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第一章 大使館2

 全権大使がいる部屋はアルベルトから教えてもらったためすぐに見つかった。大使館内には大使館の職員しかいない上に朝一の仕事となるように決めておいたから同業者も見当たらない。それに中に入ってしまえば清掃衣装を着ている関係上怪しまれることがほとんどない。守りが堅牢な砦ほどその内部に入ってしまえば脆いものであるとはよく言ったものだ。重いトランクを引きずりながらでも簡単にたどり着くことができた。


 俺は扉の目の前に立つと軽く呼吸を整えた。


 ここに至るすべての障害は乗り越えた。後は全権大使をうまく説得できれば俺たちの勝利となる。緊張で高鳴る心臓の鼓動を必死に押さえつけ、俺は懐に隠し持った壊れた拳銃を掴むとノックをせず扉を開けた。


 部屋の中はさほど広くない。部屋の中央には何もなく扉から一番奥に机があってそこに白髪交じりのややふくよかな男が座っていた。全権大使であるのは間違いないが仕事に夢中になっているのか入ってきた俺たちに視線を向けるようなことはしてこない。


 俺は扉を静かに閉めるとトランクを引きずりながら机の前に向かった。すると彼はようやくその音に気が付いたのかほんの少しだけこちらに視線を向ける。


「ノックくらいしたらどうかね。いきなり部屋に入ってこられるとこちらとしても驚いてしまうよ。それにしても、いつもの清掃員とは違うが今日はそういう日なのかい?」


「あなたが全権大使ですね」


「この部屋で仕事をしている人間がそうでなくてどうする。それで君は誰かね?」


 彼はおどけるようにして言った。


 どういう訳か見透かしたような視線を向ける彼に嫌な予感を感じながらも俺は壊れた拳銃を彼に突きつける。


「このような真似をして申し訳ありません。ですが、抵抗されるとこちらも困るのでご理解いただきたい」


 これで多少は状況を理解してくれるだろうと思っていた。しかし、彼は俺の予想の斜め上の行動に出てきた。


「ふむ、良いだろう。しかし、随分とあべこべな言動だね。脅されながら丁寧な言葉遣いをされるなんて微塵も思ってなかったよ。まぁ、私としても騒ぐわけにはいかない。とりあえずは君の要件を聞こうじゃないか。テロリズムにしては異常なまでに穏当な君の要件をね」


 やけに冷静。俺の第一印象はそうだった。それでいて物分かりの良い態度に俺は困惑する。しかし、それを表に出すわけにはいかない。この男の前でそれを出すことは後手に回ってしまいかねないと強烈に感じたからだ。


「話が早くて助かります。それでは早速ですがこちらをご覧いただきたい」


 俺はそう言うと持ってきたトランクを開きヘレナをトランクの中から解放した。ここまでずっと窮屈な思いをしていたはずだがヘレナは疲れた様子を見せずに無表情のまま俺の横に立った。


「ほう、これはこれは。手品か何かを披露するつもりかい?」


ヘレナが現れても飄々とした態度を変えない大使にハロルドはさらに危機感を強くする。そして、俺も付け髭や髪形を元に戻して大使と向かい合った。


「昨日の早朝、あなたのこの机に新聞が置かれていたと思いますが御覧になりましたか?」


 アルベルトに頼んで朝刊の見出しが分かるように置いてもらっていたものだ。ここまでやれば否が応でも新聞を読むだろうとの考えだが彼はどのように返答するつもりなのだろうか。


「あぁ、もちろん。何やら先日起きた脱獄犯の新情報が暴露されたとか。トリトン軍は何とかしてもみ消したようだが、ここまで大規模な交通規制をやれば事実だと認めるようなものだ。まぁ、それだけ必死ということなのだろう。それにしても、私ももう年なのだろうな。目の前にその脱獄犯と同じ顔が現れるとは。新しく眼鏡を購入すべきかもしれない」


