第5話:はじまりの春に、三人
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幼稚園の日々は、あっという間に過ぎ去った。
卒園式の日、先生が泣いていた。さくらが泣いていた。りくくんなんて泣きながら「しょうがくせいになっても砂場とっておくから!」と私に言いにきた。笑いを堪えるのが大変だったわ。
私は感傷的になるほど幼くはなかったけれど、一つだけ思ったことがある。
(シンくんとの関係は、まずまず順調ね。色々やりたいことはあるけど、小学校以降にしましょう)
自分の中に滾る歪んだ欲望を抑えて、私は幼稚園を後にした。
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入学式の前日、お母さんと入学式に持っていく荷物の最終確認をした。
ピンク色のランドセルを背負って鏡の前に立つと、お母さんがにこにこしながら写真を撮り始めた。
「似合う似合う! 愛鈴ってほんとかわいいわね〜」
私は鏡の中の自分を見た。ピンクのランドセルを背負った、黒髪の女の子が映っていた。
(……本当に、よかった)
前世では絶対に持てなかったものだ。男の子は黒か紺。それが当たり前だった。女の子たちが赤やピンクのランドセルを背負って歩いているのを、ずっと遠くから見ていた。
今は私がその側にいる。なんでもないことに見えるかもしれない。でも私には、このピンクが女の子になれた証みたいなものだった。
「愛鈴、そんなに嬉しい?」
お母さんの声にはっとした。気づいたら、鏡の前でにやにやしていたらしい。
「……べ、別に」
「いいのよ。大人びてるけど、ランドセルが嬉しいなんて子供らしいところもあるのね。お母さん嬉しいわ〜」
お母さんがくすくす笑いながら言った。
(うぅ、恥ずかしい……)
前世の記憶がある分、こういう時の「子どもらしい素直さ」が抜けてしまっていた。それがこんな形でばれるとは思っていなかった。
私は「もういい!」と言ってランドセルを置いた。お母さんはまだ笑っていた。
入学式の朝、お母さんと一緒に玄関を出たところで、シンくん親子と鉢合わせた。
シンくんのお母さんが「まあ、愛鈴ちゃん。今日も可愛いわね〜」と言って、私のお母さんと嬉しそうに話し始めた。二人のお母さんがいる間、心くんは少し離れたところで黙って立っていた。
「シンくん」
私が声をかけると、シンくんがゆっくりこちらを向いた。
紺色のランドセルを背負っている。いかにもシンくんらしい、落ち着いた色だった。
「緊張してるの?」
「……してない」
「うそ。してるじゃない」
「……ちょっとだけ」
私はくすっと笑って、隣に並んだ。桜がちょうど満開だった。花びらが一枚、シンくんの眼鏡に落ちて、シンくんが困ったように瞬きした。それがなんだかかわいくて、私はもう一度笑った。
「私たち、同じクラスだといいね!」
「……うん」
二人のお母さんに挟まれながら、四人で桜並木の下を歩いた。
学校に着いて体育館の前のクラス発表の掲示板を見に行くと、既に名前と組が貼り出されていた。
名前を探す。百合乃 愛鈴 一年二組。
「シンくんは?」
「……二組」
二組。私と同じだ。
「よかった!これでまた一年一緒ね」
「……うん」
シンくんが小さく頷いた。耳がほんのり赤い。
(ふふ。まずは第一関門突破ね。ここは自分ではどうにもならないから不安だったけど、神は私に味方してるようだわ)
私はそっと口元を緩めた。
教室に入ると、すでに何人かの子どもたちが席についていた。お母さんたちは入口付近で他の保護者とおしゃべりをしている。
私が席に向かおうとしていると、急に後ろから声がかかった。
「お! 愛鈴じゃん!」
振り向くと、そこに知っている顔があった。
