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第一章 首都ベルカ1

 時刻は午後五時。駅員から教えてもらった通りにバスを乗り継ぎ、無事にアルダード大使館の場所を把握できた俺たちは少し離れた場所で宿を取った。本当は大使館に近い宿を利用したかったのだが、立地が良い場所にあるためどの宿も宿泊料金が高かったのだ。今後の展開を見据えるのであれば無理をして高い料金を払う必要性は薄い。滞在もどれくらいになるかわからないし多少距離があるとはいえ妥協点としては申し分ないはずだ。


「それじゃ、夕食を食べる前にこれからのことについて詳細なことを伝えておこうと思う」


 部屋について荷物を下ろした俺は彼女にそう告げた。正直いつ話しても良いのだが早いに越したことはないだろうと思ってのことだ。


「これからのこと? アルダード大使館にどうやって侵入するかってこと?」


 彼女は二つあるベッドの片方に腰を下ろしながら俺にそう尋ねた。


「そうだ。大使館の侵入は色々な意味で障害が多い。それをいかに突破するのかというのが今回の重要な点だ。それについては後で話すとして、今回の作戦は大きく分けて二つに分類される。まずは大使館に侵入する方法を用意すること。もう一つは大使の説得だ」


「前にも似たようなことを言ってたよね。どうやって侵入するのかにかなり焦点を当ててた記憶があるけど」


「あぁ、大使館への侵入が今回の最も大きな壁だ。本音を言えば、大使館に侵入さえできれば余程馬鹿なことをしない限り上手くいくだろうと予想している。大使の説得に関してはヘレナがその力を見せれば問題ないだろう。だが、言ってしまえばヘレナの出番はそれだけだ。大使館への侵入に関しては俺たち自身に課したその嘘が足を引っ張ることになるから俺が良いと言うまで動かないでくれ」


「う……分かってはいたけど、何もできないんだね。それで、ハロルドはどう動いて私に指示を出すつもりなの?」


「やること自体は考えてある。簡単に言えば侵入のための服装の準備と、俺たちの情報を意図的にばら撒くために動くと言ったところか。詳しい話は上手くいったときに話そう。ヘレナへの指示なのだが、基本的にすることは何もない。だが、作戦決行日には前もって購入しておいたあの大きなトランクの中に入ってもらうことになる」


 俺はそういうと前の駅に着く前に購入していた大きなトランクを指さした。


「私って荷物扱いなの?」


 彼女は皮肉を含んだ口調でそう言うが俺は即座に否定した。


「そういう意味じゃない。単純に二人並んで大使館に入る方法がない以上こうするしかないんだ。お尋ね者である以上正規の方法で大使館には入れないだろう」


「そりゃそうだろうけど、なんか複雑な気分。それで、出てきて良いと言うまでそのトランクの中で待機してなきゃいけないわけ?」


「そうだ。苦労を掛けることにはなるが我慢してくれないか」


「……分かった。でも、ハロルドばかりに押し付けるのも多少気が引けると言うか良い気持ちはしないかな」


「ヘレナが一人で動ける状況を俺が潰してしまったからな。俺のそばでないと口を開けないという設定やヘレナ自身に危険が及ぶ可能性を考慮するとなおさらだ。だが、決して役に立たないわけではない。大使の説得においてはこれ以上にない強力な切り札だ。加えて、本当に最悪な結果になってしまった際の最終手段としても機能する。そこまで気に病む必要はない」


「ありがと。でも、それ以外で何もできないのは素直に悔しいかな。兵器としての能力しか持たないっていうのをこれほど悔やむことになるなんてね」


「そんなことはない。ヘレナは今の俺にとっての……」


 そう言い切る前に俺の頭の中にいくつかの考えが浮かんだ。


 彼女は自分がどれだけ非力な存在なのかと嘆いたが、今までの出来事を振り返ればそう思っても仕方がないと俺は思う。そして、これから先もおそらくだが彼女が直接何かを成す機会というのは訪れない予感もするのだ。もし、アルダードとの交渉が上手くいきトリトンを離れたとしても彼女はやはりアルダード軍の管理下に置かれるだろう。彼女という存在は今までの争いの歴史そのものを変化させてしまうほどの潜在能力を秘めている。そんなものに果たして人並の生活環境を与えられるだろうか。いや、与えられるはずもないのだ。彼女は戦争を次の段階へと押し上げる立役者として秘密裏に担ぎ上げられていくだろう。


 俺がそういう道を作り上げたという自覚はある。だからと言ってあの戦場で野垂れ死ぬわけにはいかなかった。俺が妹の遺言を成すには生き延びる以外の道がなかった。彼女を踏み台にする覚悟もした。しかし、心がざわめく。今ならばその考えを覆せるのではないかという考えが頭をよぎる。何故そんな風に思うのか考えていけばいくほど次第に思考がごちゃごちゃしてくる感じがして何を考えていたのか忘れそうだ。


「急に黙ってどうしたの?」


 彼女は心配そうに俺を覗き込む。それに気が付いた俺はすぐさま言葉を紡いだ。


「俺の相棒。一心同体みたいなものだ。だから、そんな悲観的なことは言わないでできることを少しずつでいいからやっていこう。今は無理でもそのうち何かできる機会が出てくるかもしれないからな」


 なぜそのような言葉が出てきたのかよく分からない。しかし、俺の心の奥底は少しだけ安堵が広がっていた。


「相棒ね。ふふっ、小説の一幕みたいでなんか良いじゃん。案外悪くはないかも。それにしても、これが上手くいけばもう追われる身ではなくなるわけだよね。そういった意味では気持ちは多少楽になるかな。もちろん色物枠としての入国になるのは理解してるし前の待遇に比べてマシであってほしいとは思うけどね。ハロルドも重要人物扱いされるわけだからもしかしたらルダティアより好待遇になるかもよ」


