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第一章 首都ベルカ2

 翌日から俺はアルダード大使館侵入に向けて単独行動を始めた。


 大使館に侵入するといっても生半可な方法では無理だろうと考えている。昨日現地を視察に行ったら警備員が在中して中に入る人間の確認を行っていたからだ。分かり切っていたことだが警備員を突破できなければ大使館に侵入することなどできない。しかし、決して方法がない訳ではない。大使館に出入りしている人間は何も大使館職員だけではないからだ。警備員もそうだがそれ以外の職種も混在している。その中で俺が目を付けたのが清掃員だ。清掃員であれば大使館内にある程度詳しい上に清掃用具を持ちこむため彼女が隠れているトランクを隠しやすいという利点もある。そのため、現在の俺の主目的はいかにして清掃員の会社と社員に接近し服装を調達するかとなる。そして、清掃員になりすまし大使館に侵入するというのが最終的な目標だ。早速俺は大使館周りの人間の動きを知るところから始めた。


 この作戦内容の詳細を彼女に教えても良かったのだがそうなると私も何か手伝わせてほしいと言ってくると思ったので結局話さなかった。それに、これからの行動は一人の方が圧倒的にやりやすい。もし大使館周りや清掃会社周りをうろつく人間が一人から二人になり、更に男女の組み合わせであれば新聞の内容がちらついてもおかしくない上にどうしても目立つ。


 侵入に関してはまず大使館で働く清掃員たちを調査し、侵入に最も適している人物を探し当て作戦決行当日にその人物になり替わらなければならない。そのためには清掃会社の業務内容やシフトなどの割り当ても知っておく必要がある。時間が掛かる地味な作業だがこれをしなければ大使館内にいる全権大使と会うことができない。何としてでも情報をかき集めてやると言う意思を持って俺は宿から一歩踏み出した。


 最初にしたことは服装を整えることだった。アルダード大使館がある地域はビジネス街でもある。そんな場所でスーツを着ていなければ不審がられても仕方がない。それに特定の人物になり替わる以上人と接触することにもなる。まともな服装をしていなければ警戒されて相手にされないのがオチだ。近くの紳士服を取り扱う店をはしごして何とか手ごろな値段のスーツを手に入れてからようやく俺は調査を始めるのだった。


 最低限のものしか入っていないカバンを片手に大使館の周りを怪しまれない程度に徘徊して建物の特徴と人の出入りなどを事細かに書き記していく。そして、警官の姿が確認出来たらさりげなくその場から立ち去り機会をうかがって舞い戻る。その繰り返しだ。やっていることは軍での偵察業務とあまり変わらないのが何とも言い難い。これではまるでトリトンに来てスパイ行為を働いているのと同じだ。もっともルダティアにおける俺の扱いは戦死だろうが死してなお軍のために尽くす姿は称賛を得ても良いものではないだろうかなどという馬鹿げた考えが頭をかすめる。


 しかし、一日もあればある程度の情報は集まってくるものだ。大使館に勤めている清掃員の会社を突き止めることができたし警備員の体制なども知ることができた。大使館の建物の構造も外見だけとはいえ把握できたため初日としては悪くないだろう。すでに日は落ちているためこれ以上の調査をしても成果を得られるとは限らない。翌日は清掃会社の周辺に行きそこで情報を集めようと考えながら俺は彼女が待つ宿に戻った。


 宿の部屋に戻ると彼女が椅子に腰かけて昨日買っていた新聞を読んでいる。しかし、その目は文字を追っているという感じではなく飽き飽きとしていて仕方なく見ていると言った感じだった。そして、俺に気が付くと顔をこちらに向けてこう言い放つ。


「退屈すぎて死にそう……。やることが無いにしても何か暇つぶしになるようなものが欲しいよ……」


 今までにないほどの覇気がない声で俺に対して文句を言った。


「あ、あぁ、そこまで退屈するとは考えてなかった。明日何か買ってこよう」


 あまりにも予想外の展開すぎてすんなりと要求を飲んでしまった。どうやら何もない一日を過ごすと言うのは彼女にとって相当苦痛だったようだ。そんな風に思っていると彼女が近寄ってきて俺にトランプを差し出してきた。


