第13話:野外学習のはじまり
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野外学習の班が発表されたのは、出発の一週間前だった。
宿泊班は女子六人ずつで構成される。日中の行動班は男女混合の四人組だ。
担任の先生が班構成のリストを読み上げるたびに、
あちこちから「やった〜!」とか「えー」という声が上がった。
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班構成が読み上げられる中、
豊はずっと両手を合わせて祈るような姿勢でいた。
(愛鈴ちゃんと同じ班になれますように...!)
その想いが通じたのか、「次〜。清井、神崎、百合乃、牧瀬。3班な」
豊の顔がぱっと跳ね上がった。
こちらを見てくる。
私は少しだけ微笑んで、「よかったね」と唇だけで動かした。
豊が両手を握り、嬉しそうに小さく頷いた。
宿泊班を確認すると、こちらも豊と同じだった。
シンくんとイツキくんも男子の班で一緒のようだ。
二泊三日、ずっと同じ班で動くことになる。
因みに宿泊班の他の子は私と顔見知りの子ばかりだったので、
豊もそれほど緊張しないだろう。
もし打ち解けられなくても、
二泊とも私に縋ってくる豊を見るのも悪くない。
愛鈴は小悪魔のような笑みを浮かべながら、
班が決まっていく様子を眺めていた。
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出発当日の朝、バスに乗り込むと豊が隣の席を手で押さえていた。
「愛鈴ちゃん、ここ空いてるよ」
「あら、豊ちゃんありがとう」
腰を下ろすと、豊がそっとこちらの腕に触れてきた。
「楽しみだね」とひそめた声で言う。
「ええ、豊ちゃんと初めてのお泊まり楽しみだわ」
私が耳打ちをすると豊はボンッ!と音を立てたかのように赤面をした。
(少し意地悪しすぎちゃったかしら)
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そうこうしているうちに、バスが動き出した。
住宅地が流れていき、やがて山の緑が窓の景色を覆い始る。
(二泊三日か)
学校行事の感覚ではなく、純粋に旅行気分があった。
前世でも山に来たことはあるが、今の身体で山道を歩くのは初めてだ。
豊の視線を横から感じた。こちらを見ていたかと思うと窓の外に向けて、また戻してくる。
「豊ちゃん、どうかした?」
「ううん……なんか、愛鈴ちゃんが外を見てる顔って、綺麗だなって思って」
「ずいぶん唐突ね...」
「だって本当のことだもん」
私は苦笑して、豊の頭を撫でながら、窓の外に視線を戻した。
(この子、思ったことをすぐ口に出すのよね)
計算がないのはこの子の良さでもあり、弱点でもある。
それを本人は知らない。
何列か前に、シンくんとイツキくんが並んで座っているのが見えた。
ふたりともこちらには気づいていないようだ。
イツキくんが何か言っていて、シンくんが眉を寄せながら答えている。
やがてシンくんが小さく笑った。
(あの子たちもみてない間にずいぶん仲良くなったわね)
男同士のあの空気、私にはない距離感だ。
(かつての私もあんな感じだったのかしら。もう思い出せないけど...)
愛鈴は前世の自分に思いを馳せながら、
豊とのスキンシップを楽しんでいた。
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野外活動センターに着いたのは昼前のことだった。
バスを降りると、山の空気が頬に触れる。
涼しくて、澄んでいて、土と草のにおいがした。
「うわぁ、きれい...!」
隣に降り立った豊がそう呟いた。
広場からは遠くの山の稜線がよく見えた。空が高い。
(なかなかの場所ね)
山の空気は街と違う。冷たいだけじゃなくて——なんというか、澄んでいると表現した方がいいだろうか。
吸い込むたびに、身体の中の不純物が少しずつ中和されていく感じがした。
(前世でも山には来たことがあるけれど、こんなに気持ちよかったかしら)
身体が違うから、受け取り方も変わるのかもしれない。
それとも今の私が、珍しく素直に感じているだけなのかしら?
