第一章 廃病院2
再開発地区の手前までやってきた俺たちはランタンの明かりを消し月明かりだけで先を進むことにした。できるだけ小声で話し彼女には帽子を被らせ毛布を羽織らせた。女だとばれたら余計なことに巻き込まれるかもしれない。浮浪者すべてが犯罪者という訳ではないが余計な危険は未然に摘んでおく方が良い。
人に見つからないよう慎重に内部に入ると微かにだが木材が焼ける匂いがした。気温が下がる夜に木材でも燃やして暖を取っているのだろうか。俺たちは現在風下にいるのでこの先を進めば暖を取っている連中と鉢合わせする危険性がある。となると進むべき道はそれを避けなくてはならないため随分と入り組みそうだ。
物陰に隠れたりしながら歩き続けると時々状態が良さそうな建物が目に入る。彼女もそれを見つけると指差すのだが近づいて中の様子を確認すると誰かがいる痕跡が散見された。俺たちと同じような考えを持つ者が集まっているのだからまともな場所は既に先取りされているのだろう。俺はその度に彼女に対して首を横に振ると静かに再開発地区の奥へと進んでいった。
一時間ほど探し回ってようやくまともなコンクリート製の建物を見つけた。誰かが入り浸っているような痕跡もなく崩れ落ちるという心配もない。普通に考えればこの建物をねぐらとしない方がおかしいだろう。だが、誰もそうすることなく打ち捨てられている。ここにいる連中が馬鹿なのかと一瞬思ったがそうなる理由はすぐに分かった。何故ならその建物は病院なのだ。怪談話にはほぼ鉄板と言っていい病院の怪奇の類は異国のこの地でもしっかりと根付いているようで、落書き程度は見当たるが他と隔絶するほどの異様な空気はこれでもかと人の侵入を阻む。
事実、彼女の顔色も良くない。俺の袖をニ、三度引っ張るとここにするのは嫌だと全力で拒ばむ表情を向けてくる。俺もそういった類の話は聞いたことがあるので彼女の言わんとすることも分かるのだがそういったことを抜きにすれば好条件に変わりはない。俺は心を鬼にするとここに決めたと言って足を踏み入れた。彼女は今にも泣きそうな顔をして俺の袖を必死に引っ張ったが俺がずんずん進んでいくと観念したのか後をぴったりと張り付くようにしてついてきた。
病院は三階建てであり一階の入り口に受付と待合室がある。待合室には椅子が並んでいたのだろうとは思うがそのほとんどは見るも無残な残骸と化しており、ここが待合室と知らなければ誰もが残骸を椅子だと認識できなかっただろう。待合室から奥の方へ大きな通路があり通路の両脇に沿って扉がある。調べてみるとその先は診察室だった。あまり大きな部屋ではないがその形跡はしっかりと残っている。また、月明かりが差しているため窓から光がこぼれており少しばかり明るい。
ランタンの光を頼りに二階への階段を上がると通路に沿って多くの部屋がある。確認してみるとどうやら病室でありベッドの残骸があった。しかし、奥へと進んでいくと中はそれほど荒れていないことが分かる。積もった埃に足跡などは無く人が利用した形跡はない。また、様々な器具や道具が散乱しているが邪魔になるほどではないし多少腐っているとはいえ木目の足場は崩れそうな様子もない。異様な空気も見掛け倒しだったのか中に入ってしまえば気にならなくなった。しかし、それはあくまで俺だけであり彼女は依然として縮こまったままだ。またいくつかの病室から使えるベッドも多数見つかった。固い床で寝ることを覚悟していたのでこれは大きな収穫だ。
一応三階の探索もしてみたが二階と大差なくこれと言ったものも見つからない。浮浪者がどこかに隠れているわけでもないし幽霊の類がいるという感じでもない。ただ廃墟となった病院の末路と言った感じだ。彼女も最初はビクビクしていたが大して何も起きないと気が付くと態度が元に戻りつつある。
あらかた探索し終えたところで俺たちは一番まともだった三階の病室へと移った。このベッドがある病室は月明かりが差し込んでおりランタンを使わずともほんのりと明るく、そして静かな雰囲気が立ち込めていた。
俺達はリュックから買い込んでおいた食べ物を取り出して遅めの夕食を取ることにした。
