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第一章 首都ベルカ3

 俺は手始めに清掃会社の平均賃金を調べることにした。三か月分の給料がどの程度のものか把握しておく必要があったからだ。スーツを着ているため会社の入り口までには入ることができる。そして、入り口には大抵その会社の求人広告があるものだ。俺は怪しまれない程度に入り口付近を調べ上げ求人、採用の記事を見つけた。


 ルダティアとトリトンの通貨は価値に違いがある上に戦争のせいで現在では取引は停止して正確な価値は分からない。しかし、別の国を仲介すればその限りではない。アルダードのレートは新聞にも掲載されているため最新の情報は俺も把握している。ルダティアとアルダードのレートは分からないが覚えている範囲で照らし合わせて計算すればこの会社の給料三か月分は俺が軍人として貰っていた給料の二か月分に相当することが分かった。俺がトリトンのマフィアから貰った金額は俺の給料四か月分相当。つまり、マフィアから貰った金額の半分を提示すればアルベルトという男の要求金額に到達する。


 多少使い込んでいたためほんの少し気にはなったが確認してみれば杞憂であり要求金額には十分足りている。金銭面の問題はこれでなくなった。


 次は彼の情報が本当に正しいか確認することだ。彼は切羽詰まった状態のようであり一見すると言っていることが本当のように見受けられるが、もしそうでなかった場合こちらの姿は詐欺師以外の何物でもなくなるし警官に通報される原因にもなり得る。しっかりとこの目で確認し正しい情報であると判断できなければ彼を使うことはできない。


 俺は彼がカフェから去る際に後ろを振り返りしっかりと顔を確認しておいた。後は仕事から帰る彼を尾行し家を見つけそこで事実かどうか確認するだけの話だ。


 俺は必要な金額を用意するため一度宿へ戻った。彼女は散歩に行っているようで部屋には居なかったが遅くなることは確実だったので置手紙をしておいた。そして、彼が勤務を終えるまで会社付近で待機し、日が落ちる頃合いに彼が現れたのを確認すると気が付かれないように尾行を始めた。背後から彼の様子を窺うが彼の背中には明らかに疲労の色とは別の何かが映っているように感じる。そして、どこかへ寄り道することもなく駅へ着くと手慣れた様子で電車へと乗り込んだ。それを見て俺も同じ列車に乗り込み見逃さないように距離を保って張り付く。彼は無言で窓の外を眺めながら時折ため息をついていた。


 二つ先の駅で彼は降りるとやや足早に進んでいく。後ろを警戒しているような素振りは一切ないため尾行そのものは容易だ。しばらくして彼は住宅街へと足を踏み入れた。住宅街と言っても決して裕福とは言えない区画だが生活感や活気などは十分に感じられる。彼は住宅街をさらに進んでいき一軒の古びた木造建築の家の玄関に入り鍵で扉を開けた。


 すると扉の向こうから十代前半と思しき男の子が二人飛び出してきて彼を迎え入れた。


「兄ちゃんおかえり!」


「お仕事お疲れさま~!」


「あぁ、二人ともただいま。今日は二人で父さんと母さんの見舞いに行ってきたんだったな。容体はどうだった?」


 アルベルトが弟たちにそう尋ねると弟たちは各々答え始める。


「二人とも笑ってたよ。でも少し痛そうな感じもした」


「いろんなところに包帯巻いてたから辛そうだった。でも、前に比べればかなりマシになってたと思う」


「そうか。それは良かった。お前たちはまだ飯食ってないんだろう。今からすぐに飯を作るからちょっと待っててな」


「俺も手伝う~!」


「俺も~! 早く飯食いたい!」


 そう言って弟たちは先に家の中に入っていった男を追うようにして扉を閉め家の中に入っていった。


 俺は物陰からこっそり今の会話を聞いていのたが今の会話から彼の話は事実であると分かった。先ほどの会話の内容とも合致するため信じても良いだろう。傍から見ればそこまで疑う余地などどこにもないと言われるだろうが、どうしてもあのマフィアに一杯食わされた件が頭から拭えない。現時点ではあの時の影響は出ていないができるなら石橋は叩いて渡りたいものだ。


