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第一章 大使館1

「あれ、ハロルド今日は帰りがずいぶんと早いんだね。ここのところずっと帰りが遅かったのに」


 昼下がりに帰ってきた俺を見たヘレナはベッドの上で横になりながら俺が買ってきたパズルを片手に少し驚きつつ感想を口にした。


「あぁ、仕込みがほとんど終わったからな。三日後まで俺も待機することになった。ここのところずっと動きっぱなしだったから休みが取れて少し嬉しいくらいだ」


「へぇ、とにかく上手くいったようで何よりかな。私もようやくこの退屈な日々から抜け出せるんだね」


 ヘレナはそう言うとごろんと寝返りを打った。


「随分とくつろいでいるようにも見えるがな。少なくとも、一人で過ごす時間は無くなるだろう。あぁ、それと明日にはこの宿から別の宿に移るから後で準備を手伝ってくれ」


「うん? ここから移動するの? もしかして何かまずい事でも起きたとか?」


「いや、そうじゃない。俺たちが首都に潜伏してるという情報が公になれば軍は首都を取り囲むようにして包囲網を形成し範囲を狭めてくるだろう。だから、少しでも時間を稼ぐために俺たちがどこにいるかという情報を分散させておく必要があるんだ。特にこんな安宿じゃどこから情報が洩れるかわかったもんじゃない。大使館の近くに宿を取っていればいざという時に逃げ込めるし金を多く支払っている分簡単に情報を洩らさないと思ってな」


「あぁ、なるほど。確かにできる対策は打ってた方が良いもんね。分かった。つまり、それが終わったらハロルドは暇ってことで良いんだよね?」


「あぁ、確かに暇になるが……はいはい、ヘレナの言いたいことは何となくだが分かったよ。時間があるなら遊ぼうってことなんだろ」


「いや~話が早くて助かるよ。この数独ってやつも面白いには面白いんだけど攻略法が思いつかないと結構暇になっちゃうんだよね。二人でできる遊びってこの間やったやつ以外にも何かある? 無いなら買ってきた二人用のボードゲームで遊ばない?」


「あるにはあるが……随分と気楽というか楽観的というか、ヘレナと話していると自分が置かれている状況を忘れそうになる」


「ハロルドが動くなって言ったからその通りにしてるだけなのにその言い草は酷くない? ハロルドが付けた変な設定さえなければ私も役に立てたかもしれないよ?」


 ヘレナとしては目に見えて役に立ちたいということなのだろう。ある意味の出世欲のようなものだろうか。そこらへんは詳しく分からないが声が大きいだけの無能よりは殊勝な考え方をしている。


「随分と卑屈な捉え方をされたもんだな。別にそういう意味で言ったわけじゃなくて良い意味で張り詰めた緊張を解きほぐされるという意味だったんだが、不満だったか?」


 俺がそう言う尋ね方をするとヘレナは困ったような表情を浮かべた。


「不満じゃないけどその言い方は卑怯だよ。役に立ってるのか立ってないのかぼかした言い方じゃん」


「俺は今のヘレナは十分役に立ってると思うんだがな。それに役に立ちたいならもう舞台は整った。全権大使の前にたどり着ければ次の幕はヘレナの独壇場だぞ」


「ハロルドがお膳立てした内容と見合ってるか正直不安だけどね。まぁ、いいや。とにかく、喋るのは遊びながらでもできるし話の種をここで使い果たすのも面白くないからさっさと準備しよっ!」


「はいはい、分かったよ」


 ヘレナはそう言うと俺と遊ぶためだけに買ってきたと言うボードゲームを持ってきた。俺は時間に余裕ができたことも相まってか普段より饒舌になっており、捕虜になって以降久しぶりに心の底から笑った。


 そして、それから二日後の朝刊に俺が新聞社に流した情報が予定通り公開された。


***


 作戦決行日の早朝。俺は昨日の朝刊で出た新情報が世間でどのように扱われているのかラジオで大体知ることができた。流石に値が張るだけあって大使館近くの宿は設備が整っている。各部屋にラジオが置かれているとは思いもしなかったが無駄に動く必要がない分幸運と言えよう。


 内容としては予想通り沈黙を貫いた、いや、正確にはどこもその内容を扱っていなかったと言った方が正しい。どこの放送局も俺が真実を話した新聞社の内容を取り上げない。新聞も確認してみたが俺が情報を渡した新聞社でさえ昨日のことを忘れたかのような振る舞いをしている。本当に何事もなかったかのようだった。しかし、一度流れてしまった情報が確実に軍に刺さっているものであるということはラジオで同時に放送されていた内容で察知することができた。各地で交通規制の情報が発表されたからだ。それも、首都を包囲するかのようなそれは俺の考えが軍の動向と全く同じであることを示唆していた。


