第12話:私の生まれ変わった日
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週末の朝、駅の改札前でお母さんと待っていると、
遠くから小走りでこちらに向かってくる子が見えた。
「お待たせしました!」
豊だった。
いつものくすんだ色のトレーナーではなく、
淡いベージュのカットソーを着ている。
前髪は先週切ったままで、少し緊張した顔をしていた。
「おはよう、豊ちゃん。可愛い服ね」
ママが明るく声をかけると、豊がぱっと顔を赤くした。
「はい、友達とお出かけって言ったらお母さんが選んでくれて...」
「センスいいお母さんね。じゃあ今日はもっといいのを見つけましょ!」
お母さんが先に立って歩き始めた。
豊が私の隣に並ぶ。
「緊張してる?」
「うん、ちょっとだけ。友達のお母さんと出かけるなんてしたことなかったら...」
「大丈夫よ。ママ、こういうの慣れてるから」
豊がはにかみながら小さくうなずいた。
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最初に向かったのは、お母さんの行きつけの下着専門店だった。
店内に入ると、店員さんがすぐにお母さんに気づいて
「あら、百合乃様。いらっしゃいませ」と声をかけてきた。
どうやら馴染みの店員さんらしい。
「今日はこの子の下着を見てあげてほしくて」
「もちろんです。そちらのお嬢さんも一緒にいかがですか?」
店員さんが私を見た。
「そうね、愛鈴もついでに見てもらいなさい。あなたも成長期なんだから」
「はーい」
私と豊は案内されてフィッティングルームへ向かおうとすると、豊が入口の前でぴたっと足を止めた。
カーテンをじっと見ている。
(緊張してるのかしら?)
「一緒に入りましょ」
豊がこちらを見て、ほっとしたように小さくうなずいた。
ふたりでカーテンをくぐると、店員さんがにこやかに中に入ってきた。
「では、お嬢さんから計測しますね」
豊が頷いた。てきぱきとした手つきでバストの計測が進む。
サイズを確認した店員さんがいくつかのアイテムを持ってきて、
「こちらをお試しください」と言って出ていった。
店員さんが出ていくと、ふたりきりになる。
狭い空間に思春期の女の子二人、なんだか少し気恥ずかしいかもしれない。
豊はこちらをチラチラと見ながら服を脱ぎ、手渡された下着を試着している。
無事に着け終わると、豊の表情がぱっと変わった。
「あれ、なんか……ちゃんとおさまってる」
「どう?いい感じ?」
「うん、全然違う。なんか、身体が軽い気がする...」
豊が鏡の前でそっと自分のシルエットを確認した。
視線が、ゆっくりと胸元から腰のラインへと移る。
「……こんなに違うなんて、知らなかった」
その目が、少し潤んでいた。
(ずっと悩んでたのね...)
豊が感動していると、カーテンの向こうから店員さんの声が聞こえた。
「いかがですか?もしお身体に合わないようでしたら、別のものをご用意しますのでおっしゃってくださいね」
「は、はい!大丈夫です!ピッタリです」
「それは良かったです。では続いてはそちらのお嬢さんの測定をいたしますね」
どうやら今度は私の番のようだ。
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計測してもらいながら、豊の視線がこちらに向いているのを感じた。
「……愛鈴ちゃんって、やっぱり綺麗だね」
「そう?普通じゃない?」
乙女は影の努力を隠すものだ。
私は内心嬉しい気持ちを噛み締めながら平静を装った。
「……なんか、全部のバランスが整ってる感じがして」
(まあ、意識してきたもの。それなりに)
測定の後に店員さんが持ってきてくれた下着を試着してみると、
自分の身体の変化がよくわかった。
胸の周りはしっかりとカップに納まっており、
隙間がなく、揺れたり擦れたりしないので、少しなら身体を動かしても大丈夫そうだ。
身体はまだ「これから」の段階だけれど、ちゃんと育ってきている。
「……愛鈴ちゃんが羨ましいな」
「どうして?」
「スタイル、整ってて可愛いから。私胸だけ不自然に大きくてアンバランスだし...」
豊が小さな声でそう言った。
胸がコンプレックスで育ってきた子の、素直な羨望だった。
「そんなことないわ」と私は言った。
「豊ちゃんだってスタイルすごいいいと思うわ。胸だって女性らしくて羨ましいもん」
豊が鏡の中でこちらを見た。「……本当に?」
「ええ、本当よ」
「ふふ、ありがとう...」
これで少しでも豊が自分に自信を持ってくれるといいな。
微笑みあった私たちはその後も何着か試着を続けた。
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試着室を出ると、お母さんが売り場を眺めていた。