 そして、こちらに来るまでに考えておいた方法を頭の中に思い浮かべながらゆっくりと扉に近づくと俺は呼び鈴を鳴らした。呼び鈴を鳴らしてすぐに反応があった。


「あの、どちら様ですか?」


 扉を少し開けて顔だけ覗かせてきたのはアルベルトという男ではなく二人の弟の片割れだった。


「私はマダラスという者です。お兄さんのアルベルトさんに話があります。呼んでいただけますか?」


「あ、はい、わかりました。少し待っててください」


 弟の片割れは顔を引っ込めるとこちらにも響く声で「兄ちゃんお客さんだよー!」と声を張り上げた。


 しばらくすると奥の方からどたどたと言う駆け足の音が近づいてくる。夕食を作ると言っていたため立て込んでいたのは想像に難くない。そして、扉が大きく開かれアルベルトが顔を出した。


「お待たせしました。私がアルベルトですがどのようなご用件でしょうか」


「こんばんは。私はトリトン軍西方部第三大隊所属マダラス・カーターです。こちらが身分証です。単刀直入に申しますとあなたに協力してもらいたいことがあって来ました」


 俺は偽名を使って自己紹介をすると逃亡の時に奪っておいた身分証を提示した。


「トリトン軍の……マダラスさんですか。何かあったのですか? それに協力とは一体?」


 彼は提示された身分証をまじまじと見つめながら疑問を投げかける。いきなり軍の人間がやってきて協力を要請とは一体何なのかと考えるのが当たり前だろう。


「あなたが勤務している場所、そこである疑惑が発生しているのですがこれを解決するためにあなたの協力が欲しいのです。簡潔に言えば、そこへ入るための手引きをしてほしいのです」


「えっ……? えぇっ! いやいや、さ、流石に困ります! いきなりそんなことを言われても会社の方からどんなことを言われるか分かったものではありませんし、何より国際問題なってしまいますよ!」


 彼は俺が言った内容を理解すると一瞬で青ざめた表情を浮かべ、顔の前で手を横に振りながらそう言った。彼の立場を考えれば関わりたくない案件そのものである。そういう反応は当然だろう。だからこそ、核心に一気に踏みこめるというものだ。俺は煽るような口調でこう言った。


「確か、アルベルトさんのご両親は病気で現在治療中だそうですね。治療費もかなりの金額でこのままだと貯金が底をついてしまいご両親の命も危うい状態だとか。二人の弟さんを抱え路頭に迷うようなことになってしまえば最悪と言ってもいい。さぞかしお辛い状況でしょう」


 俺がそう言うと彼の表情が一気に険しくなり疑念と不快感を混ぜたような雰囲気を纏いだした。


「……何が言いたいんですか」


 声には微かに怒気が混じっている。家庭の事情をさも詳しいと言わんばかりの俺の口調にいら立ちを見せているようだ。


「軍が本気を出せばあなたの事情など簡単に割り出せるのです。しかし、あなたには幸運が舞い降りた。それはあなたが勤務している場所が、軍が調べようとしている場所と運良く合致したからです。無論タダで協力しろなどとは言いません。もし協力してくださればご両親の治療費を軍が肩代わりしてあげましょう」


 俺はそう言うと用意しておいた金を彼の目の前に提示した。金額は彼の要求金額の半分だ。前金の金額を要求金額の半分にしたのは彼を焦らすためと交渉成立後の夜逃げなどを未然に防ぐためだ。


 すると彼の目線は俺が持つ金に一、二秒ほど向いた。しかし、すぐさま目線を俺に向け直すとこう言い放った。


「……最近の軍のやり方は手段を選ばないと言うのは本当だったんですね。もし、協力しないと言ったらどうするつもりですか」


 ほんの一瞬といえる視線の動きだが彼は迷っているのが何となくわかった。しかし、俺が軍の人間であることに疑いは持っていない様子だ。軍人が軍人の真似をしているとはいえ何もかもがちぐはぐ。どこまで通用するか恐ろしくあったが彼の素振りから押し通す決心がついた。こうなれば落ち着いて嘘を言える。


「その時はそれで構いません。無理強いをして情報が洩れたら碌なことになりませんから。しかし、そういう時のために候補はすでに何人かいます。そうなった場合は次の人間に交渉するだけです」


 もちろん候補の人間など彼以外いるはずもないが、自分が得られるはずの利益が他人に渡ってしまうのは彼としても嬉しくないはずだ。焦らせるならばとことん焦らすべきだろう。