 確信犯だ。俺は心の中でそう思う。それと同時に彼の洞察力の鋭さに一層の警戒を示す羽目になった。流石、全権大使を任されるだけのことはある。


「理解が早くて助かります。あなたの言う通り私たちは新聞で報道されたルダティアの軍人です。そして、全てはこの時のための布石に他なりません。しかし、これほどまでに早く気付かれるとは思ってもいませんでした。後学のためにどの辺りで気付いたのか教えていただけませんか?」


「確信したのは彼女が出てきた時だね。疑いを持ったのは君が部屋に入って一言告げた瞬間からだ。担当の清掃員ではないし荷物もおかしい。清掃の時間でもない上に彼らは仕事中の我々職員に話しかけることはしない。一瞬巷で広まりつつある新興テロ組織か何かかと思ったが清掃員に偽装しているうえに強引に武力を行使することなく対話を要求してきた。少なくともことを荒らげるつもりはないと見当がつく。それに捕虜の脱走においてだが、脱走した彼らは基本的に国外逃亡を最終目標とする。大使館に逃げ込むのはある意味理想的な形と言えよう。やり口もなかなかなものだ。そこまで分かれば後はとんとん拍子さ。それで、折り入って話すこととは何かな? まぁ、おおよそ見当はつくが君たちもここで立ち話をするのは辛かろう。奥に応接室があるからそこで話をしようではないか」


「その応接室に誰かいるということはありませんか?」


「誰もいないさ。君たちが来ると分かっていたならここに私はいない。それに、私としても君たちが直接来てくれたことで新聞の内容に信憑性を見出したんだ。話を聞かずに帰ってもらうのは流石に気が引ける」


「いいでしょう。ですが、不審な点が見つかれば即座にこちらも行動を起こします。念のためですが爆発物を仕掛けさせてもらいました。職員の命が惜しければ余計なことをしないようお願いします」


 無論、爆発物など仕掛けていないため今の発言は単なるはったりに過ぎないが彼は驚いた様子を見せる。


「おぉ、それは怖いねぇ。それだけ私との話し合いに並々ならぬ強い想いがあるのだろうな。良いだろう。君の言う通りにしよう」


 彼はそう言うと俺たちを奥の応接室へと案内した。革製の黒いソファと高級そうな机が中央にあるだけでそれ以外の調度品はあまりなくやや質素にも感じる。


 俺は拳銃を彼に向けながら窓の近くに立ち寄るとカーテンを閉めた。警戒しすぎとは言え証拠を残すわけにはいかないという考えからだ。


 先に彼をソファに座らせてから俺たちも向かいのソファに座る。


「それで、君たちの要求は何かね?」


「私たちの要求はアルダードに亡命すること。ただその一点に尽きます」


「やはりそう来るか。捕虜の身でありながらここまで辿り着くというのは簡単なことではない。ましてや、護衛対象がいればなおさらのことだ。まぁ、亡命の手続きそのものは簡単だ。私とアルダードの上層部が承諾すれば直ちに本国へ護送されるだろう。しかし、当然疑問も出てくる。新聞の内容によれば君たちはルダティアの秘密兵器を知る立場の人間なのだろう。そのような人間をみすみすルダティアが手放すというのは理解に苦しむ。ルダティアから送られてきたスパイだという方がまだ納得できるくらいだ。その考えを覆す何かを君たちは持っているというのかね?」


 彼はヘレナにチラリと視線を向けた。それはまるでこの少女が何かを握っているのではないかという鋭さを帯びていた。


「あなたがそう思うのも無理はありません。だからこそこのような回りくどい方法を取らざるを得なかったのですがその話は後にしましょう。確かに私たちは秘密兵器を知る立場にある人間です。しかし、知っているだけではありません。秘密兵器そのものであると言ったらあなたはどう思いますか」


