第一章 脱走5
「分かった。じゃあその時に聞かせてもらうね。また話は変わるけどさ、前から思ってたんだけどアルダードは私たちを受け入れてくれるのかな」
気まずいと思ったのか彼女は話題を変えてきた。
「そうだな、現在の情勢を鑑みれば受け入れる可能性は十分にある。だが、正直なところ上手くいくか分からない。手段を選ばなければ大使館に入る方法は考えられるにしても、相手が俺たちを信用してくれる保証がどこにもないからな。収容施設にいた頃からずっと考えているが、どれもこれもイマイチだ」
「実際にやって見せればいいんじゃないの。ハロルドと私が一緒になって武器を壊す瞬間を見せつければ、嫌でも信じてくれると思うけどな」
「もちろんそこまでいけばとんとん拍子だろう。だが、どうやってそこまで持っていくかが問題だ。一般人が大使館に入るには前もって審査が必要になる。それも身元をしっかりと確認したうえで一定期間待たなくてはならない。今の俺たちにそんなことをする暇はない」
「そりゃそうだけど」
「それに、もし武器を持って押しかけてもそれは単なるテロとして認知され、話を聞いてもらえなくなる。仮にそれが上手くいったとしてもアルダードとの関係は最悪になる。一定の信用を保ちつつ真剣に話を聞いてもらえるよう整えなくてはならない。戦場で言った博打になるという主な原因はこれだ」
「だからあんな言い方をしたってわけね。やっと納得した。それで、何か良い案は思い浮かんだの?」
「あるにはあるが、さっきも言った通り確実性に欠ける。大使館に着くまで多少時間はあるとはいえ解決しなければならない問題だ」
「脱走した手前、お金は無いし、頼れる人もいない。唯一持っているとするならば悪名とかになるかな」
「全くその通りだ。そういった状況に置かれて初めて、その大変さを知るとはよくいったものだが、やはり進んでなるものじゃないな。俺達が取れる手段は限られている。使えそうなものを手あたり次第使うしかない」
すると彼女は突然眉間にしわを寄せて思案顔になった。何を考えているのかと思っていると顔を上げ俺を見つめながらこう切り出してきた。
「ねぇ、私たちの持ってる悪名ってそんなに役立たずかな?」
「ん、どういうことだ?」
「この問題って、相手が私たちのことを何も知らないことが問題なんだよね。それを何とかしたいっていうのが話の中心でしょ。それなら私たちの悪名を相手に知ってもらえればいいんじゃないかな」
「悪名を知ってもらう? そんなことしたら俺たちは余計に大使館に入り込めなくなるだろ。俺たちの行動範囲そのものを狭めてしまうことになるぞ」
俺は多少語気を強めながらそう言った。あまりにも荒唐無稽ではないだろうか。
「いや、別に名前や顔を明かすわけではないよ。ただ、私たちを知ってもらうきっかけになるかなって思っただけ。『へぇ、そんな奴らがいるのか』くらいの認識を持ってもらえればいいかなって」
「確かに俺たちを認識してもらう必要はあるだろうが、そんなことをしても……。いや、待てよ。俺達をどこまで知ってくれるかでだいぶ変わってくるな。トリトンの軍がどれだけ情報を公開しているかに左右されるが、俺達のことが本当に機密情報であるならば情報統制を敷いている可能性が高い。そこで俺たちの存在が知れ渡れば、間違いなく注目は浴びる……とするならば」
彼女の指摘した点はもしかしたら使えるかもしれない。会話そっちのけで一人深く考えそうになっているところに彼女が疑問を投げかける。
「うん? つまりどういうこと?」
俺が思考を巡らせてしまったせいか彼女を置いてけぼりにしてしまった。何考えているんだこいつみたいな視線が俺の顔に注がれつつも俺はこう言った。
「上手くいくかもしれないな。俺達のような機密情報の塊が首都内部に潜んでいると情報を流すことができれば、少なくとも大使館の目には留まる。大使の耳にそれが入っていることを前提として動けば、この問題自体解決の糸口が見つかるかもしれん。よくやったヘレナ!」
「ん? うん……? なんかよく分かんないけど、うまくいきそうってことだよね」
彼女としてはここまで反応を示してくれるとは思っていなかったようで、少し戸惑っている。しかし、この問題を解決できるかもしれないのは大きい。
手がかりを提示してくれた彼女に対して、お礼をしようと俺はかつてを懐かしむように右腕を動かそうとしたその刹那、俺はあることに気が付いた。
名前こそ一緒だけれど、それ以外は全くの赤の他人の頭を撫でようとしていたことに。そして、その瞬間に過去の記憶の一部が甦る。妹を褒めるときに良く頭を撫でていたことを思い出したのだ。
体が石のように固まった。
右手を彼女の目の前に差し出す形で動けなくなる俺を見て、彼女は心配そうな声を掛けてきた。
「いきなりどうしたの? ここ数時間動きっぱなしだったから疲れたとか?」
彼女の声を聞いたことで過去の回想から抜け出せたが、心臓の鼓動は尋常ならざる早さになっていた。いつのまにか吹き出していた汗がだらだらと顔から流れ落ちている。そして、少なくともこんな姿を彼女の前に見せるべきではないという謎の思考に至ると、振り絞るかのようにこう言った。
「……すまない、少しだけ、トイレに行かせてくれ」
「……あ、うん、いってらっしゃい」