背が高い。クラスの男の子の中で頭一つ抜けている。短い黒髪に、はつらつとした目。黒いランドセルが、その体格によく似合っていた。その隣には、同じくらい背の高いお母さんが立っている。
神崎 樹
駅前の公園でよく見かける男の子だ。別の幼稚園だったけれど、同じ学区で、何度か顔を合わせていた。いつも外で遊んでいて、やたら声が大きかった。
「あらイツキくん、久しぶりね」
「おう!久しぶり!これからよろしくな」
大きな声がビリビリと伝わってくる、相変わらず体育会系で暑苦しいやつだ。
私はちらりとシンくんを見た。シンくんはイツキくんをじっと見ている。初めて見る顔だろう。
「シンくん、この子はイツキくん。別の幼稚園だったけど私たちの家の近所に住んでる子よ」
イツキくんがシンくんに向かってぐっと手を差し出した。
「おれイツキ!よろしく」
心くんは少し固まってから、おずおずと手を握り返した。
「……清井 心」
「シン、か。いい名前だな!本、好きなの?」
心くんがきょとんとした。
「……なんで、わかるの」
「ランドセルの中、本がはみ出てる」
シンくんがあわててランドセルを見ると、確かに文庫本の背表紙が少しだけ顔を出していた。心くんの耳が赤くなった。
(ちゃんと周りが見えてるのね、この子)
私は内心で少し見直した。見た目の元気さと裏腹に、イツキくんはよく周りを見ている。
「愛鈴さ」
イツキくんが今度はこちらを向いた。目に闘志がある。
「バスケ、またやろうぜ。今度は負けねーから」
「あら、あの時のことをまだ引きずってるの」
シンくんがきょとんとして私を見た。
「……バスケ?」
「以前公園で一対一やったの。たしか去年の秋くらいだったかしら?」
「で、ボコボコに負けたんだよな〜」
イツキくんが悔しそうに言う。私はくすっと笑った。
「あなたから『やろう』って言ったんじゃない」
「そうだけど……まさか女の子に負けると思わなかった」
シンくんの視線がじわじわと私に移ってきた。
「……愛鈴ちゃん、バスケ上手いの?」
「それほどじゃないわ。普通よ」
「うそつけ。めちゃくちゃ動けるじゃないか」
イツキくんが主張する。あの日、公園で自主トレをしていたところを目をつけられて勝負を挑まれたのだ。
勿論私は全てのシュートを決め、イツキのシュートを止めた。前世でそこそこスポーツをやっていたのと、この体が予想以上に動けたのが理由だ。
イツキくんは背が高くてパワーもあったけれど、まだフォームが定まっていなかった。小学生なら当然のことなので私が負ける道理はない。
(やった後少し大人気なかったか気にしていたけれど)
「小学校でもバスケ続けるぜ!部活入れるようになったら絶対入る。そしたら愛鈴にリベンジするぜ。覚悟しとけよ」
「あら、楽しみにしてるわ」
杞憂だったようだ。私がにっこりと笑うと、イツキくんは「ぜったい勝つ!」と宣言して、ぐっと拳を握った。
張り合いたがりだけど、嫌みがない。初対面のシンくんに「いい名前」と言えるくらい、人への気遣いも自然にできる。こういう子は、ちゃんと伸びる。
(伸 び 切 っ た 時 が 収 穫 の 時 か し ら ?)
そう思ったことにすぐ気づいて、私は自分でも少し驚いた。別に、そういうつもりで見ていたわけじゃないのに。
私はそっと席についた。窓の外、入口でお母さん同士がまた話し込んでいるのが見えた。シンくんのお母さんと、イツキくんのお母さんが、なぜか意気投合して笑い合っている。
(親同士が仲良くなれば、シンくんとイツキくんを仲良くさせるのも簡単そうね)
イツキくんには既に演じてもらう役割を愛鈴は決めていた。
シンくんとは違うタイプの男の子枠として、自分が女の子を満喫するための駒として育成する気満々である。
(さあ、小学校のはじまりね。いろいろやりたいことはあるけど、まずはどれから動こうかしら...)
幼稚園より少しだけ広がった世界が、今日から始まる。