前世の計算の上でしか考えられなかった、悲しい過去の自分と比べてしまっていた。
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隣では豊が、ぽかんと口を開けたまま稜線を見上げていた。
さっきの「きれい」はもう言葉にならなくて、ただ目で景色を受け取っているような顔だった。
(この子、こういう顔をするのね)
いつも私の方ばかり見ているから、こんなふうに景色に見とれる年相応の豊を見るのは新鮮だった。
そうしているうちに集合がかかり、先生の声が広場に響いた。
今日の午後はハイキング、明日は野外炊事と自由活動で、夜にキャンプファイヤー。
明後日の朝帰路につきます。
「ハイキングのコースはAとBの二種類があります。Aは少し険しいけど早く着く40分コース、Bは景色が良くて少し長い60分コースです。班ごとにどちらのコースにするか話し合って決めてくださいね」
班の四人で顔を見合わせた。
「俺はどっちでもいいけど」とイツキくんが言った。
「愛鈴はどっちがいい?」
「Bかしら。せっかくなら眺めがいい方に行きたいかも」
「一時間、歩けるかな……」とシンくんが少し不安そうな顔をした。
「大丈夫だよ、シン。下りは楽だし」
イツキくんがあっさり背中を押す。シンくんが「……まあ、そうだけど」と眉を寄せながら頷いた。
「私は愛鈴ちゃんと一緒ならどっちでも大丈夫!」
結局、私たちの班はBコースということに決まった。
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ハイキングは昼食のあと、班ごとに出発した。
山道に入ると豊がすぐ横についてきた。歩幅を合わせてくれている。
「足、痛くない?」
「まだ全然。あなたは?」
「平気。愛鈴ちゃんが隣にいるから」
「……ハイキングには関係ないわよ、それ」
豊がくすくすと笑った。
少し後ろから声がかかった。
「おーい、愛鈴。そのペースで大丈夫か?あんまり飛ばすと後でバテるぞ」
振り返ると、少し距離をあけてイツキくんが歩いていた。
「余計なお世話よ」
「そっか。きついところがあったら言えよ」
それだけ言って、また前を向いた。
一瞬だけ何かを言いかけるような間があって、でも結局何も続かなかった。
(最近妙に素直というか、以前みたいに突っ掛からなくなったわね...)
飄々と気を配っているくせに、肝心のところでは言葉にしない。
人のことをよく見ていて、それでいて踏み込まない。
(イツキくんも成長してるのね)
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しばらく歩いて、道の中ほど、開けた場所に出た。
眼下に街が広がって、空が大きかった。
「わあ」と豊が声をあげた。
私もしばらく黙って、その景色を眺めた。
自然は好きだ。何も考えずただ肌で自然を感じるのが気持ちいい。
普段なら人の動きを観察したり次の手を考えたりしているのに、今は景色だけが頭の中にある。
「愛鈴ちゃん、楽しそうだね」
「あら、そう見える?」
「うん。愛鈴ちゃんお口が笑ってるよ」
どうやら気持ちよくて自分でも気づかないうちに口元が緩んでいたようだ。
「...普段山なんて来ないからかしら。新鮮な感じがして」
私は顔が赤くなるのを悟られないように苦し紛れの言い訳をした。
「じゃあ来てよかったね!」
豊がにっこり笑って言った。
(……そうね)
彼女の屈託のない笑顔は、見ていて気が抜ける。
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後半の上り坂で、シンくんのペースが落ちてきた。
先生がそれに気づいて声をかけていた。
班全体が少しゆっくりになる。
(体力ないのよね、シンくん……。運動が苦手だもの)
ふと、シンくんの横にイツキくんが並んだのが見えた。
何か声をかけていた。シンくんが首を振る。
でもイツキくんは離れず、そのまま横に寄り添って歩き続けた。
イツキくんがあそこまで誰かに付き添っているのを、あまり見たことがなかった。
普段はさらっと気を配って、それ以上は踏み込まない子なのに。
(シンくんのことを、ちゃんと見てるのね)
案外、不器用なのかもしれない。あの子なりのやり方で。