「……」


 彼は黙りこくった。表情は依然として固いままだが明らかに迷っていると見受けられる。長い沈黙がしばらく続くかと思い始めた頃合いで彼は口を開いた。


「……ここで話すのもなんです。一度じっくり話せる場所へ行きませんか?」


「えぇ、構いませんよ。私としてもそのほうが嬉しいです。ここだと誰が聞き耳を立てているか分かりませんから」


「では、弟たちに伝言をしてきますので少し待っていてくれますか」


「えぇ、どうぞ」


 俺がそう返すと彼は一度家の中へ戻りほんのしばらくしてまた戻ってきた。


「近くに公園がありますからそこで話しましょう」


 彼はそう言うと案内してくれた。俺は彼についていき近くの公園に到着する。周りは街灯以外ほとんど明かりがなく人の気配も全くしない。話をするにうってつけの場所だ。


「あなた方軍のやり口は気に食わないですが、正直に言えばありがたい申し出です。この話を受ければ本当に治療費を肩代わりしてくれるんですか?」


 薄暗い公園に着くや否や彼はそう言ってきた。俺のことを完璧に信じ切っていると言って問題ないだろう。


「えぇ、協力してくだされば前金として先ほどの金額を即座に渡します。そして、あなたが手引きを成功させれば残りの金額をお渡ししましょう」


「あの金額を提示したということは、私に選択肢は最初からなかったんですね。分かりました、協力します。どうせ、私の口から直接こう言わない限り詳しい話をするつもりはないんでしょう?」


 随分と物分かりの良い男だ。この調子ならば作戦は上手くいくかもしれない。そう期待を持ちながら俺は最後の問いかけをする。


「えぇ、その通りです。しかし、話せる範囲にも限度はあります。漏らしてはならない機密情報ばかりなのでそこはご理解下さい。それと、もしあなたが情報を漏らすようなことがあれば、あなたは捕まりあなたの家族に対する保証もなくなります。肝に銘じておいてください」


「漏らさないと誓います。家族を助けてくれるのならば容易いです」


「良い返事をありがとうアルベルトさん。さて、詳しい話に入りましょうか」


***


「要するにマダラスさんが直接乗り込むから清掃員の服装を用意してほしいのに加えてシフトや大使館内の見取り図も知っておきたいと言うことなんですね。けれど、本当に単騎で乗り込んで大丈夫なんですか? 作戦に失敗して私にも火の粉が降りかかるとかになったら困りますよ」


「そこは問題ありません。あなたが協力的である限り、私以外の人間も裏で協力してくれます。あなたはただ言われたことをするだけで十分役割を果たすので安心してください。余計な危害も加わらないよう手配してあります」


 嘘というのはその場凌ぎの物が多い。俺の同僚にも嘘吐き野郎がいたが、自分がついた嘘をきちんと把握できておらず墓穴を掘って仕事で失敗した奴がいる。俺も似たようなことをやっている以上その同僚の二の舞になるわけにはいかない。多少の事実はあれど基本的に嘘を嘘で塗り固めているため話の整合性を確認しながらメモを取りつつ会話をするというのはなかなかに神経を使う。少なくとも街灯の下で話をしておいて正解だった。


「分かりました。予備の清掃員の服装とシフト表を明日持ってきますね。都合の良い時間帯はありますか?」


「なら、明日もこの時間帯のこの場所でよろしく頼みます」


「分かりました。……あの、ありがとうございます、助けてくださって。これが上手くいけば元通りの家族になれるんですよね?」


「肩代わりをするのは確かですがそれ以降に関してはアルベルトさん次第です。さぁ、今日話すことは終わりました。早く家に帰って弟たちに夕食を作ってあげると良いでしょう」


「はい、また明日お会いしましょう」


 彼はそう言うと公園の出口に向かって歩き始めた。しかし、俺はそれを引き留める。


「どうかしましたか?」


 不思議な表情を浮かべる彼に対して俺は先ほど提示した金額の札束を手渡した。


「これを忘れて帰られては困りますよ。前金として確かに渡しました」


 彼は街灯の光に照らされる札束を見るとほんの一瞬だけ躊躇う素振りを見せた。しかし、それを振り払うかのように数秒だけ目を閉じるとそれを両手で受け取る。


「……ありがとうございます。これで多少は楽になります。では、また明日この時間にお会いしましょう」


 そう言って彼は夜の闇に消えていった。そして、彼が確実にいなくなったのを見計らって俺は小さくため息をついた。


 慣れないことをして精神的な疲労が来ているのもそうだが、彼の境遇を見せつけられるとやはり来るものがある。両親がいて、弟たちがいて、守るべきものがある彼を俺はどうしても自分の小さなころと重ねてしまうのだ。若干の心苦しさを負いながらも彼を利用しなくてはどうすることもできない今の立場が少しだけ憎たらしく感じる。だからこそ、せめて利用した分は恩として返してあげようと思うのだった。


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