第一章 脱走4
俺たちが乗っている車両には人がほとんど乗っていない。無論、そうなっている車両を選んだからだ。人に聞かれたくない話を多くの乗客の中でするのは、どうしても無理がある。ならば、そういった場所から離れるのは仕方がなかった。結果として、俺たちが来たこの車両は他の車両と比べて格段にうるさかった。
「そこそうるさいね。慣れればそうでもないかもだけど」
二人掛けの座席の窓側に座る彼女は、周りの環境にすんなりと適応した様子だった。小言の一つでも言ってくるかと思ったが、そこまで気にはしていないようだ。
「次の駅までは約四時間か。結構時間が掛かるんだな。それにしても、ヘレナはさっきから窓の外ばかり見てるな。何か面白いものでも見つけたのか」
列車が出発してからしばらく経ったが、彼女はまだあの好奇心に満ちた瞳を全開にしている。そして、今なお窓ガラスに顔を張り付けるかの如く、ずっと窓の外に視線を向け続けていた。そして時折、感嘆符が実際に知覚できてしまうほどにはしゃぐ。確かにまだ大人ではないにしろ、はしゃぎ方がどういう訳か大げさすぎる。まるで十歳前後の男の子のようだ。
「だって私列車に乗るの初めてなんだもん。ハロルドだってそういうときはあったんじゃないの?」
「確かにあったが、そこまでだった記憶は無いな。それに富国強兵に伴ってルダティア国内で鉄道が一般に普及してもう七年経つ。列車に乗ったことが無い方が相当珍しいだろう」
「だって私、鉄道ができる前から研究施設にいたからね。本とか資料で知ってはいても実際に見るとやっぱりすごいなって思うよ」
気になる言葉が出てきたな。研究施設?
「鉄道が敷設される前から研究施設にいた? 随分と長い間軍の研究に協力していたんだな」
俺がそう尋ねると彼女の表情がほんの少しだけ曇った。
「確かに軍には長くいるけど、自分から望んで協力していたわけじゃないよ。当時の私は軍に頼る以外の生き方がなかっただけ。小さな子供ができることなんてたかが知れてるでしょ。それ以降、ずっと研究施設暮らし」
「研究施設は小さな子供を外に出す余裕すら見せなかったのか」
「さぁ、なんで外に出さなかったのかは分からない。でも、決して悪い場所じゃなかった。少なくとも、生活環境は整っていたからね」
言われてみれば、彼女と出会った時にやせ細っていたわけでもないし、文字の読み書きできていた。それを鑑みれば確かにその通りかもしれない。軍の内情もある程度は理解していたようだし、割とまともな環境だったことは間違いないだろう。だが、どこか話の節々に不思議な何かを感じる。
「教育は受けていたんだな」
「兵器として使えると認識されてからは、ね。教科書を用意されてそれを一人で読み解いていくの。分からないところがあれば、参考書を用意してもらえたから何とかなったけど、定期テストで一定の成績を収めないと、食事の量が減らされたからそれは結構辛かったかな。良い成績だったら報酬として、新しい本が手に入ったからそれは良かったよ。でも、良かったのはそれだけ」
俺は戦場で彼女と出会ってからずっと奇妙な感覚を持っていた。それはこうして列車に乗るまでの間にも蓄積されていたのだが、その謎がようやく解けた。なぜ彼女が自身の知識の割に合わない行動、やたらと辺りを見回し知らない場所に強い好奇心を示すのか。
それは彼女が軍に兵器として飼われていたからだ。兵器としての価値を見出されてから人としての扱いを受けられなくなる。それらならば、彼女の行動に説明がついてしまう。戦場で彼女が尋ねてきた兵器として使うのかという問いも、今の哀愁漂う最後の言葉も、きっとそうなのだろう。
「俺からすればあまり良い場所とは思えないな。逃げ出したいとは思わなかったのか」
「その時はそう思わなかった。いや、今思えばそうならないように洗脳されていたのかもしれない。少なくとも、捕虜になって環境が変わっていろいろ考えるうちに、自分がいた環境がおかしいものなんじゃないかって思ったの」
彼女も案外考えているんだな。なるほど、小さなころから一人で勉強を押し付けられていてなおここまで成長しているのだから、彼女は想像以上に優秀なのかもしれない。
「軍にとっては随分と皮肉なことだな。兵器として扱われた者が、戦場で自分の在り方を見直すなんて考えもしなかっただろう。だからこそ、あんな命令を出したのだろうが。まぁ、あれだけのことが起これば誰だってそう思うだろうな」
「あのさ、ハロルドは今の私を兵器として見ているの?」
「藪から棒だな。いきなりどうした」
「いやね、あの時の戦場でした質問の答えをまだ聞いてないなと思って。ハロルドったら、はぐらかすのが上手かったじゃん。だから、そんな逃げ方をしないでしっかりと伝えてほしいなって」
俺を信用したいとそう言っているのだろうか。まさかとは思うが、俺の真意に気が付いたのか? 少なくともはぐらかすべきではないな。遠回しに伝えて問題の把握をしていると見せておくか。
「兵器として見ている点はある。前にも言ったが、ヘレナの兵器としての力を使わなければ今回の作戦は成立しないからな。だが、それを除けばほとんど人として見ている。いくらヘレナが生体兵器と言っても人であることに変わりはない。今日一日を通してそれを十分理解できた。それに嘘を貫き通す以上、俺だって同類として扱われる。同族嫌悪なんてしてどうするつもりだ?」
