落伍者のモノローグ その4
ウェンジ視点。次回からマンハッタンに戻ります。
――――――本当は理解っていた。
オレがなんで落伍者なのか。
あの長老は正しかった。
変えようとしても変えられない、人間の本質を見抜く。
さすが年の功だよ。
リウ一族の人間に不可欠なのは、素早いナイフさばきでも、短銃の早撃ちでも、正確なライフル射撃でもない。
リウ一族として生きるために真に必要なのは―――――――。
閉じられたはずの気密室の扉がまた開いた。
想定外の事態に、オレの背中に冷たい汗がにじんだ。
開いた扉から顔を出したのはエバンス室長だった。
案内役の研究員となにか話している。
酸素濃度調整システムに感染したウイルスはもう活動を始めている。
一体何の話をしてるんだ。早く扉を閉めてくれ。
研究員は、据え付けられた席を立つと気密室を出て行った。
そして代わりに入室してきたのは・・・・。
――――――ルーシー!
エバンスは、ルーシーに手を振って笑顔で扉を閉めた。
まさか自分の孫を、みづからの手で死地に送り込んだとは想像もできないだろう。
ルーシーは軽やかな足取りでデイビスの隣の席に行き、ワンピースの裾を気にしながら愛らしいしぐさで座った。
ルーシーはうれしそうに本とサインペンをデイビスに差し出した。
デイビスは大人に対するのと同じく丁寧に受け取ってサインに応じている。
この計画を立てた時、デイビスの巻き添いになる人間が必ず出ることはわかっていた。
それが、幼い少女になっただけだ・・・。
うろたえるな、ただ少し話したことがあるだけじゃないか。
オレが戸惑っている間にも、時間は過ぎていく。
変化は静かに訪れた。
SPが、ネクタイを緩めた。
デイビスが咳払いする。
ルーシーが胸を押さえた。
今、気密室内ではO₂とCO₂の混合割合が急激に狂っている筈だ。
O₂濃度が基準値以下の状況で、CO₂濃度が5%を超えると頭痛や呼吸困難の自覚症状が現れ、20%を超えれば数秒で死に至る。
CO₂中毒は、宇宙空間における空気調整システムの故障による死亡事故原因としては、最もポピュラーだ。
異常を感じたSPが扉近くのパネルに飛びつく。
必死に操作しているが、すべての入力が無効になっているはずだ。
血相を変えて扉を叩くSPに、外の人間も異常に気付いたようだ。
通路側にいる研究員達の動きが、慌ただしくなっている。
外部パネルからアクセスしようとしているのだろう。
もちろん何をしても無駄だが。
ルーシーが席から滑り落ちて、床に倒れた。
デイビスは、壁に取り付けられた緊急用の酸素ボンベを外し、マスクをルーシーにあてがった。
自分も窒息の恐怖を味わいながらも、今日会ったばかりの子供を助けようとする。
生死に関わる緊急時における咄嗟の行動は、人間の本性が浮き彫りになる。
・・・デイビスは政治家には珍しく、どうやら善良な人間のようだ。
ああ、でも、それも無駄だ。
そこにある酸素ボンベのカートリッジは、オレが昨日全部カラに替えちまった。
・・・ルーシーにもらった菓子を食いながら。
SPは最後の力を振り絞り、カラのボンベをガラス壁に叩きつけた。
3層構造の強化石英ガラスには、当然ひびの一つも入らない。
デイビスは床に座り込んで動かなくなった。
ルーシーの意識はすでにない。
エバンス室長が、泣き叫びながら気密室の扉を叩きつづけている。
いまさら何をひるんでいるんだ?
もうすでに数えきれないくらい殺してきたじゃないか!
――――――くそったれが!
オレは携帯していたアタッシュケースから短銃を取り出した。
弾倉に装填されていた9ミリ弾を捨てて、一族が貫通力を重視して開発した怪しげな鋼製弾芯弾を込める。
姿勢を低くし、大型の散水機に背中を預けた。
低重力下での発砲は発射側への反動が大きく、少しでも重心がずれれば身体が吹っ飛ぶ。
おまけに試作品の弾丸を連発するなんざ、我ながら無茶だ。
だが、いますぐあの気密室に穴を開けるにはこれしかない。
装填した9発すべてが一点に集中して着弾すれば、いくら地球圏一堅いクソガラスでも亀裂の一つも入るはず。
――――くらえ!
反動に備え、諸手で構えて連射した。
手首が砕けるような衝撃が走ったが、構わず引き金を引き続けた。
9発目を放った瞬間、手から短銃が弾け飛んだ。
銃口から不気味な黒い煙をたなびかせ、短銃が宙に舞ったが構っていられない。
いまいましいクソガラスを確認すると、わずかながら亀裂が入っていた。
よし、もう一息。
オレは、壁に取り付けられた作業用A.Iの操作端末に飛びついた。
この栽培ブロックには、低重力作業用のA.Iが10機配備されている。
直径50センチの球体に2対のアームと4つのスラスターがついている。
パステルカラーで色付けされた球体が、低重力下で漂っている姿は愛らしく、女性に人気だ。
機能は大変実用的で、そのスラスターの最大推力が0.5km/secもあるのは割と知られてない。
――――最速で突っ込め!
オレは作業用A.Iが最大出力でクソガラスの破損箇所に順番に突っ込むよう命令した。
10機の丸い機体が次々に、派手にガラスに体当たりする。
さすがに通路側にいる研究者たちも、オレのことに気が付いた。
オレの行動の意味にも気づいただろう。
そのうち、A.I用の荷物搬入口から与圧服を着てやってくるにちがいない。
大勢が押し寄せる前に、ここを離れなければ。
10機のA.Iの体当たりが2巡目を終えたとき、ようやくガラスに穴が開いた。
オレは、作業ブロック内に備え付けられていた酸素ボンベを3つ担いで内部に入った。
全員意識がないが、かろうじてまだ自律呼吸を行っていた。
オレは急いで、3人にマスクをつけ――――自分の行動にため息が出た。
オレにできることはここまでだ。
この場からズラかるべく立ち上がると、分厚い扉についた丸いガラス窓からこちらを見ているエバンス室長と目があった。
涙を浮かべた室長が、安堵の笑みを浮かべてこちらを見ていた。
ベコベコに凹んで丸いフォルムが跡形もなくなった作業用A.Iが、役目を終えて呑気な風情でブロック内を漂っている。
正直途方にくれてはいたが、同時に大声で笑い出したい・・・名状しがたい不思議な気持ちだった。
暴発しかけて銃口からまだ煙が立っている短銃をアタッシュケースに放り込む。
荷物搬入口の廃棄物処理用のハッチから船外服を着て宇宙へ出た。
コロニーの外壁を辿って、本物の張喜が眠っている小型ポッドの中に入る。
――――――さて、これからどうするか。
うわのそらで船外服のヘルメットを取った瞬間、オレはブラックアウトした。
恥ずかしながら、船内に他人の気配をまったく感じ取れなかった。
それ以降の記憶は全くない。
次に意識を取り戻したとき、オレはまぬけにも地球の廃墟で穴埋めにされていたのだった。