれないか」
「……うん。ごめんねハロルド。わがまま言っちゃって。でも、嫌だったの。これ以上変なことが起きてハロルドから元気がなくなっていくのが」
「心配し過ぎだ。軍人ならこういうことには慣れてる。でも、ありがとう。あの時にヘレナを拾ったことは間違いじゃなかったんだろうな」
「えっ……いや、その、なんていうか……わ、私はそう言わせたかったんじゃなくて……」
唐突に感謝を言われたせいかヘレナは口ごもってしまっていた。そう言えば、妹もこんな感じで言いどもることがあったな。やはり似ている。
「と、とにかく、今は事情を聴きたいんでしょ! 早く進めようよ!」
「分かった分かった。脱線して悪かったな。話を進めようか」
それからヘレナが語った内容は非常に興味深かった。特にテロ組織の動きに関しては今後の展開に大きく関わりそうな気配が漂っていた。
テロ組織と依頼主の連携が誘拐以降、最初とは比べ物にならないほどガタガタになっていたこと、依頼主にうんざりしたテロ組織側が途中から指示を受け付けなくなったこと、あの場所を捨てる決断をしていたということなど、テロ組織側の落ちぶれっぷりがこれでもかと出てきた。
その中で特に興味深い内容が一つあった。
俺は当初、テロ組織側が俺を誘拐しなかった理由を、顔を知らなかったからだと考えていた。しかし、今回のヘレナの話を聞いてその考えが間違っていたのだと強く感じた。
何故なら、テロ組織側は依頼主から指示された通りの人物を誘拐したとヘレナが証言したからだ。
それは依頼主が俺を偶然間違えたのか、それともわざと間違えたかという二つの可能性が出てくることを意味する。
しかし、依頼主が俺の存在を間違えることなどあるだろうか。本当に俺を欲していたのならば、そんな間違いを起こすなど考えられない。むしろ徹底的に周知させるべき情報だ。それなのに、これほどの手腕を発揮しておきながらそのようなミスを犯すというのは、何か裏があるのではないだろうか?
個人的にも調べる必要がありそうだ。俺の仮説が正しければ、俺たちが対峙している裏切り者は想像以上に頭の切れる奴だろう。厄介なことこの上ない。
俺はヘレナには心配しないように声を掛けた。だったら、それを守れるよう動くだけだ。それに、逃げるという行動はできれば取りたくない。トリトンの時は仕方なかったとはいえ、危なくなったから逃げると言うのは俺の性に合わない。逃げるにしても一矢報いるくらいはしたいものだ。
そう思いながら俺は報告書を書き進めた。