「好待遇か。もう戻れないルダティアに未練はないし、いっそのことアルダードで新たな人生を歩むのも悪くはないな」


 そう発言した俺に彼女は変わった生き物を見るかのような視線を投げつけてきた。


「前からずっと思ってたけど、ハロルドってかなり地に足が付いた考え方をするよね。ハロルドくらいの年齢ならルダティアに帰りを待ってる人とかいてもおかしくないし、もっと葛藤すると思ってたんだけど」


 彼女の深い意図はないだろう発言を聞いて俺は少しだけ心がざわめく。確かに普通であれば故郷に戻りたいと思う者がほとんどだろう。しかし、俺には家族もいなければ親しい友人もいない。戦争が全て俺から奪っていった。おまけに彼女と関わったことで命すら奪われかねないと言うのにどうしてルダティアに戻りたいと思えるだろうか。けれど、それをヘレナにぶつけたところでどうにもならない。彼女の考えは至って普通の考え。気負わずに接するのが吉だ。


「そういった人はいない。それに徽章をとってもあまり給料は増えなかったからな。強いて言えば、なけなしの財産を置いてきてしまったというのが心残りだ」


「その年で徽章を取るほど優秀なのに給料が増えないんじゃ仕方ないよね。帰っても殺されるくらいならそりゃ他国に逃げたくもなるよ。ってそういうことじゃなくて家族とかはいないのかって聞いてるの。私には家族がいないからアルダードに逃げようなんてあっさり考えられるけどハロルドにはいるはずでしょ? 心配してると思うんだけど」


「……俺にも家族はいない。皆、戦争で犠牲になったからな」


「あっ……、そう、なんだ……」


 彼女の口調は明らかに弱くなった。俺の地雷を踏みぬいたという自覚があるのだろう。


「気にしなくていい。そう思うのが普通だ。ヘレナと同じで俺もルダティアに戻る理由がない。故郷ではあるし恩義がない訳でもないがあんな事態になったら国を出ざるを得ないからな」


「確か前に愛国心がない訳ではないって言ってたもんね」


「あぁ、家族を殺したトリトン軍の部隊を壊滅させてくれたことには感謝している。しかし、そのせいで俺の復讐心は行き場を失うことにもなった。俺は家族を殺したトリトン軍の部隊員を憎んでいたのであってトリトンという国そのものに強烈な憎しみを抱いていたわけではないからな。色々あってその復讐心は戦争という行為そのものに向けられ軍人としての活動をより一層激化させる要因になった。だから俺は戦争そのものが憎いと言ったんだ」


「この前話してた徽章を取った理由ってのもそれになるわけなんだね」


「そうだな。大筋としてはそうなる。だが、すまないな。俺の身の上話などあまり聞きたくない話だったかもしれん」


 本当は話すつもりなどなかったことを話す結果となってしまった。しかし、彼女も俺と同じで孤独だった身。彼女に感情を吐き出してもそれは結局互いに互いの傷を見せ合うだけだ。そんなつまらないことで彼女との関係性を壊すわけにはいかない。


「ううん、確かに話しにくい内容だったかもしれないけど私だって似たような境遇だからハロルドの気持ちはよく分かる。今は大変な時かもしれないけどこの作戦が上手くいったらきっと良い方向に向かうと思うから頑張っていこう。まぁ、現状私はあんまり役に立たないとは思うけどさ」


 彼女なりに俺を励ましているのだろう。少なくとも俺はそう感じ取った。


 俺と彼女には奇妙な共通点が見られる。これが何を意味するのかは分からないが彼女の言う通り良い方向へ向かってくれることを願いたい。


「あぁ、無論そのつもりだ。アルダードに何としても亡命しよう。それと話の腰が折れてしまったな。話を聞いて今回の作戦について何か質問とかはあるか?」


「うーん、ハロルドが外で動いてる間私はここで待機することになるんだよね。どれくらい自由に動いていいのかが気になるかな。新聞の内容だと捜査が難航していて私たちがここまで来ていることを知っているようには思えないし、追手に関してはあまり気にする必要が薄くなってるよね」


「そうだな、ずっと部屋の中にいると不審がられる原因になるかもしれないのは確かだ。危険がないのを確認できたならば短い間付近を散歩するくらいは大丈夫だろう。それと話せないという設定は俺がいない間でも実践してくれ。思わぬところから足が付いたら困るからな」


「分かった。それともう一つ。ハロルドか私の身に何かあった場合はどうすれば良い?」


「俺の身に何かあって帰ってこないと分かった場合はヘレナ一人で大使館に潜り込むことになるだろうな。その場合は話せないと言う設定は無視して良い。ある程度のお金は渡しておくからそれで何とかしてくれ。ヘレナの身に何かあった場合は最悪叫んで危機を脱してくれ。その後は宿に戻るのではなくアルダード大使館の近くにあった工具店で落ち合おう」


「分かった。今後何か気になることがあったら聞くね」


「あぁ、頼む」


 何とかいつも通りの雰囲気を保ちつつ話し合いは終わった。お互いの事情がお互いに少しずつ理解される時間だったことは言うまでもない。そして、俺はその雰囲気にどこか懐かしさを覚えていた。それはまるで両親が亡くなった後に妹と二人で支え合って生きていくと決めたあの時のようだった。


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