第一章 首都ベルカ4
宿に帰り着いたのは時計が九時を回った頃合いだった。話し合いやら移動やらで思いのほか時間が掛かってしまったのだ。一日中動き回ったおかげで疲労感が体を包んでいる。今日は思い切った行動や気を張り詰める状況が多かったためそれが露骨に表れたのだろう。できることならば遅い夕食を済ませて情報を整理した後はさっさと寝たいものだ。そう思いながら俺は宿に戻ると部屋の扉を開けた。
「はぁ、やっと帰ってきた。というか帰ってくるの遅いよ!」
部屋に入るなり彼女の声が響き渡った。何やらまた彼女の機嫌が良くない様子だ。
「帰りが遅くなると置手紙をしたはずだが見てなかったのか?」
「それはちゃんと見たけど、いつ頃に帰るのかは書いてなかったでしょ。自分の身に何か起きた時の対処を言った後に帰ってくるのが遅くなったら誰だって心配するのが当たり前じゃん。待ってる間にハロルドからもらったパズルをやっててもちっとも気分が晴れなかったんだからね」
確かにまとまった金額を持って帰りが遅くなるとしか伝えなかったら何か危険な橋を渡っているのではないかと考えてもおかしくない。余計な心配をさせまいと配慮したつもりだったがどうやら裏目に出てしまったようだ。
「すまない、余計な心配をさせてしまったようだ。でも、今日動けたおかげで作戦に大きな進展があったのは間違いない。それにヘレナも俺の作戦を知っておけばある程度は心配が和らぐかもしれないから夕食がてらに話しておこう。夕食はもう食べたのか?」
「食べたけど、ハロルドはまだなの?」
「あぁ、時間が無くてな。それがどうかしたのか?」
「いや、なんでもない」
ほんの少しだけ俯く彼女をしり目に俺は買ってきた惣菜とパンを机に並べる。そして、彼女に向かいに座るよう促した。
「それで、ハロルドが考えてる作戦ってどんなものなの。私を巻き込みたくないってのは何となく伝わるけど、それくらい危険な綱渡りをしてるって捉えていいんだよね」
「俺が考えていた作戦は大使館に勤務している清掃員に近づきその人物に成りすまして大使館に入るというものだった。もちろん人と接触するわけだからある程度の危険は付きまとう。ヘレナに仕事を与えられない一つの原因だな。そして、今日の出来事はそれを大きく前倒しできる可能性を秘めていたから急遽動いたという訳だ」
「確かにそれは一人で動いた方が都合が良いね。それで、上手くいきそうなわけ?」
「あぁ、運良く清掃員の一人と接触、買収ができた。金が必要だったのはそのためだな。後は大使館侵入に向けてその協力者と作戦を煮詰めると同時にもう一つやらなくちゃならないことがある」
「えぇ……あの、普通は買収しようという考え自体が出て来ないと思うんだけど。なりふり構ってられない状況なのは分かってるけどハロルドの考え方ってかなり手段を選ばないよね。軍人を長くやってたら自然とそういう考え方に行きつくものなの?」
純粋な質問だ。彼女が研究施設で過ごした日々は歪んだものであったかもしれないが彼女の考え方までが歪んでいるわけではないようだ。きっと彼女と友好的な関係を築いた者がそう教えたのだろう。
「これでもまだマシな方だ。軍人をやっていたら上から正気を疑うような作戦が来る場面に出くわすことなんてざらだからな。あの時の命令もまさに正気を疑う命令だっただろう。利用できるものは利用しておかないと我が身に降りかかる。冷酷に感じるかもしれないが分かってほしい」
「世知辛いね。本当に」
「あぁ、その通りだ。さて、話を戻すぞ。もう一つのやらなくてはならないことだが、以前全権大使に俺たちの存在を知ってもらう必要があることを話したと思う。それを実行に移すことだ」
「確かまともに話を取り合ってもらえないことを回避するためだったよね。具体的にはどうするの?」
「新聞社に俺たちの存在を流す。そして、新聞に俺たちの実像を書いてもらってそれを全権大使に読んでもらうように仕向ける」
「それってさ、かなり危ない橋を渡ってない? 普通に考えたら自分の首を絞めているようにしか見えないけど、そうならない秘策があるってことでいいの?」
「ヘレナの言う通り危ない橋を渡ることに変わりはない。だが、見返りもそれ相応にある。特にトリトン軍をこちらが動かせるというのが大きい」