俺は個室のトイレに駆け込むと、爆速になりつつある心臓の鼓動を感じながら、今起きたことを振り返っていた。
妹と同じ名前がここまで大きく響くのか……。妹の亡霊、いや、この場合は俺の中にある妹への想いが強すぎるのだろう。俺にとって妹は両親が無くなってから残された唯一の肉親。両親の代わりを果たすために行動してきた俺が妹を愛していないはずがない。だからこそ、この問題は線引きが難しい。今後どう彼女と向き合っていくべきなのか俺はまだ答えを出せそうになかった。
時間を掛けて心を落ち着けた。しばらくゆっくりしてから俺は再び席に戻った。
「大丈夫?」
彼女は俺を心配してくれているようだ。あんなところを見せてしまえば誰だってそう思う。
「あぁ、トイレに行って正解だった。すっきりしたからもう大丈夫だ」
いつか伝えるべきだろう。だが、奇妙な不安がある。きっと俺はそれを嫌悪しているのだ。だからこうやって茶化すしか今はできることが無い。
「ふふっ、なんだ、いきなり動かなくなるからまさかとは思ったけど流石に間に合ったみたいだね。でも良かった。とりあえずしっかりしてよね」
「分かったよ」
***
「駅に着いたらその後どうするの? 時間もだいぶ遅いし、あんまり動けないと思うんだけど」
しばらく列車に揺られていると彼女がそんなことを言いだした。あと一時間もすれば到着予定だ。気にもなって当然と言えよう。それに伝えておくべきこともある。
「駅に着く時間は日が落ちてもう真っ暗だからな。動けないのは仕方がない。それで、だ。実はあまり金がなくてな。食べ物に困るというほどではないが次の駅に行くための資金が少し足りない。宿に泊まれば出費がかさむし人目にさらすことにもなるから、今日のところはそういった施設は利用できない。こんな季節に済まないとは思う。でも、理解してくれないか?」
「つまり、この寒空の下で野宿する可能性もあるってこと? お金が無いんだろうなと薄々感じてはいたけど、やっぱりそうなんだね。それで、お金を稼ぐ当てはあるの?」
「一応当てはある。だがそれ相応にリスクもある。綱渡りに変わりはない」
お金を使わないで次の駅に行く方法がない訳ではない。イーデンバルツに向かう人の車に乗せてもらうとかでも行くことはできる。しかし、ようやく車が庶民の手に回るようになってきたとはいえかなりの高級品。そもそも車を持つ人の絶対数が少ないし、顔を見られる関係上好ましくない。
日雇いの労働をしてお金を稼ぐという方法もあるが、アーメルドーズからすぐの場所にある都市で長居するのは危険が伴う。また、俺が働きに出ている間彼女をどこに留まらせるかという問題も出てくる。一番まともな方法ではあるが解決すべき問題は多い。
手段を選ばないのであれば、スリや窃盗などの犯罪行為に手を染めることだ。しかし、俺自身そういった行為を働いたことが無いため、失敗したときの不利益が尋常ではない。加えて、たとえ上手くいったとしても余計な前科が付き、思いもよらぬところで響く危険性もある。
今回の逃亡ですでにそれまがいのことをしているとはいえ、あくまで戦争状態の敵国の軍人に対して行ったものだ。それに関しては戦争行為の延長線上にあると無理やり解釈できなくもないが、戦争に関係ない民間人に犯罪行為をしてしまってはその解釈も通用しない。
「とりあえず、今は節約していかなくてはならない。俺だってこんなことしたくはないが我慢しよう。きっと明日に繋がるさ」
「野宿するのは分かったからできればマシな場所で寝たいよね。良い場所はあるかな」
「駅員に聞いてみるしかないだろうな。毛布とか買い込んで眠れるようにしておこう」
「分かった」
彼女は随分と物分かりが良くこちらの意見に賛同してくれる。彼女の年齢が見た目通りであれば、もっと関係がぎくしゃくするのではないかと危惧していた。だが、今のところその心配は見受けられない。彼女の話を聞く限り特殊な境遇のため、気にならないのだろう。この状況では有り難いことだ。
だが、俺はそういう考えを持ちながらもどういう訳か奇妙な感覚に囚われる。仮に今言った要素が働いているとしても本当に従順を示すのだろうか。今起きている出来事は非日常もいいところである。軍人としてある程度修羅場を潜り抜けてきた俺でさえ、冷静さを保つので精一杯だ。それなのに、世間を何も知らない少女が簡単にそれをやってのけるのはおかしくないか。
いや、その通りだ。少女が戦場で出会ったばかりの男と、敵国で逃走劇を繰り広げるという状況を俺は甘く見すぎていた。彼女が目に見えぬ不安に目をくらませ発狂しようものならこの計画は破綻するだろう。そうあってはならない。やるべきことが多くなるが目的を成すうえで不安を煽ったりするようなことは極力避けるべきだ。
そう思った俺は早速行動に移すことにした。
「ヘレナ、辛いことがあったらできる限り相談に乗るからな。安心して良いぞ!」
「あ、うん。……いきなりどうしたの」
彼女は訝しげな表情向けながらそう言った。若干引かれているような雰囲気が俺と彼女の間に漂うのを感じ取ると、考えすぎるのも考え物だと少し後悔した。
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