 俺がそう言うと彼の目は細くなった。そして、俺の言葉の意味を見定めようとするかのように話し方が少しだけゆっくりとなる。


「面白い言い方をするね。君たちが秘密兵器そのものであると。交渉ならば君一人で来るべきところをあえて二人で来た理由がそこにはあるとそう言いたいんだね?」


「その通りです。口では説明できない部分を補うため彼女にも来てもらいました。私たちを確実に亡命させる理由を作るために」


「なるほど。では、見せてもらおうか。その秘密兵器とやらを」


「それを今からお見せしましょう。ヘレナ、頼む」


 俺はそう言うとヘレナに準備を促す。


「うん、分かった」


 ヘレナは短く返事をすると懐から折り畳みナイフを取り出す。そして、それを彼に手渡すとヘレナはこう言った。


「細工がされていないことを確認してください。普通の折り畳みナイフだと思ったらそのまま机に置いてください」


 彼はナイフを受け取ると言われた通りに確認をした。そして、粗方見終わるとナイフを机に置いた。


「では、やります。ナイフをよく見ていてください」


 ヘレナはそう言うとあの戦場で俺に披露したように同じ軍歌を歌った。しかし、その声色は心なしか震えているようにも感じられた。音量を小さくしているからというのもあるからだろうが緊張もしているからだろう。


 けれど、そんなことはお構いなしとばかりにナイフは変化を見せる。以前と同様、歌い始めた途端に刀身にひびが入り始めた。そして、全体に少しずつ広がり出したかと思うと最終的にパキンという音を立てながら粉々に砕け散った。


 彼はその様子をただじっと見つめていた。そして、ナイフが砕けてからほんの一瞬だけ間をおいてこう切り出した。


「これで終わりかい?」


 彼の口から出た言葉は挑発的な意味が取れる一言だった。しかし、その態度も理解ができないわけではない。俺たちは大使を説得するとい最終目標のために色々と準備をしてきた。だから、無理やりとは言え交渉の場を作った俺たちが有利に展開できるよう場所を選び、態度を選び、言葉を選んだつもりだ。彼のこの一言はある意味で俺に安心感を与えるものだ。不利な立場に陥った人間が時間を稼ぐためにあえて話を逸らすということはよくやる手法。相手を煽り、意識を他のことに向けさせるなどは常套手段と言っても良い。彼がそれをしてきたということは良い立場ではないことを示しているのだろう。少なくとも彼が俺たちを挑発する利点は今のところ詳しい内容を聞き出す以外に見当たらない。ならば、ここは素直に伝えるべきだろう。


「いいえ、これはあくまでも分かりやすく伝えるための簡単な実験です。今の実験で多少察しはついたと思いますが私たちの秘密兵器とは彼女の声が響く範囲にある武器を全て破壊するというものです。爆弾は不発に、銃は錆びつき、刃物は砕け散る。しかし、いきなりそれを信じるというのも難しいと思います。ですので、実際に使われた戦闘があるので調べてみると良いでしょう。二月四日に起きたルダティアの撤退戦。それを調べればある程度の証拠になるかと」


 彼の表情は依然として変わらない。


「なるほど。では、実戦投入された兵器を何故ルダティアが手放したのか理由を聞かせてほしいな」


「理由は定かではありませんが、突如として私たちを目標とした射殺命令が下ったからです。個人的な見解ですが、回収が不可能となった私たちをトリトンに鹵獲されたくなかったからだと考えています」


「そして、君たちは捕虜となり脱走してここまでやってきたという訳か。確かに辻褄は合っている。となると、先ほどのあえて二人である必要性について更なる疑問が出てくるな。君は私たちが秘密兵器だと言った。それはつまり、君だけでも彼女だけでも成立し得ないということなのだろう?」


 あそこまでお膳立てをしたせいもあってか彼は俺の意図するところを的確に言及してくれる。


 俺たちが二人で一つの兵器であるという嘘を貫き通す。それが、俺たちが生き延びるためのたった一つの活路。この説明に信憑性を持たせるために様々な困難を潜り抜けてきた。だからこそ、ここは前以外見てはいけない。


「えぇ、その通りです。先ほどの実験で武器を壊すには彼女の声が必要であると分かっていただけたと思いますが、実を言うと彼女は声を出すことができません。しかし、例外があり私の近くにいるときだけ声を出すことができます。だからわざわざ彼女をここまで連れてきたのです」