「どういうこと?」
「もし俺たちが自らの情報を大々的に公開することで何が起きるかというのを考えてほしい。新聞の朝刊で先日報道した脱獄犯が実は敵国の兵器情報を持っている人物でしかも首都に潜伏しているという報道があればトリトン軍は情報の出所を抑えるために新聞社を訪れる。そして、俺たちが情報をばらしたということに気が付くだろう。そうなれば動機など考えなくとも首都は確実に交通規制が掛かり封鎖される。トリトン軍は俺たちの存在をルダティアに知られるわけにはいかないから情報にも規制が入るのは間違いない。しかし、そのような出来事が一気に起これば誰だって不思議に思う。それは大使館の人間だって同じだ。軍が突然首都に入るや否や交通規制と情報統制をし出したら外部の人間が黙っているはずがない。そんな中で俺たちが大使館内に侵入し全権大使と会ったらどうなるか。宣伝としてはこれ以上のものはないだろう」
「確かにその状況で全権大使に会えれば否が応でも話を持ちかけられるね。そこで私が兵器としての力を見せつけて保護してもらえば安全に窮地を切り抜けられるってわけか」
「そうだ。トリトン軍が総力を挙げて探している人間が目の前に現れ亡命を条件に取引をしようというのだ。食いつかない方がおかしい。そこまでいけば俺たちの勝ちだ」
「公開する情報はどの程度にするつもりなの? ルダティアにバレない範囲で絞るってことでいいの?」
「トリトンだけが反応するように情報は流すつもりだ。新聞社は今のトリトンの体制に批判的なところを選ぶつもりだが、それがどうかしたのか?」
「いや、少し気になっただけ。とにかくハロルドの作戦はよく分かった。私が協力する余地がないのも頷ける。それにしても、よくそんな大胆な作戦を思いつくよね。正直、結構な額のお金が手に入った時に作戦を変更するものとばかり思ってたから」
「それも考えたがあの金額では国境を越えられないと思った。仮に国境を越えられても俺たちはアルダードからすればただの不法入国者。俺が軍人で戦争をしてるからある程度トリトンのことにも詳しいがアルダードとなれば話は違う。勝手が何もかもが違う国で右往左往するのは間違いない。そんな中で捕まってしまえば強制送還なども十分に起こり得る。そうならないためには権力のお膝元にすり寄る以外に道がないんだ」
「私たちの置かれてる状況って本当に不安定なんだね。ハロルドが賭けになるって言ったのはそういう理由を鑑みてってこと?」
「そういうことだ。どう転ぶか分からない時点でそれは賭けだ。俺たちの行く末を賭けているからこそ俺はできる限りのことをしている。これで俺の考えは話した。何か感想はあるか」
「えっ、感想? うーん、そうだなぁ。よく考えられてるっていうか活路を見出そうとしてるのをすごく感じる。流石徽章持ちってところかな。それに、ここまでしてくれる人に出会ったことって今までで一度もなかったから、その、ありがとう、かな。あの戦場で出会ったのがハロルドで良かったって思った」
思いがけない素直な感想だった。
「それは……ありがたい……。いや、礼を言うには早すぎるだろう。せめて作戦が完遂したときに言うべきだ」
複雑な思いが心の奥底で渦巻き言葉を詰まらせる。出会って間もないと言うのになぜこれほどまでに心がざわめくのか。
いや、そんなことはもうわかっている。心当たりは嫌というほど感じているのだ。彼女の名前が妹と同じ以外に共通点があるというのはもはや疑いようがない。
俺はお茶を濁すような言い方をすると机の上に広げた惣菜を手に取ろうとしながらちらりと彼女の方に視線を向けた。
容姿は全く似ていない。当たり前だ。妹が亡くなった時の年齢は十一歳だから似ている方がおかしいのだ。しかし、彼女が持つ雰囲気や心配り、物の捉え方などはどういう訳か似ている気がするのだ。まるで妹が死なずに今まで生きて成長していたならばきっと取るであろう行動、そんな気がしてならない。
「せっかく褒めてるのにそうやって無骨に返すんだから。ハロルドって本当に人付き合い上手かったのか疑問なんだけど。それとも親しい人間にはそうやってぶっきらぼうになっちゃうとか?」
彼女はそう言って俺に返事をする。