「散歩しに行ったときに買ってきたからこれで遊ぼう。こんなに暇を持て余せているんだから付き合ってくれてもいいでしょ。それと、新聞だけだとすぐ読み終わっちゃうから何か買うならもっとマシなものを買ってきてほしいな」


「なんだ、暇つぶしできるものを持ってるじゃないか」


 そう言って俺は彼女が持っているトランプを指さした。すると彼女の表情はさらに曇り出す。


「はぁ、ハロルド、一人でやるトランプがどれだけ退屈か知ってる? 運任せの遊びなんて何回かやったらすぐに飽きるし面白くもなんともない。ハロルドも数か月一人黙々とトランプをしてたら否が応でも分かると思うよ。とにかく、こういうのは複数人でやって初めて面白いものなの。とにかく夕食の後に付き合ってもらうからね」


 どうやら俺は彼女の暗い過去の一部を垣間見てしまったようだ。気の毒に思ってしまった俺は夕食後に彼女が満足するまでトランプをする羽目になる。結局、今日手に入れた情報を整理したのは彼女が寝静まった夜中にやることになった。


 しんと静まり返った深夜の作業中に俺はふと考えが浮かぶ。果たして俺は彼女と良い関係性を築けているのだろうか。現状を鑑みれば上手くいっているという自覚はある。また、今は亡き相方が言っていた「親しくなった女には誰しも面倒臭い部分がある」という内容をここで思い出すならば、多少面倒臭くなった彼女は俺に対して良い印象を持っていると捉えて良いのだろうか。いや、分からない。少なくとも正しい判断を下すには親しい人物や友人をもっと作っていろんな状況に身を置けるようにしておくべきだった。どうやら青春の使い方を間違えたのは確実だったようだと俺は自嘲した。


 翌日。俺は行動開始前に各社の朝刊と暇つぶしになる品物を購入するために近くの雑貨屋を訪れた。しかし、暇を持て余した彼女にどのようなものを贈るべきか悩む。彼女は運任せの遊びは嫌いだと言っていたがトランプも大概運任せではないかと思いつつ、俺は運が極力絡まないようなものを買ってみることにした。数独というパズルなのだがこれなら運も絡むことが無いしルールも簡単だ。彼女が勉強をしていたとは言ってもどのくらいまで履修しているのかなど把握していないためそういったことを抜きにした結果これになったのだが喜んでくれる、もとい暇を潰してくれると嬉しい。


 物を彼女に送り付けた後に俺は昨日と同じように行動を開始した。昨日決めておいたように今日は清掃会社の周辺を調査する。午前十時くらいに清掃会社の周辺にたどり着いた俺は昨日と同じようにして周辺を探り始めた。


 調査を進めるにつれて清掃会社の雰囲気も少しずつだが分かってきた。流石に一国の大使館の清掃を任されるだけあって清掃会社そのものは結構大きな会社だ。恐らく本社なのだろうが自前の建物を持っている。しばらく観察していると業務を開始するために動いている職員が出てきた。見ていると大きな清掃用具をいくつも抱えているのが窺える。彼女を隠すトランクを積み込むならあれらに紛れ込ませるのが一番だろうなと思いながら調査を続けていった。


 お昼時になり業務を終えた社員たちが戻り始めている。それを近くにあるカフェの席から遠巻きに眺めながら俺は何とかして本社に侵入できないか考えていた。すると本社の入り口から二人の社員が姿を見せた。流れとは逆行する形の二人にふと気を取られ目線を向けると二人はこちらに向かってくる。一人は清掃業務を終えたばかりなのか作業服を着ているのに対しもう一人はスーツを着込んでいる。上司と部下の関係なのかと思っていると二人はそのままカフェに入店し唯一空いていた俺の後ろの席に座った。


 内部の人間の話が聞ける機会であるため一応聞き耳を立ててはいるが二人の関係を重く見積もっても同僚とは到底見受けられない。建物の中で話せない内容にしては二人の役職が離れているため、俺は有益な情報が得られる可能性は低いと思いながらも意識を背後に傾ける。