「愛鈴ちゃん。どこ見てるの?」
豊がそっと聞いてきた。
「なんでもないわ。もう少しで頂上だから。頑張りましょ」
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頂上の展望台からは、さっきより遠くまで見渡せた。
秋の空は高くて、雲がゆっくりと動いている。
「すごい……!」
豊が柵に手をかけて、遠くを見ていた。その横顔が、昔よりずいぶん違って見えた。
(この子、変わったわね)
出会った頃から比べると、姿勢も、表情も、全部が違う。
私が何かをしたわけじゃない。もともとそこにあったものを、少し出しやすくしてあげただけだ。
——それだけのことのはずなのに、どこか誇らしいような気持ちがするのはなぜかしら。
「ねえ、写真撮らない?」
豊が言った。
「あら、カメラ持ってきてたの?」
「使い捨てカメラ。ちゃんと先生に許可とって持ってきたんだよ」
「いいわね。二人で撮りましょ」
豊がぱっと顔を赤くした。「愛鈴ちゃんとツーショット、嬉しい...」
(まったく素直なんだから)
私は苦笑して、豊の隣に並んで腕を絡めた。
「あ、愛鈴ちゃん!?」
「いいから、はいチーズ!」
私たちは二人で何枚か写真を撮り、その後遅れて到着したシンくんとイツキくんを含めて、
みんなで写真撮影を楽しんだ。
使い捨てカメラはその場で写真を確認できないのが難点だが、
どんな写真が出来上がるか、ワクワクしていた。
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その後私は豊ちゃんと展望台から望遠鏡で景色を眺めて楽しんでいた。
その様子を、少し離れた場所から心が見ていた。
ハイキングで疲れて、岩の端に腰を下ろして息を整えていた。
展望台のほうで豊と愛鈴が何か話している。豊が笑って、つられて愛鈴も笑っている。
(……ああいう顔をするんだ)
愛鈴が笑うのは、よく見る。
でも、あれはいつもとは少し違う気がした。
うまく言えないけれど、肩の力が抜けたような、ふっと素が出たような。
僕といる時には見せないような微笑みを、クラスメイトである女の子に向けていた。
(……なんだろう、これ)
いつもの愛鈴のことは、わかる気がしていた。
でも今見えたのは、知っているようで知らない顔だった。
心は目をそらして、遠くの山を見た。
「だいぶ楽になったか?」
イツキが戻ってきて、隣に腰を下ろした。
「うん、ありがとう」
「そうか。まあのんびり行こうぜ、帰りは下りだし」
「……そうだね」
心はもう一度、遠くを見た。
展望台の方向は、今度は見なかった。
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下山後の夕方、私たちはセンターの食堂で夕食をとった。
班ごとに席が決まっていて、男女で向かい合って座る形だった。
「愛鈴ってさ、山道全然平気だったな」
「そうかしら? 平然と見えたかもしれないけど、結構疲れたわ。私もか弱い女の子ですもの」
「いや、お前のどこがか弱いんだよ。班の中でずっとペース崩さなかったの、愛鈴だけだって」
「なんですって?」
「やめなよ二人とも〜」
たわいもない会話をしながら食事を楽しんでいると、
「愛鈴ちゃんってなんでもできるよね」と豊が言った。
「そうかしら?ある程度はできると自分でも思うけど、流石になんでもってことはないわよ」
「でも運動も得意だし、勉強もできるし、みんなから頼りにされる人気者だし、苦手なことってあるのかな?」
豊がキラキラした目でこちらを見ている。
そんな顔で言われると、なんとなく答えにくい。
(あるにはあるんだけど、こんな目で見られると答えづらいわね...)
私はふっと笑って、話題を逸らすことにした。
「豊ちゃんだって、自分が思ってるよりできることたくさんあると思うわよ」
豊がうつむいて、照れたように笑った。
シンくんが向かいでご飯を食べながら、ふと顔を上げてこちらを見た。
一瞬目が合う。
(……なにかしら?)
私が見つめ返すと、シンくんはすぐに視線を戻して、また黙って箸を動かし始めた。
もうじき初日の夜がやってくる。
夕食後はお風呂の時間だ。
私はこのイベントで一番楽しみにしていた時間が待ち遠しくて仕方がなかった。