「また遠回しな言い方。でも、同族というのは言い得て妙かも」
「俺だって寝込みを襲われるのなんて嫌だからな。少しでも布石を打っておかないと」
「やっぱりハロルドって素直じゃないね。まあいいや。話変わるけど、ずっと疑問に思ってたことがあるの。ハロルドはどうしてあの戦場にいたの? 作戦に失敗したとか言ってたからそれの人員だったとか?」
何故そのようなことを聞くのだろうか。彼女もあの戦場で起きていたことに興味を持っている、ということなのか? 俺としても今でも不思議に思うことは多いが、それを今言ったところで質問の答えにならない。
「あぁ、そんなところだな。ヘレナも知っていると思うがあれは撤退戦だった。俺たちは殿として配属されたんだよ。でも作戦は失敗し、敵の侵攻を抑えることはできなかった。俺以外の仲間は皆死に、俺も負傷して身動きが取れない。そんな折で出会ったのがヘレナだったというわけだ。それがどうかしたのか?」
「ハロルドが殿にいたということは第一特別工作部隊、いわゆる第一特工の部隊員に作戦の指令があったから戦場で殿をしたという認識になるのかな? でも、第一特工でもそんな最前線に行くなんて聞いたことないよ。どっちかっていうと裏方役が多い役職でしょ。だから、ずっと疑問に思ってたの」
「あぁ、それか。それは俺がダイア徽章を持っているせいだな。第一特工に配属はされているがダイア徽章を持っていることで上位系統からお呼びがかかることがあるんだ。だから、俺はあの戦場にいたんだよ」
ダイア徽章は軍の中で最も過酷な訓練を課せられ、それを耐え抜いたごく少数の者だけが手にすることができる徽章。直接出世には関与しないが持っているだけで特殊部隊などへの推薦権が得られる。叩き上げでも結果を示せば上へ駆けあがることができるという意味では目標とする者も多い。しかし、ダイア徽章を手にした人間は誰しもがその過酷な訓練について話すことを拒む。過酷すぎて基本的に嫌な思い出しか出てこないからだ。
俺もその一人であり、訓練を振り返れと言われれば、背筋に冷や汗が尋常じゃないくらいに吹き出す自信がある。しかし、それを耐え抜いた者という証は決して軽いものではない。俺の場合は多くの特例が認められることになった。
「えっ!? ダイア徽章持ち!? めっちゃすごい人じゃん。道理でそんなに動けるわけか。でも、どうしてダイア徽章なんか取ったの? ハロルドからはダイア徽章を持つ者としての心構えというか、国への忠誠心を感じられないんだけど。あっ……もしかして自分を痛めつけるのが好きな人、とか?」
彼女がどんな本を読んできたのか分からないが、何となく碌な本は読んでいないのだろうと察しがついた。今後共に過ごしていくうちに矯正しなくてはならないな。そう思いながら俺は首を横に振る。
「俺はそんな趣味は持ってねぇ。……ダイア徽章を取った者が必ずしも国への絶対忠誠を誓っているとは限らない。かなり少数派とはいえ、俺を含めたそいつらに愛国心がない訳ではないが、それとは別の理由があるのがほとんどだ」
「そうだとしても、生半可な覚悟でとれる徽章ではないと思うんだけど。気になるなぁ、その別の理由ってやつ」
「上官に勧められたってのもあるし、俺自身の力量を試してみたかったってのも理由の一つだ。まぁ、目的を成すために必要だったから取ったと言ったところか」
「目的を成すためにダイア徽章を取ったねぇ。何ともありがちな理由。せっかくだから、もっと詳しく教えてくれない?」
随分と饒舌だ。本当は話すことが好きな性格なのだろう。だが、俺がダイア徽章を取った一番の理由を明かして良いものなのだろうか分からない。しかし、関係性を重んじるのであれば話すべきだろう。
彼女の中でルダティアに対する不信感が強くなっている今、ルダティアの思惑と別枠の行動原理で動く俺の姿は敵に見えないはずだ。
「理由は単純。俺は戦争が嫌いだ。戦争で嫌な目にあった人間が、戦争を無くすために自分のできることを探した結果がこれだ」
「戦争が嫌いだからダイア徽章を手に入れたってこと? なんか分かるようで分からない理由だね。ハロルドみたいな感情を持ってる人はたくさんいると思うけど、だからと言って自ら兵士になって軍の最高峰の力量を示すダイア徽章を手に入れるのは、なんというか話が飛躍しすぎって感じがするな」
予想外の言葉が俺の胸中を埋め尽くした。彼女の勘の鋭さに若干ながら怖さを感じてしまう。
どうして戦争が嫌いなだけで、最も過酷な訓練を強いられるダイア徽章を取るのかという疑問はもっともだ。しかし、本当の理由を告げてしまえば、俺の中で押し留めておきたい妹と同じ名前というたったそれだけの理由に、思考を侵食されてしまいそうで恐ろしくあるのだ。俺は彼女を踏み台として利用する覚悟を決めた。それが揺らぐようなことがあってはならない。
しかし、俺の思考は会話を途切れさせるのに十分な時間だった。彼女は俺が深く考え込んでいることに気が付くと目線を逸らしつつこういった。
「ごめん、ちょっと図々しかったかな」
「……あ、いや、気にしなくていい。俺も上手い言葉が浮かばないんだ。そうだな、機会があったらその時にでも話すとしよう」
今話す内容ではないかもしれない。彼女だって聞いたら困惑する。これで良かったのだと思うことにした。
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