「見た目はなかなかの迫力だったが、いざ入ってみると思っていたことは何も起きなかったな。何もなさ過ぎて一つくらいは何か起きても良かったのではと思うほどだ」
俺はパンをかじりながらそう言った。
「確かに最初は怖かったけど月明かりに照らされて明るかったしハロルドと一緒にいたから次第に怖さが薄れたかな。でも、何か起きてほしいと願うほどまでにはいかないけど」
「曰く付きの病院とまでいかないんだろう。行軍中に過去激戦地となった場所で休憩をとったことがあるがそっちの方が何倍も怖かった。冗談抜きで怪奇現象が起きたからな。少なくともこの病院にはそんな気配はしない」
「ハロルドは霊感ある方なの?」
彼女はウインナーを頬張りつつそう聞いてきた。
「いや、無い。ただ、霊感はなくても雰囲気というか妙な勘は働く。ここに居続けるのはまずいって感じだ。さっき言った過去の激戦地での演習でも良い意味悪い意味を含めて何度か当たった経験があるからな。そうは言ってもいつ来るか分からないものを頼っていても仕方がないからあくまで個人的な指標に過ぎない。おまじないみたいなもんだ。ヘレナはどうだ? 霊感がある方なのか?」
「無いんじゃないかな。あるならこんな漠然に怖がったりしないはずだし」
「まぁ、確かにそうだが、さっきの怖がり具合からして変わりようが激しいな」
「歩き回ってる間になんで怖くなってるんだろうって考えてたらそんな感じになったよ。そう思ったら少し馬鹿らしくなってね」
「せっかく娯楽小説の舞台に入り込めたようなものだというのに随分と冷めた意見だ」
「私が読んだホラー物は心霊現象もあればさっき言った殺人鬼が追い回すようなものだったりいろいろだったけどそれを望んでここに来たわけじゃないからね。本当に何か起きれば怖いと思うけど、そうでもないと思ったらそうとしか捉えられなくなったし。心霊物を信じているわけじゃないけど小説なんかで飽き足らない人はこういった場所に引き寄せられるんじゃないかな」
「そうか。まぁ、最初のように怯えすぎてにっちもさっちもいかなくなることが無くて良かった。正直、恐怖に怯える人間を宥めるのって結構骨が折れる。これから足並みを揃える必要があるってのに出鼻を挫かれるのは困るから安心したよ」
「なんか含みのある言い方だね。別に気にはしないけど。それにしても、どうしてこんな場所が手つかずのまま放置されてたんだろうね。いくら不気味だからって昼間に使ってる人間くらいはいるんじゃないかな」
「さぁ、理由は分からん。よほどこういったものに近づきたくないか、あるいは近づけない別の理由があるのか、いろいろと考えられる。いずれにせよ人の出入りがないことは確認できているし深く気にするような内容ではないと思う。それに、ここまで揃っていれば十分ねぐらとして利用できるから僥倖だったと思えばいいんじゃないか。あぁ、それとねぐらで思い出したが一応聞いておきたいことがある。今日ここで寝るわけだが、同室のベッドで寝るか別々の部屋のベッドで寝るか確かめておきたい。そうでないとヘレナも困るだろう」
「随分と意味深な質問。まともな問いかけだとは思うけど、同室で寝る利点は何?」
「何か非常時があった時に俺が対処しやすくなる。もちろん寝込みを襲うなどという卑劣な真似はしないと誓うが、抵抗があるなら無理せず言ってほしい」
「部屋の鍵も何もないんだからあまり意味なさそうなんだけど。まぁ、そう言ってくれるのは素直にありがたいかな。なら、同室でいいや。用心棒は近くに控えさせておきたいし」
「わかった。なら飯を食い終わったら準備を整えよう」
夕食を食べ終わると俺たちは寝る場所を整え始めた。一番まともな病室に使えそうなベッドを持ってきたり埃を払ってシーツを入れ変えたりと作業を黙々とこなした。そんなことしているうちに夜は更けていき作業が終わったころに持ってきた懐中時計を確認すると午後十時になっていた。
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