 その発言を聞いた彼は眉をひそめ視線を鋭くする。


「ほほう、それはまた。詳しい理由を聞いてもいいかな? できるのであれば彼女の口から直接」


 少しだけ困った展開になった。俺たちの関係性について疑いを持たれるのは仕方がないことなのだが、それは俺自身が上手く言いくるめられるように話をまとめるつもりだったのだ。しかし、それを理解してか大使はあえてヘレナ自身に問いかけることでその情報が本当に正しいか確認しようとしていた。ここで止めに入ると余計な疑いを掛けられるのは目に見ている。しかも、以前に関係性についての設定を聞かせてはいるが彼女の回答が俺の思考にどれだけ沿ってくれるか絶妙に分からない。ここはヘレナに期待するしかないと割り切らざるを得なかった。


 ヘレナは俺の方に少しだけ視線を向けると口を開いた。


「私の声は精神状態によって大きく左右されます。過去にあった出来事のせいで精神を病んでしまいそれ以来声が出せなくなりました。ですが、その状況を救ってくれたのがハロルドでした。だから唯一信頼を置けるハロルドが周囲にいる際は精神が安定して声が出せるようになったのです」


 俺はヘレナの言葉を聞いて安堵する。ヘレナは以前に話した設定をしっかりと理解して言葉を紡いでくれたようだ。内心ひやりとしてしまったが杞憂で済んで良かった。


「なるほど、少々話しにくいことを聞いてしまったね。貴女が彼に話を任せている理由がよく分かったよ。よし、ならば君たちの亡命を認めよう」


 そうは言うものの彼の表情は先ほどの鋭さを失っていない。何を考えている?


「……随分とあっさり決定されましたね。もう少し考えるものだと思っていましたが」


「私はあくまで外交官。君たちのような人間を扱うには手に余る。ならば、それに特化した者たちに任せるのが一番というものだ。君が我が国の大使館に目を付けたのは私を説得するためというよりもトリトンからの追跡を振り切るためという意味合いが強いだろう。そして、その願いは受け入れられ君たちはアルダードの庇護下に入る。それに何か不満があるというのかね?」


 確かに彼の言うことは間違っていないし俺としてもそうなるように動いてきたつもりだ。しかし、どういう訳か彼の言葉には別の意味が隠されているように思えてならない。外交官という肩書を持つ以上、口が達者であることは覚悟していたけれど彼が一体何をどこまで見透かしているのか分からないのだ。


 そうは言ってもこの話し合いで把握できる内容は限られている。下手に探りを入れて不審がられるより一旦引いて出方を窺う方が良いはずだ。別に亡命を拒否されたわけではない。むしろ前向きに捉えてくれている。ならば、今後彼から伝えられる情報をもとにこれからの作戦を構築していくべきだろう。


「いいえ、不満などありません。こちらとしても嬉しい限りです」


「そうか、ならばこれからのことを決めようではないか。今日から本国に連絡を入れても亡命するには数日程度の時間が掛かる。その間、君たちを大使館内で保護することになるわけだが、それについて何か質問はあるかな?」


「そうですね。質問というよりは現時点での要望なのですが、事情を話すのは最低限の人数にしてもらうこと、トリトン側に突き出さないと誓ってもらうということを守っていただきたい。質問については今後出てくると思うのでその時にでも聞いてもらえると助かります。今はどちらにとっても良い結果となるように動きましょう」


「あぁ、私もそう願っているよ。では、君たちを迎賓専用の部屋まで案内しよう。早速だが、今から君たちのことを私の信頼できる部下に話したい。よろしいかね?」


「えぇ、構いません。あなた一人ではできることもできなくなってしまいますからね」


「そうか、ならば今からこの部屋の内線使って二人の部下を一人ずつ呼び出す。そして、君たちの存在を私が直接説明しよう。それを目の前で見せた方が君も納得するだろう?」


 俺は彼の急激な身の変わりように違和感を覚えつつもそれを承諾した。ありがたい申し出であることに変わりはなかったからだ。


「えぇ、それでお願いします」


「では、その方向で行こうか。あぁ、そう言えばまだ名前を言っていなかったな。私はイーサバルト・クネッツ。これからよろしく頼むよ。ハロルド、ヘレナ」


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