今の彼女の発言は決して意図したものでないだろう。しかし、俺の彼女に対する奇妙な執着はきっとそこに関係しているものなのかもしれないと思った。俺は彼女を親しい人間であると認識している。
そこまで考えた時点で俺は小さく頭を振った。彼女と話しているのに一人で思考に没頭するというのはよろしくない。
「親しい間柄の人間はかなり少なかったし、その誰もが俺よりずっと年上で役職も高かった。ヘレナのような人間と接する機会がなかったから、多分慣れてないんだろう。とにかく、俺の行動について何か異論はないんだな」
「異論なんてないよ。私に常識がないことくらいは理解してるつもりだし、ハロルドみたいな視点に立つこともできない。黙っているだけで役に立つならそうした方がハロルドだって好都合でしょ」
「確かにそういう考え方に行きついてくれるのはこちらとしてもありがたい。それじゃ、大使館での活躍は任せたぞ」
「もちろん。しっかりと私の兵器としての有能さを見せつけるよ」
彼女はそう言って胸を張った。彼女の機嫌も悪くないようだし作戦にも協力的なのはありがたい。
それから俺は食事をしながら彼女との会話を楽しんだ。俺が買ってきたパズルはどうだったとか新聞で何か面白い記事はあったとかそんな話をした。暇を持て余している彼女からすればあのパズルはある程度の退屈しのぎにはなるようだ。どこからどこまで解いたかを披露してくれたりもした。
そして、夜も更けてきた頃合いで彼女は先に眠った。それを確認して俺はランプに火をつけると情報を整理するためにメモ用紙を取り出し一日を振り返る。大事な情報やこれからのことを確認し終えると俺は物思いに耽る。
そして、俺は後ろのベッドで眠る彼女を一瞥すると自嘲気味に思った。
ここまで自覚できているのなら俺は良い加減認めるべきなのだ。俺が彼女に妹の生き様を重ねているという事実を。俺が亡き妹にかなりの執着を見せているのは流石に自覚しているつもりだ。そうでなければ俺は叩き上げから徽章を取るようなことをしなかったはずだし、こうして敵国に捕虜にされても命を賭して必死に活路を見出そうとなどしない。まさに俺の行動基準は亡き妹にあるのだ。
彼女は妹が成長したであろう姿を醸し出している。それはあくまでも俺の想像に過ぎない。しかし、俺はその姿に囚われているのだ。もはや無視できる領域ではない。全くの赤の他人を前に俺の執着がどれだけ異常であるかがありありと突きつけられている。
生き延びるために、妹との約束を果たすために、俺は彼女を徹底的に利用することを決めた。しかし、彼女を前にするとその決心がぐらりと揺れる。彼女の笑顔を見せられる度にその揺れはさらに大きなうねりを見せるのだ。
俺は頭を抱えた。これほどまでに俺の中でこの問題が肥大化するなど露ほどにも思わなかったのだ。俺は何を中心に見据えるべきかひたすらに迷い続ける。
そんな時だった。ふと先日の明晰夢を思い出した。
あの時に見た妹は後悔をしてはいけないが恐れてもならないと言っていた。普段ならば絶対にしないがあの夢を見たことに意味を見出すなら、前者は今の状況、とりわけ追われる立場になったことに後悔してはいけないとかで後者は……イマイチ意味を見出せない。正直意味など何もないと言われた方がマシな気もする。しかし、そういう風には思いたくない自分もいる。夢の中とは言え愛すべき妹と会えた。それを否定したくないのだ。
後者は全く分からないが、前者はきっと俺が決めた選択を後悔してはならないということなのだろう。俺が決めたこと、それは彼女と共に生きてトリトンから脱出すること。そして、最終的に俺が関わった戦争そのものをどうにかして止めることだ。
ならば、彼女を踏み台にするという考え方は本当にどうしようもなくなったとき以外は使うべきではない。彼女の能力は戦争を止めるという俺の最終目的にまで取っておけるよう道筋を立てなくてはならないだろう。
これからは彼女をいかにして活かすかの戦いになる。であれば、今までの他人行儀じみた呼称も変えるべきだ。彼女を、ヘレナをもう一度見つめ直すべき時に今俺は立っている。
俺はもう一度後ろを振り返りヘレナの様子を見た。ヘレナの寝顔はとても安らかだった。




