第3話:ひとつの、ずる
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それから、心くんと一緒にいることが増えた。
外遊びの時間に心くんが砂場で一人で山を作っていれば、私が隣に来てトンネルを掘る。お絵かきの時間に心くんが黙々と恐竜を描いていれば、私がその隣で花を描く。
心くんはしゃべるのが得意じゃないみたいだったけれど、私が話しかければちゃんと答えてくれた。少しずつ、少しずつ、言葉数が増えていった。
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ある日の昼休み、さくらともう一人の女の子・みくちゃんが走ってきた。
「愛鈴ちゃん! 今日ね、かけっこしようってなったの! 一緒にやろ!」
二人がきらきらした目で私を見る。
私はちらりと心くんを見た。心くんはいつものように分厚い本を開こうとしていた。
「ごめんね、今日はシンくんと絵本のコーナー行く約束してるから」
「え〜!心くんも一緒にかけっこしよ!」
みくちゃんが心くんに向かって言った。心くんは少し困ったように眼鏡を押し上げた。
「ぼく、はしるのはやくないから...」
「だいじょうぶだよ!ねえ愛鈴ちゃん!」
私は少し考えるふりをして、首を横に振った。
「また今度でいい?今日はシンくんと約束したから」
さくらとみくちゃんは少し残念そうにしながらも「つぎはあそぼうね〜」と駆けていった。
隣で心くんが小さく息を吐いた気がした。
「……ありがとう」
「何が?」
「かけっこ、ことわってくれて」
私はにっこりと笑った。
「約束したでしょ。今日はシンくんと遊びたいの」
心くんの耳がまた赤くなった。
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幼稚園の男の子たちは、総じて単純でかわいかった。
たとえば、りくくん。元気いっぱいの、クラスで一番声が大きい男の子だ。
ある日、りくくんが作った粘土の塔が崩れてしまって、半泣きになっていた。
「りくくん、大丈夫?」
「……くずれちゃった」
「一緒に作り直す? 私、手伝うよ」
りくくんの目がぱっと輝いた。
「ほんとに!?」
私は隣に座って、粘土を丸めながら「りくくんって力持ちだから、こっちをやって」と言った。りくくんはすぐに得意げな顔で張り切り始める。
「すごい! りくくんが作った部分、一番かっこいいよ!」
「えへへ……そ、そう?」
りくくんは照れながら頭を掻いた。
(女の子に褒められただけで嬉しくなるなんて。ほんと単純なんだから)
内心でくすっと笑いながら、私はりくくんの頑張りを褒め続けた。
りくくんは「女の子」に褒められたことではなく、「愛鈴」に褒められたことに照れていたことに気づかず...
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ある夕方、お迎えを待つ時間のことだ。
私と心くんは縁側に並んで座っていた。他の子たちはまだ園庭で遊んでいる。
「シンくんって、大きくなったら何になりたいの?」
心くんはページをめくる手を止めて、少し考えた。
「……ほんをつくる人」
「作家さん?」
「うん。ほんがいっぱい書けたら……たのしそうだから」
私はその答えが好きだと思った。夢の理由が「たのしそうだから」というのが、なんだか子供らしい。
「いいじゃない! シンくんならなれるよ!」
「……そう、かな」
心くんはうつむいて、耳を真っ赤にした。
「……愛鈴ちゃんは?」
「私?」
「うん。何になりたいの?」
「うーん...秘密!言ったらつまんないじゃない」
心くんは少し不満そうにしながらも「……そっか」と言って、また本に視線を落とした。
夕日が縁側に伸びてきて、二人の影を長く伸ばした。
心くんの横顔を、私はそっと眺めた。本を追う目が、真剣で、きれいだった。
計算とか、駆け引きとか、そういうものと無縁なところにいる。ただ純粋に、本が好きで、静かで、誠実な子。
(この子は本当に優しくていい子なのね…)
前世でナンパを覚えて、上辺の会話ばかりしてきた僕には、眩しいくらいだ。
だから
(こ の 顔 が 絶 望 す る 様 を 見 て み た く な っ ち ゃ う)
突然普通の少女は到底考えつかない歪な気持ちが、愛鈴の胸の底に静かに沈んでいった。
「...愛鈴ちゃん?...愛鈴ちゃん!」
「……え? シンくん?」
「愛鈴ちゃんどうしたの?お母さん来てるよ?」
気がつけばお母さんが迎えに来ていた。園の入り口で手を振っている。
「あ、本当!気づかなかったわ。私いかなきゃ!シンくんまたね」
私は慌てて荷物を取りに教室に走り出した。先ほどまで自分が何を考えていたのかをすっかりと忘れて。