いくつか選んで会計に向かおうとしたとき、
棚の一角に並んだセットが目に入った。
白と淡いピンクのペアになったデザインの下着。
シンプルで上品で、ちょっとだけ大人っぽい。
(……これいいわね)
「ねぇ豊ちゃん、これも買いましょ」
豊が振り向いた。「え?」
「お揃い。せっかくだから」
「……お揃いって、愛鈴ちゃんと?」
「そうよ。嫌?」
豊が首を大きく横に振った。「……嫌じゃない、全然!」
「じゃあ決まりね」
ふたり分の下着を手に取りながら、私は小声で付け足した。
「もうすぐ学校の野外学習があるじゃない。その時一緒に着ていきましょ?」
豊の顔が、ぱっと赤くなった。「……愛鈴ちゃんも着てくる?」
「もちろん」
豊がうつむいて、それからまた顔を上げた。
その目が、きらきらしていた。
「……うん、じゃあお揃いないいな」
その一言が、なんだかやけに素直で可愛くて——
私も思わず顔が赤くなるのを感じて、少しだけ目を逸らした。
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下着を数枚選んだあと、今度は服のフロアへ移動した。
お母さんは手慣れた様子で豊のそばを歩きながら、
いくつかのアイテムを手に取っては戻した。
「ウエストのラインがきれいだから、Aラインのスカートがとてもよく合うと思うわ。トップスは裾を入れてあげると、シルエットが整ってとても素敵になるのよ」
「タックイン...?」
「裾をスカートの中にしまうのよ。こうすると」
お母さんが豊に服を当てて見せた。
豊がおそるおそる鏡を見る。
「……え、なんか」
「そう。ウエストが見えるだけで全然違うの」
(この体型でそれをやったら、そりゃそうよね)
私は内心で笑いながら、二人のやりとりを眺めた。
試着室を何度か行き来して、最終的に選んだのはスカートが二枚、トップスが三枚だった。
普段の豊が選ばないような、でも豊によく似合う服たちだ。
「あの、ありがとうございました…お母さん」
帰り道、豊がお母さんにそう言った。「お母さん」という呼び方が自然に出てきたことに、豊自身も少し驚いたような顔をしていた。
「いいのよ〜。これからも愛鈴と仲良くしてね」
「はい……!」
豊の返事が、いつもより少しだけ大きかった。
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月曜日の朝。
私は少し早めに登校して、豊が来るのを廊下から眺めていた。
教室のドアが開いた瞬間、空気が変わった。
「え、ちょっと待って。あの子、誰?」
クラスの誰かがそう言った。
豊はいつもと違う服を着ていた。
先週選んだAラインのスカートに、タックインしたトップス、
前髪はきちんと整えられていて、目元がはっきり見え、姿勢が前とは全然違う。
「めちゃくちゃ可愛いんだけど」
「え、あんな子いたか?」
どよめきが広がったところで、女子の一人が立ち上がった。
「……もしかして、牧瀬さん?」
豊がびくっとして立ち止まった。
「え、牧瀬さんなの!?」
「嘘、ぜんぜんわかんなかった」
「髪切ったの?服も違くない?」
周りから声が重なってきた。
豊が真っ赤になりながら、「え、あの……おはよう……ございます」とぎこちなく頭を下げた。
(これでひとまずは大丈夫かしら)
私は廊下から教室に入って、いつも通り自分の席に向かった。
「牧瀬さん、めちゃくちゃ可愛くなってる」
「前からそんな感じだったっけ?」
「その服どこで買ったの?」
ざわめきが続く中、豊がこちらをちらりと見た。
私は軽く目配せした。
豊が、小さく笑った。
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その様子を、清井心は自分の席から見ていた。
ドアが開いた瞬間、心の目も思わずそちらへ向いた。
誰だろう、と思った。本当に、一瞬そう思った。
牧瀬豊だとわかったのは、周りの子が名前を呼んでからだった。
(……あの子が?)
前髪が短くなって、服が変わって、姿勢が違う。あの、いつも端の席でうつむいていた子が...。
心が驚きを飲み込んだところで、教室に入ってきた愛鈴が豊の前に立った。
何か言いながら、豊の衿元をさっと直した。
ほんの一瞬のことだ。
でも豊がそれを当たり前のように受け入れて、嬉しそうに笑っていた。
(……いつから、あんなに仲良くなってたんだろう)
愛鈴が豊と話しているのは、前に何度か見たことがある。でも、あの距離感は——
「シン、なんかぼーっとしてたぞ?」
イツキくんに声をかけられて、心はハッとした。
「ううん、なんでもないよ」
「そうか? なんか険しい顔してたぞ?」
「気のせいじゃないの」
心は前を向いて、本を開いた。
でもページの文字が、しばらくのあいだ、頭に入ってこなかった。