「さて、アルベルト君の要件は給料の前借をしたいということだったな。とりあえずは詳しい話を聞こうじゃないか」


 給料の前借か。この時点で雲行きが怪しい。本当に有益な情報が得られるのだろうか。しかし、念のため最後まで話を聞くに越したことはない。


「はい。実は私は現在実家暮らしなのですが、両親が病気になってしまい働けない状態にあります。加えて治療費と弟たちの生活費が家計に重くのしかかり貯金も底をつきかけ厳しい状態なのです。ですので、給料を前借して少しでも治療費と生活費に充てたいのです」


「なるほど。それは確かに大ごとだ。わかった。そういう事情ならば前借を許可しようではないか。あとで申請書類を配布するからそれに必要事項を――」


「あの、できれば三か月分の給料を前借したいのですが……」


「何? 三か月だと?」


「無理を承知でお願いします! 今どうしてもお金が必要なんです! 治療費が想像以上に高くてこのままだと両親を助けられなくなってしまうかもしれないんです!」


「……アルベルト君の言いたいことはよく分かる。そして、君が勤勉であることは私も知るところだ。そうでなければアルダード大使館の勤務を請け負うなどできないからな。しかし、うちの規則では給料の前借は働いた分しかあげることができない。これは私のみならず他の人間でも同じことを言うだろう」


「ですが、このままでは両親が!」


「他に当たれるところはあるのかね?」


「当たれるところは全て当たりました。しかし、金額が金額なのでまとまった額を貸してくれる人間があまりいなくて……」


「そうか……。だが、三か月は私でも無理だ。他の者に示しがつかなくなってしまう。けれど、今月分は前借できる。とりあえずそれを先に申請してもう少し考えてみてはどうかね」


「そこを何とかできませんか?」


「アルベルト君の事情も心情も理解できる。だが、流石に三か月分を簡単にあげられるほどうちに余裕があるわけではない。残念だが規則を守らなければうちが築き上げた信頼を損なう原因にもなってしまう。せめてもの情けとして私の知人友人にもあたってみるが貸してもらえるかは分からない。けれど貸してくれる人がいればすぐに連絡しよう」


「それはありがたいのですが、借りられる保証はないのですよね」


「あぁ、そうなるな」


「お願いです、そこを何とかできませんか。どんなにきつい仕事でも請け負って見せますので私にお金を貸してください」


「残念だがそれはできない。最近は戦争の影響でうちの財政も厳しいし金を余らせている奴はほとんどいない。辛いことを言うようだが今は誰しもが苦しい時代なのだ。分かってほしい」


「ですが――」


「この話は終わりだ。これ以上続けるなら私は席を外そう」


「……分かりました。相談に乗っていただきありがとうございました」


「すまないが分かってくれ。こう言っては何だが今日の昼食は私が払おう。好きなものを頼みなさい」


「良いのですか?」


「あぁ、アルベルト君の気持ちは私も痛いほどわかる。それに、大分無理をしているだろう。やつれているのが誰の目から見ても分かるほどだ。だから、昼食をしっかり食べて元気を出してほしい」


「ありがとうございます」


 お金に関する生々しい話し合いだった。先日まで俺もお金をいかに工面するか悩んでいたので彼の感情は理解できる。どうやらアルベルトという作業員の男性は両親が病気になり、その治療費を捻出するために色々と動いているとのことだった。そして、あらゆる手を尽くした結果たどり着いたのが今回の三か月分の給料の前借ということになる。


 普通に聞いていれば「何とも不憫な話だな」で終わるものだ。しかし、この話を聞いて俺は顔をほころばせることになる。目標としている会社の社員、しかも勤務先がアルダード大使館である男が金に困っているならやることは一つだ。


 買収。この一手に尽きる。これさえできれば計画成功のための大きな足掛かりとなるだけでなく計画の痕跡すら残さない可能性さえある。


 本来であれば清掃員の事情などはもっと時間をかけて調べ目標とした清掃員になり替わり侵入するという予定だった。それに伴っていろいろ問題も増え難しくなると踏んでいたのだが、上手くいけばそれを無視できるかもしれないこの話は僥倖だ。この話が本当であれば彼を買収し大使館侵入の計画を一気に前倒しできる。まずはあのアルベルトという男の話がどの程度真実なものであるか把握する必要があるのは間違いない。またとない好機を失わないように俺は早速行動を始めるのだった。


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