 俺は複数の放送局の内容を照らし合わせたがどこも同じ内容を伝えていることを確認するとにやけそうになる頬を両手で軽く叩いて引き締める。俺がこれからやろうとしていることは今まで以上に危険を伴うからだ。しくじるわけにはいかない。


 そう考えていると俺の隣で同じラジオを聞いていたヘレナが話しかけてきた。


「予定通りに上手くいってるみたいだね。それじゃ、私はそろそろトランクの中に身を潜めた方が良いのかな」


 声色は少しだけ緊張しているように感じる。自分がようやく役に立つ場面が来たからなのか今の状況に不安を覚えているのかそれとも両方か。


「あぁ、そろそろここを出発する。苦労を掛けるが我慢してくれ」


「できるだけ早くトランクから出られることを期待してるよ。頑張ってね」


「分かった。それじゃあ、頼む」


 俺がそう言うとヘレナはトランクの中に身を隠したのだった。


 トランクには車輪がついているから持ち運びは楽だがそれでも人一人が入っているとなると話は違ってくる。片手で持ち上げるには辛いし人とぶつかれば碌なことにならない。俺はなるべく不自然がられないように注意して宿から出発しアルベルトとの合流地点を目指した。服装は向かっている間に公衆トイレで着替えた。


 俺が合流地点に着くとアルベルトがいた。俺は待っている時間を減らしたかったためギリギリの到着になるように出発したのだが彼はどうやら几帳面な性格らしい。


「おはようございます、マダラスさん。しっかり来てくれて何よりです」


「アルベルトさん、おはようございます。準備はできていますか?」


「大丈夫です、道具類はすでに用意してあります」


「そうですか。では、早速向かいましょうか」


「えぇ、よろしくお願いします」


「こちらこそ」


 俺はそう短く言葉を交わすと彼についていった。緊張しているのか分からないが彼の歩く速さは以前よりも微妙に速く重い荷物を持っているため少しだけうんざりさせられる。俺はそれを飲み込んでこれからのことを話しながら説明した。説明を終えると彼はただ一言分かりましたと言った。


 ヘレナが入っているトランクを隠すための清掃道具一式はアルベルトがすでに用意してくれていたのですんなりと隠すことができた。もちろんアルベルトはヘレナがトランクに入っていることなど知らないがトランクについて何か尋ねるようなことはしなかった。多少視線が移っていたが興味を向けるべきではないと考えたのかもしれない。


 そうこうしているうちに大使館に着いた。入り口には警備員とその詰め所が併設されている。ここで入館に際しての検査をしているのだ。しかし、調査でその警備体制は決して褒められたものではないことが分かっている。かと言って簡単に突破できるものでもない。特にアルベルトの説得に当たっては彼に不利益が被らない形にすると取り決めている以上彼を切り捨てるような発言はできない。前もって決めておいた言葉を反芻しながらアルベルトを先頭にして俺たちはゆっくりと詰め所に近寄っていった。そして、アルベルトが詰め所に顔を出した。


「おはようございます。セレーヌ社のアルベルトです。清掃業務に参りました」


「おぉ、アルベルトさん。ご苦労様です。今日もよろしくお願いします。ところで、そちらの方は?」


 警備員が俺に視線を向けた。そこで俺はすかさずこう返した。


「今日から新しく配属されたマダラス・カーターと申します。よろしくお願いします。転属については本社から書類が届いているはずなのですが」


「そうなのですか? その書類はまだ届いておりませんが」


「おかしいですね。昨日のうちに届くとのことでしたから、もしかしたら届けられない何かが起きたのかもしれません」


「ふむ、確かにそうかもしれませんが……アルベルトさんは会社から何と聞かされましたか?」


「彼から直接、新しく配属された人員であると聞いています。異動の書類も見せてもらいましたから心配ありません。書類が届いていないと言うのは初めてなので私も困惑しているのですが昨日から交通規制が張り巡らされたおかげで届いてないのかもしれませんね」


「そう言えば先日から急に交通規制が張られていましたね。私もここへ来るのに時間を食わされましたし。ですが、アルベルトさんがそう言うのならしっかりと配属されているということなのでしょう。後で確認することになりますがどうぞお通りください」


「ありがとうございます」


 俺はそう言うと軽く会釈をして入り口の門をくぐった。


 その時、アルベルトが俺にしか聞こえない小さな声でこう言った。


「上手くいきましたね」


「えぇ、ここまで協力してくれて感謝します。報酬金ですがあなたが準備した清掃道具のバケツの中に放り込んであります。見つからないようこっそりと回収してくださいね」


「分かりました」


 俺はそう言うと清掃道具の中からトランクを回収し、彼と別れた。そして、全権大使がいる部屋に向けて歩き出した。


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